≡☆ 尾道と安芸の宮島 ☆≡
1992/11/06 - 1992/11/09

安芸の宮島の景観写真に魅せられ、どうせ行くのなら−と尾道で寺めぐりをした後は生口島に耕三寺を訪ね、厳島神社参拝後には岩国の錦帯橋を観て歩くという些か欲張りな旅でした。′99.05にはしまなみ海道が開通し、芸予諸島へのアプローチも便利になりました。今なら四国への通り抜けも容易ですので様々なプランが組めますね。なのでコースとしては参考にならないかも知れませんね。補:一部の画像は拡大表示が可能です。見分け方はカ〜ンタン。

掲載に際し、運賃や拝観料は ′03.08 現在のものに置き換えましたが、
ダイヤは当時のままですので御注意下さいね。

一日目:坂とお寺の街・尾道

1.JR東京駅 とうきょうえき 21:00発 10番線

東京駅からは寝台特急・瀬戸に乗車。その瀬戸も ′98.10 には廃止され、現在では設備も新しくなり、サンライズ瀬戸と名を変えて運行されているの。同時に寝台特急・出雲も廃止され、同じくサンライズ出雲に代わりましたが、両者は岡山まで併結されて走った後、それぞれの目的地へ向かい切り離されるの。この瀬戸ですが、昭和26年(1951)の東京⇔宇野に運行開始した急行列車にその源を発し、翌年には「せと」と改称されたことに始まるの。また、その際には「いずも」を併結して運行。その後は再び切り離されて単独運行が長く続きますが、こうして再度連結して走ることになるとは。歴史は繰り返される‥‥‥特急券:¥3,150 B寝台券:¥6,300 乗車券:¥10,190(岡山迄)

空路や新幹線の発達で増々客足が遠のく寝台特急ですが、旅の浪漫を感じさせてくれる寝台列車は、例えどんな運行形態になるにしても残して欲しいと思うのは、旅人の我儘でしょうか。サンライズ瀬戸も乗車当時の瀬戸に較べ、東京駅の発車時刻が一時間程繰り延べられていますが、岡山着は数分しか変わらないの。車両の高速化は在来線でも確実に行われているのね。

2.JR岡山駅 おかやまえき 6:28着 6:46発 7番線

岡山駅からは三原行に乗り換え、のんびりと尾道に向かいました。乗車したのは各駅停車ですが、使用されていた車両は快速・サンライナー用のもので、アイボリーホワイトを基調に、底部がオレンジ色から赤に塗られた洒落たデザイン。記念写真ばかりで画像の掲載が出来ませんが、無機質な通勤電車に見慣れた眼にはフロントフェースも優しげです。塗装の配色は今でも変わりませんが、投入される車両はさすがに代替わりしてしまいましたね。乗車券:¥1,280(岡山〜尾道)

当時の先頭車両のフロントフェースには
  SUN LINER  

SETOUCHI SEA SIDE RAPID SERVICE
Feel The Sunshine & The Sea Breeze −とありました。なかなか洒落てますよね。

補足ですが、「サンライズゆめ」と云う電車型の寝台特急が東京〜広島間に臨時運行されることがありますので、お出掛けの際に利用出来るようでしたら乗車されてみては。残念ながら未体験ですので詳細は分かりませんが、「サンライズゆめ」なら尾道駅にも停車してくれますので乗換無しに済みますね。因みに、運行区間ですが、下りは広島が終点なのに、上りは下関が始発という変わった運行パターン。でも、どうしてかしら?

3.JR尾道駅 おのみちえき 8:02着

駅前に降り立ち振り返ってみれば千光寺山の稜線が。標高137mと差程高くはないのに海が間近に迫るせいか高く感じてしまうの。今ではすっかり映画のロケ地として有名な尾道ですが、坂道とお寺の街・文学の街として静かな佇まいを見せているの。古来、尾道は眼前の向島に風が遮られることから天然の良港として栄え、財を得た廻船問屋などの旦那衆が競い寺院を建立、盛時には80余寺を数えたそうですが、その名残りを今に伝えるの。

地名の由来となる坂道は嘗て「山の尾の道」と呼ばれ、山にへばりつくようにして建てられた家々の軒先をかすめて細い坂道が迷路のように走るの。瀬戸内の明るい陽射しを浴びながら、ゆっくりとした時間の流れに身を任せているような、そんな古き良き街並みを歩いてみようと思っていたのですが、この日は生憎の曇り空で、オマケに時折小雨もぱらつく始末。どうやら日頃の行いが良くなかったみたいね。

気を取り直して古寺巡りへと歩みを進めましたが、今ではその寺院巡りにも便利な「尾道好きっぷライン」という周遊バスが運行されているの。最近、各地で見かけるようになったレトロ調の車両を使用した周遊バス。観光施設の優待割引特典が付いた一日乗車券が¥500とお得ですよ。いっぱい歩くのはイヤ!でも少しは観て歩きたいの−という方にお勧め。但し、12〜3月の木曜日は運休になるの。因みに、尾道では木曜日を定休日とする商店や飲食店が多いので気をつけて下さいね。尤も平日に旅が出来るという恵まれた方はそう多くはないかも知れませんが。「尾道好きっぷライン」の運行経路など、詳しい情報は 尾道市交通局 を御参照下さいね。初乗り運賃:¥140 以後は距離に依存 一日乗車券:¥500(施設割引有)

前述しましたように映画のロケ地としても有名な尾道ですが、残念ながらその方面にはとんと疎く何等の御案内も出来ません。些か他力本願で恐縮ですが、ロケ地巡りなど尾道全般の観光情報は下記を御参照の上でお出掛け下さいね。調べるのなんて面倒くさくてイヤ!もっと簡単な方法はないの?という無精(笑)な方は尾道駅前の「しまなみ交流館」に駆け込み、観光情報コーナーで係の方に何でも聞いてみましょうね。あなたにぴったりの尾道巡りが見つかるかも知れませんよ。
尾道市HP 〜ようこそ尾道へ〜 尾道観光協会

4.林芙美子像 はやしふみこぞう

周遊バスなど運行されていない当時は駅からおもむろに持光寺を目指して歩き始めました。線路伝いの道を歩いていると何やら古風な旅姿の女性が屈み込んでいました。柳行李に傘を置き、着物姿の出で立ちにさすがの尾道での光景でも奇異に感じ、オマケに一向に動く気配がなく不思議に思っていたのですが、それが林芙美子像でした。こちらも記念写真しかありませんので画像の掲載が出来ませんが、左頬に手を添えて優しい眼差しで海側を見やっています。彼女の代表作『放浪記』のイメージを基に作成されたものですが、彼女は尾道を旅の古里として生涯心の拠り処としていたそうで。傍らで肩を並べていると問わず語りの物語でも語ってくれそうな気がしてきます。場所:林芙美子像前バス停下車すぐ

海が見えた 海が見える 五年振りに見る尾道の海はなつかしい

波打ち際に佇む姿の芙美子ですが、残念ながら彼女の視線の先には現在は商店街が連なり、海は見えないの。その商店街入口から程近いところに、うず潮小路と呼ばれる小径が海へと向かいますが、その角地にあるのが「アンティーク茶房・芙美子」なの。ドアを開けて一歩店内に足を踏み入れた途端に大正時代にタイムスリップしたような錯覚。レトロな雰囲気が漂う店内で珈琲などいかが?ここではコーヒーではなくて珈琲なの。お薦めは「うず潮セット」よ。白玉団子と抹茶のセットなのですが、大正浪漫を彷彿とさせる器に盛られて出て来るの。女学校に通う彼女も時には口にしたかも知れませんね。彼女の著作を片手に大正浪漫にひとときを過越されてみては。

店の奥には林芙美子が尾道第二尋常小学校(現・土堂小)から尾道高等女学校(現・尾道東高)に通う頃に住んだという旧居が保存されているの。彼女が義父と母の3人で暮らした部屋は、僅か三畳余の小さな部屋で、彼女の心の原点がここにあるの。尾道在住時には何と11回も引越をしたという彼女ですが、現在も残されているのはこの家だけなの。お店の方に声を掛けて見学させてもらいましょうね。

商店街を歩いていたら店先で木箱に入れられたお魚を売るおばちゃんの姿を目にしました。すっかり使い込まれた木箱は所々がささくれだっていて。発砲スチロールのケースに見慣れたξ^_^ξには殊の外新鮮に見えました。客の求めに応じて魚を捌く姿が懐かしくもあり、今でもあの光景は続いているのかしら。

5.持光寺 じこうじ

石門 芙美子像の先にある踏切を渡ると早速の石段が眼前に迫ります。古寺巡りの最初がこの持光寺で、大きな石造りの門が出迎えてくれます。けれど門と呼ぶには些かおかしな形をしていますよね。この後あちらこちらの寺院で龍宮門を見掛けましたが、嘗てはここにも楼門が建ち、その基石だけが残されたのではないかしら。連れの二人が写りますのでその大きさがお分かり頂けるかと思いますが、龍宮門があったとしたらかなり立派なものであったはずよね。

臥龍の松 この持光寺は平安期創建の古刹。境内には尾道三松の一つ、天然記念物の「臥龍の松」がありましたが、近年枯渇してしまったみたいね。普通は空に向いて幹を伸ばすはずなのに、この老松はその幹を水平方向に伸ばしていました。人為的なものなのか自然にそうなったのかは不詳ですが、20m余はあろうかと思われる幹がくねりながら伸びた様は、まさしく龍が横たわっているようで。質感を出したくてアップで写してみましたが木肌が龍のそれに見えますかしら?

CoffeeBreak 持光寺参詣の楽しみが土塊を握り、顔を描く握り仏の制作体験。呼び鈴を鳴らして御住職にお願いしてみましょうね。五劫思惟阿弥陀如来の御前で香を頂き云々−の後、御住職が釜で焼いて送って下さいますので、あなただけの念持仏を作られてみては?制作費:¥1,500(送料別途)

ところで、観光地のお寺というと拝観料を取られるケースが多いのですが、ここ尾道では殆どの寺院が拝観無料なの。宝物館見学などは有料ですが、境内を見て廻る程度でしたら自由なの。かといって放置されている訳でもなく、植栽などもキチンと手入れがなされているの。寺を守る御住職の御苦労もさることながら、拝観料も取らずに経済的な支えを何処に置いているのかしら。信仰心篤い尾道の方々が支えているのでしょうね、きっと。

6.光明寺 こうみょうじ

円仁和尚(慈覚大師)については仙台の奥座敷・作並温泉の頁で触れましたが、この光明寺もその円仁和尚が創始した古刹。山形県の山寺とここ尾道では大分距離が離れていますが、当時の交通手段を考慮すると現在のそれよりも遙かな距離感があったはず。仏法を広く世に流布せんがためとは云え、並外れた気力と体力があったのでしょうね。いずれも遙かに劣る凡人のξ^_^ξは高僧の偉業と健脚ぶりに、ただただ敬服するのみね。

光明寺で忘れてならないのが御覧の尾道三松の一つの「蟠龍の松」。こちらも巨大な盆栽のように幹が寺壁に沿うように這っているの。本堂左手の鐘楼前には第12代横綱関・陣幕久五郎の碑が建てられていますが、聞けば勝率9割4分を誇った尾道所縁の力士。今から百年も前のことですので当時を知る人はいないでしょうが、尾道では財を得た商人達がスンポンサーになっていたみたいね。

7.宝土寺 ほうどじ

宝土寺

左掲は山門下からのものですが、左手にあるのが鐘楼で、右手には小さな龍宮門があるの。両者を石畳が繋ぎ、境内からは尾道の町並みが見渡せるの。この鐘楼と龍宮門の間が結構広くて坂の街にありながら勿体無いなあと思う程の空間。オープンテラスでも作り、抹茶とか珈琲でも飲めたらいいのに、そうしたらお寺の収入にもなるんじゃないの?なんて下衆なことを考えてしまいました。寺院めぐりとは無関係ですが、宝土寺拝観を終えて尾道郵便局へ向かいました。平日に旅する機会も少ないので寺めぐりを一時離脱して尾道郵便局で記念貯金。普通でしたらそのまま志賀直哉旧居や文学記念室を経て天寧寺へ向かうのが推奨コースとなっているの。

8.おのみち文学の館 おのみちぶんがくのやかた

尾道文学公園 文人達に愛された尾道には居を構えた方も多く、『暗夜行路』を執筆した志賀直哉もその一人。天寧寺へ向かう坂道途中の左手には志賀直哉の旧居が保存されているの。志賀直哉旧居の見学を終えて再び坂道に戻り、天寧寺方面へ右に折れるとあるのがお休み処の帆雨亭で、一角には小さな資料館が併設されています。近年開館したものですので未体験ですが、志賀直哉著作の初版本などを手にすることが出来るそうよ。

その帆雨亭の北側には民家を改装した文学記念室があり、ここには林芙美子を始め、尾道ゆかりの文人達の資料や彼女の書斎が再現展示されているの。また、少し外れてしまいますが、千光寺山側には病魔に冒されたアララギ派の歌人・中村憲吉が転地療養を求めて移り住んだ旧居があるの。先の志賀直哉旧居と文学記念室、それに中村憲吉旧居の三者を合わせて「おのみち文学の館」となっているの。おのみち文学の館:¥300(3館共通) 帆雨亭ミニ資料館:¥200

9.天寧寺 てんねいじ

天寧寺 天寧寺は貞治6年(1367)に足利義詮が創建したもので、海雲塔と呼ばれる三重塔は国の重要文化財に指定されているの。建立当時は五重塔でしたが、江戸時代になり、上層の二層が取り払われて三重塔になってしまったの。落雷による被災だとか腐食だとか諸説ありますが、千光寺山中腹に聳え建つ五重塔の景観を眺めてみたかったですね。境内にある羅漢堂には五百羅漢が祀られていますが、煩悩が多過ぎたのか、見学途中で気持ち悪くなり、早々に逃げ出しました。

10.ロープウェイ山麓駅 さんろくえき

標高僅かに137mの千光寺山ですが坂道に圧倒され、潔くロープウェイに乗り込みました。発車後間もなく足許の眼下には艮(うしとら)神社の屋根が。何かを落としても大丈夫なように防護ネットが張られていましたが、これでは神さまも落ち着いて鎮座していられないのではないかしら。乗客の安全を祈る前に、さすがの神さまも我が身の危険回避を一心に念じている?(笑)料金:¥280 (片道) 往復:¥440 所要時間:約3分 15分間隔で運行

11.千光寺公園 せんこうじこうえん

千光寺山々頂から中腹にかけては千光寺公園が広がるの。明治27年(1894)に三木半左衛門という方が中腹に共楽園を造営し、後に尾道市に寄贈。翌年には千光寺住職が寺領1,300余坪を尾道市に寄贈したことから始まり、更に昭和32年(1957)に尾道市の要請で寺領約10,000坪を運用委託。尾道市内を眼下に瀬戸内海の島々を見渡せる絶好のロケーション。残念ながら生憎の空模様で視界が悪く目にすることが出来ませんでしたが、晴れた日には四国の山々までも望むことが出来るみたいね。

広大な園地には桜の木が多く植えられ、日本さくら名所百選にも選ばれているの。桜の咲く頃には全山が薄いピンク色に染まり見事な景観を見せてくれることでしょうね。訪ねた時の季節は秋−ということでNHK大河ドラマに因む菊人形展が開催されていました。聞くところに依れば、この地方では除虫菊の栽培が盛んに行われていたそうで、除虫菊と観賞用の菊を同列に扱うことは出来ませんが、予想外のイベントに遭遇し、しばし力作の数々を鑑賞させて頂きました。

菊 菊 菊 菊人形

夕刊にはもう桜が咲いたというニュースが出ていた。尾道の千光寺の桜もいいだろうとふっと思う。あの桜の並木の中には、私の恋人が大きい林檎を噛んでいた。海添いの桜並木、海の上からも、薄紅い桜がこんもり見えていた。私は絵を描くその恋人を大変愛していたのだけれど‥‥‥

『放浪記』の一節ですが、貧しきが故に数々の辛酸を嘗める中で、ふとよぎった尾道での思い出の一コマ。桜の開花時期に合わせて情景に想いを馳せながら散策してみるのも良いかも知れませんね。続きがあるのですが、ここでは敢えて触れないことにしますね。気になる方は『放浪記』を御読み下さいね。

12.千光寺 せんこうじ

千光寺は平安初期の大同元年(806)の開基という古刹。断崖にへばりつくようにして建てられた舞台造りの朱色の本堂が岩に囲まれ異彩を放ちます。晴れた日には建物の朱色と紺碧の空が見事なコントラストを見せてくれるでしょうね。赤堂とも呼ばれる本堂から望む尾道の景観も秀逸ですよ。

そしてロープウェイで上って来る際に目にしてからというもの、気になって仕方なかったのが御覧の「玉の岩」と呼ばれる、巨石の頂きにある不思議な物体なの。どんな云われがあるのか不詳ですが、如意宝珠と呼ばれる物体は昔は光り輝く玉だったと云うの。何でもこの地を訪れた異邦人がくり抜いて持ち帰ろうとしたのですが、途中で海中に落としてしまったそうなの。御仏の威光を畏れぬ所業に仏罰が当たったのでしょうね、きっと。

この他にも、千光寺には岩割の松や通称、ポンポン岩と呼ばれる鼓岩などの奇岩怪石が点在し、自然崇拝と仏教が渾然一体となっている感があるの。一角には驚音楼と呼ばれる龍宮造りの鐘楼があるのですが、残念ながら鐘を衝くことは出来ませんでした。驚音と名付けられるからには、さぞかし綺麗な音色を響かせてくれるのでしょうね。龍宮門など唐様の建物が数多く見られる尾道ですが、交易を通して異国の宮大工達が住みついたのかしら。平成8年(1996)にはこの鐘楼が日本の音風景百選に選ばれているの。

尾道水道 千光寺の見学を終えたところでお腹も空いたので千光寺公園内にあった展望食堂で軽い昼食を。松茸うどんが当時¥850でした。麗らかな陽射しの春などの季節なら目の前に広がる尾道水道を始め、瀬戸内の島々など雄大なパノラマを眺めながらお弁当を広げるのがいいかも知れないわね。

13.文学の小径 ぶんがくのこみち

食事を終えて一息ついたところで文学の小径散策へ。ロープウェイ山頂駅を中心に1km程の小径には松尾芭蕉や正岡子規、中村憲吉、頼山陽など尾道所縁の文人達の句碑が建てられているの。左掲は『放浪記』の一節を刻む林芙美子の碑。−緑色の海、向こうにドックの赤い船が、帆柱を空に突き刺してゐる−と碑にありますが、ここからの尾道水道の眺めも素敵ですね。

文学の小径の散策を終え、麓の慈観寺目指して坂道を下ったのですが、どこをどうやって歩いたのか記憶が定かではないの。方角を決めて適当に歩いたので民家の軒先をかすめるようにして走る路地裏を通ってみたり、民家の敷地を失礼して通らせて貰ったり。この頃になってようやく雨も上がったせいでしょうか、あちらこちらで飼い猫たちが散歩する光景に出合いました。いたずらするような人もいないのでしょう、近寄っても逃げたりしないのですよ、尾道の猫たちは。手を差し出すと近寄って来て甘えるほどなの。尾道では猫たちにも優しい時間が流れているようね。

この後は慈観寺、福善寺などを観て歩く予定でしたが、ふと手許の時計をみると予定の時間を遙かに過ぎていて。このままでは最後の浄土寺まで辿り着けないと判断し、途中の寺院見学を割愛して西国寺へ向かいました。なので御覧下さっている方々にこれらの寺院の御案内をすることが出来ません。悪しからず御了承下さいね。そんなあ〜、だったら先に云えよ!とお怒りの方には 尾道デジカメ紀行 がお勧めよ。掲載されている写真も素敵ですし、寺院の歴史的背景や寺社史の造詣も深く、質・量共に秀逸な内容よ。情報提供とはこういうレベルのことを云うのでしょうね。御覧頂ければξ^_^ξのこの頁など不要な粗大ゴミ?

14.西国寺 さいこくじ

西国寺は奈良時代の天平年間(729〜749)に高僧・行基が創建したと伝えられる古刹なの。罹災を経たものの、天仁元年(1108)には白河天皇の勅願寺となり、寺勢を極めたの。頂いた栞に依ると、境内の平地だけでも15,700m²もあり、まさに西国一の規模を誇るの。写真は2m余の巨大な藁草履が掛けられた仁王門。両袖には参拝者が奉納した草鞋が沢山吊り下げられていますが、ここの仁王さまは足の病いに殊の外霊験灼かとされているの。

ここの仁王さまは昔は大分暴れん坊だったそうでのお、健脚にものを云わせてこの辺りを暴れ回っておったそうじゃ。困り果てた尾道の人々はやっとの思いでこの仁王門に閉じ込めたそうな。それからというもの、足の病を抱えた人や、その健脚にあやかろうとする者達から藁草鞋の奉納を受けるようになったのじゃ。けんども自分で編んだ藁草履でなければ功徳が得られないそうじゃ。う〜ん、今の時代に藁草履を編める方はそう多くは無いわね。あなたは?

三重塔 三重塔 仁王門を潜り抜け、石段を登ると右手に鐘楼、正面には重要文化財の金堂があり、その先には大師堂や庫裏などが建ち並びます。朱塗りの金堂は南北朝時代に備後の守護・山名氏が建立したものですが、600年の時を経た今も荘厳な佇まいを見せているの。境内の一番奥にあるのが御覧の三重塔。室町幕府第六代将軍・足利義教が寄進したものでこちらも重要文化財。摩尼山八十八ケ所霊場巡りの遊歩道まであるという広大な敷地を有する西国寺。全部を見て廻ろうとするとそれなりの時間が必要のようね。

予定ではこの後西郷寺に立ち寄るはずでしたが、西国寺の広大な敷地を歩き廻り時間を消費してしまい、再度行程を変更。最終目的地の浄土寺へ直行しました。小さな街なのに25ケ寺もあるという尾道はとても一日ではその全てを観て歩くことは出来そうにありません。尾道に一泊するなり日を改めるなりして見学せざるを得ませんね。えっ、そんな余裕は無い?そう云う方には前掲の 尾道デジカメ紀行 を御参照の上で対象を絞り拝観されることをお勧めしますね。

15.浄土寺 じょうどじ

浄土寺は古寺巡りのフィナーレに相応しい陣容の古刹。聖徳太子の創建と伝えられ、太子作と云われる本尊の十一面観音立像は33年に一度開帳されるという秘仏。次なる開帳は2034年のことだそうで、それまで生きていられるかしら(笑)。

足利尊氏も二度に亘り戦勝祈願に訪れたという浄土寺は、足利家という後盾を得て寺勢を興隆。国宝の本堂や多宝塔を始め、足利家の家紋が施された山門や、豊臣秀吉が伏見城に設営したという茶室を移設した露滴庵など、重要文化財指定の建物が目白押し。何でも仏像仏具などを合わせると何と18程の重要文化財があるそうよ。左掲はその国宝の本堂ですが、この中に秘仏の十一面観音立像が納められているの。注:露滴庵は5月の連休時のみ見学可

鳩 境内には御覧のように鳩が大挙して闊歩していました。人が横切っても泰然とした様は聖徳太子の庇護あってのものかどうかは分かりませんが、国宝の本堂の屋根にも大挙して羽を休めていました。糞害の程は知る由もありませんが、鳩の前では国宝も形無しね。由緒ある古刹の割には小さな子供さんを連れたお母さんが子供と一緒に鳩と戯れていたり、近隣のおばちゃんがベンチで休んでいたりと、至って庶民的な雰囲気の境内よ。

こちらは同じく国宝の多宝塔。また、寺域には築山泉水式と呼ばれる様式の庭園があり、名勝にも指定されているの。他にも寺宝を展示した宝物館など、見るべきものが多いのですが、残念ながら時間切れということで未体験で終えています。 浄土寺HP には秘仏などの詳細が貴重な画像と共に掲載されていますので、是非御覧になってみて下さいね。
本堂並びに庭園拝観:¥500 宝物館:¥400

平成13年(2001)からは下記の七ケ寺が尾道七佛めぐりを開催しています。最初の寺院参詣時に専用の御朱印帳を買い求めた上で各寺院にて押印して貰いましょうね。全てを踏破した暁にはその御朱印帳を飾る掛軸が貰えちゃいますよ。
参加寺院:持光寺・天寧寺・千光寺・大山寺・西國寺・浄土寺・海龍寺
御朱印帳:¥300 御朱印:¥300(各寺院毎)

16.JR尾道駅 おのみちえき 16:00発

散策を終えて尾道駅に戻り、生口島の瀬戸田目指してバスに乗り込みました。というのも明日の耕三寺見学に備え生口島への宿泊を予約していましたので。今と違い、バスの乗り継ぎや渡船の利用が不案内だったこともあり、現地への到着が陽もすっかり暮れた頃となってしまいました。今ではバス会社4社がしまなみライナーという長距離バスを運行していますが、昼間は耕三寺経由ですが夕刻は赤崎経由と運行パターンが変則的。他にもキララ・エクスプレスという長距離バスが尾道〜今治間に運行されています。詳しい情報は しまなみ海道観光マップ からリンクを辿ってみて下さいね。運賃:¥1,000(赤崎迄) 所要時間:約40分 ′03.08 現在

快適な船旅をしてみたいの−というあなたには 瀬戸内クルージング の快速船がお薦め。
しまなみ海道の景観を海の上から眺めて見るのもいいかもね。

因島大橋 当時はしまなみ海道も開通していなかったので、当時の経路を掲載していますので、余り参考にはならないかも知れませんが、御容赦下さいね。尾道からは因島土庄港行きの本四バスに乗り込みましたが、瀬戸内の海を見ながらのバス旅は気持ちの良いものでした。車でお出掛けの方はつい景色に見とれてしまうかも知れませんので、くれぐれも脇見運転には御注意下さいね。

17.因島土庄港 いんのしまどしょうこう 17:00着

因島から生口島へは渡船を利用するつもりで終点まで乗車したのですが、いざ下車して渡船乗場を探したのですが案内も無く、バスを待つ地元の方に訊ねて見れば−あれま、乗り過ぎてしまったんだあ−と。が〜ん。聞けば土庄港ではなく金山というところから出船しているとのこと。バスで10分程戻ったところで、歩くにはちょっと遠そうでしたので諦めて上りのバスを待ちました。けれどこれが仲々来なくて。ようやく現れたバスに勢い乗り込んだのですが、エンジンが切られて一向に動き出す気配が無く。予定が狂い、その後の時間が予めずに焦っていたもので時間を控えるのもすっかり忘れてしまいました。

ようやく乗り込んできた運転手の方を見ると尾道から来た時にハンドルを握られていた方で、金山バス停では念の為確認してから下車。始発の尾道から終点まで最後尾に陣取り乗車していた訳ですから記憶に残っていたはずで、まあアホな観光客(笑)がいたもんだ−と思われたのではないかしら。

18.金山フェリー乗場 かなやまふぇりーのりば

バス停で降りて直ぐの所にフェリー乗場がありました。渡船と聞いていたので小振りの船かと思いきや結構大きな船でした。今では三光汽船という会社が運航していますが、当時は因島市営でした。乗船時間が僅かに5分という短い時間でしたが、自転車で乗り込む高校生がいたり、ダンボール箱から詰め込まれた野菜の頭が覗いていたりと、日常生活にすっかり溶け込んだ渡船乗場の風景が新鮮なものに感じられました。

19.赤崎バス停 あかざきばすてい

生口島側の赤崎に渡り、喜び勇んでバス停に向かいましたが、時刻表を見て再び意気消沈。30分以上も待たなければ次のバスが来ないの。辺りは陽も暮れかかり、茜色の空が広がっていました。さりとてどうすることも出来ず、仕方無くフェリーの待合室に戻りバスを待ちました。ようやく現れたバスに乗り込んだ頃にはすっかり陽も暮れて、辺りには暗闇が広がっていました。今思うと、ここで宿の方へ連絡を入れておくべきでしたね。宿の方では事故でもあったのでは−と大分心配して下さっていたそうなの。

20.瀬戸田港 せとだこう

闇の中を走りましたので赤崎から瀬戸田港までの景色がどんなものだったのか、それこそ一切が闇の中。因島から生口島への渡船の乗船時間は僅か5分の行程なのに、何だかんだと一時間近くもいたずらに時間を費やしてしまいました。今でこそネット上でガイドブックにも掲載されていないような詳しい情報が得られるようになりましたが、当時は時刻表が全てでした。旅をするにも便利な時代になりましたね。

21.旅館・つつ井 つつい

やっとの思いで辿り着いた宿でしたが−連絡も無いし仲々来ないのでどうしちゃったのかしら−と皆して心配して下さっていたの。聞けばξ^_^ξ達一行の他には宿泊客がいない!そうで、広い館を独り占め。遅くなってしまったにも関わらず連絡もしなかった非礼を詫びて部屋に向かいました。すっかり配膳も終えて後は客の到着を待つばかりの感でしたが、我儘を云って先に一風呂浴びさせて頂きました。係りの方からは−申し訳ありませんが来客が一組しかありませんので大浴場だけに湯を張らせて頂きました、その代わり好きにお使い頂いて結構です−と。

虹懸の湯 旅館の大浴場を貸切に出来る贅沢は後にも先にもこの時ばかりで。広い大浴場を家族風呂として使わせて頂きました。貸し切りということでカメラを持ち込みましたが、写るはお見苦しい肉体美ばかりで(笑)。代わりに同館パンフからの借用で御容赦下さいね。左掲は特産のレモンを使った新レモン風呂の虹懸の湯ですが、同館には他にも瀬戸田港を見やりながら入浴できる展望レモン風呂もあるの。

夕食 すっかりお腹も空いたところにレモンの香りに刺激を受け、胃袋は空腹の極致にありました。膳には瀬戸内の海の幸が並んでいましたがとりわけ感激したのが御覧のヒラメのお造りでした。決して別注したわけではありませんよ。遅い到着でしたので最初はあんまりのんびりと食事をしていては係りの方に申し訳ないと思ってはいたのですが、アルコールが入った脳味噌からはそんな思いもどこへやら。瀬戸内の幸を堪能させて頂きました。

旅館つつ井 は明治43年(1910)創業の老舗旅館。当地出身の故平山郁夫画伯も常宿としていたことから、画伯の絵画がさりげなく架けられていたりします。翌朝部屋から高根島や高根大橋の景観をバックに瀬戸田港を行き交う小舟を見ていると時が過ぎるのも忘れてしまうほど。ロビーの一角にあるラウンジでコーヒーを飲みながらマスターの話しに耳を傾け、ゆったりとした時間の流れを味わってみてはいかがかしら。他に宿泊客がいなかったこともあり、ゆっくりとお付き合い頂いてしまいました。画伯が常宿としたのが分かるような気がしますね。画伯にとっても居心地が良かったのでしょうね、きっと。

二日目:向上寺と耕三寺

二日目のきょうは国宝の三重塔で知られる向上寺、母の菩提を弔うために個人で造営したという耕三寺を訪ねます。生口島は瀬戸内の一小島でありながら太古の昔から古人が住み、鎌倉・室町期には寺院の建立など歴史的な背景も深い島なのですね。

22.瀬戸田港 せとだこう 9:30頃発

旅館・つつ井でのんびりとした朝を迎え、チェック・アウト後には瀬戸田港の防波堤に腰掛けて瀬戸内の潮風にしばし遊んでみました。平山画伯も子供の頃にはこの辺りを泳ぎ廻り、来島する観光客を見ながら旅に憧れてもいたそうよ。画伯の少年時代を思い描きながら見る港の景色はどこか違って見えたりもしますね。気の済んだところで最初の目的地である向上寺を目指しました。

23.歴史民俗資料館 れきしみんぞくしりょうかん

港から直ぐのところには製塩用具や漁具などを展示する歴史民俗資料館があるの。江戸時代の豪商の土蔵を利用した館内には史料が所狭しと展示され、雑然としているのですが、漁師小屋にでも潜り込んだようで、雰囲気的には寧ろ面白い展示かも。使い込まれた用具の把手が手垢で光っていたりと、質感が直かに伝わって来るの。知らない方にはこれは一体何に使うのかしら?の連続でしょうが、そういえば家の納屋の中に置いてあったなあ、そうそう、こうやって子供の時に手伝わされたんだよ−とか、懐かしく思い出される方もいらっしゃるのではないかしら。館内自由 10:00-16:30 土日祝のみの開館

頂いた栞に依ると、耕作に適した平地が少ない生口島では漁業と共に早くから製塩業が発達したの。初めは薪を燃料としていたのですが、寛政年間というので210余年程昔のことね、その頃から石炭が使用されるようになり、多くの塩田を抱えていたために今で云う公害問題まで引き起こしたそうなの。弥生時代には既に人が住みついていたという生口島は、善しにつけ悪しにつけ、常に時代の先端にあったと云うことよね。

24.向上寺 こうじょうじ

向上寺は瀬戸内にその勢力を誇った小早川氏一族がこの生口島も領していたことから権力誇示のために造営したという三重塔(国宝)で有名な寺院。室町時代の禅宗建築の粋を集めて建てられたという唐様和様混合様式の朱色の塔が、周囲の木々の緑と空の碧さに映えて、美しい景観を見せてくれました。見ていると、皆さん、耕三寺に直行されてしまうようで、境内ではどなたとも出会いませんでしたが、この三重塔は是非御覧になってみて下さいね。
拝観料:¥100(志納)

向上寺の裏手から続く坂道を登ったところには潮音山公園が整備されていますが、その坂道から振り返ってみた時には思わず感嘆の声を挙げてしまいました。写真では上手く描写出来ていませんが、塔の屋根越しに見る瀬戸内は絵葉書そのものでした。

25.潮音山公園 ちょうおんざんこうえん

潮音山公園は静かに散策を楽しむには恰好の場所ね。キャンバスに向かい、画才をふるうも良し、思索にふけるも良し。一角にはお休み処などもあり、秋の日がな一日を時間を気にすることなく、好きな本でも読んで過越せたら‥‥‥などと思えるような風情でした。園内からは御覧のように耕三寺の遠景を望むことも出来、ガイドブックでも見かけぬ景観を眼にしたことで、少し得した気分にもなりました。入園料:園内自由

26.耕三寺 こうさんじ

耕三寺は生口島出身で、特殊鋼管製造会社を設立して功を納めた金本耕三氏が、母親の安息所(現・潮声閣)を造営したことに始まり、母堂の亡き後はその菩提を弔うために仏門に入り、昭和10年(1935)から30余年の歳月を費やして諸堂を建立したものなの。仏門に入ったのは44歳の時で、氏の母親に対する孝養心は並々ならぬものだったのですね。後に師は母堂だけでなく、広く世の母親を対象とするようになったの。世の母は みな観世音 花の春 金本耕三氏 詠歌

境内には国宝級の寺院を模した堂宇が建ち並びますが、その幾れもが豪華絢爛で、まさに日本の寺院建築の粋を集めた−と形容するに相応しい陣容なの。その極致にあるのが日光東照宮の陽明門を模した御覧の孝養門で、耕三寺が「西の日光」と呼ばれる由縁になっているの。そのきらびやかな装飾に思わず建設費は一体いくら位かかったのかしら−などと下衆なことを考えてしまいました。拝観料:¥1,200 潮声閣見学は別途¥300 要

代表的な寺院建築を再現した堂宇を巡ることで全国の寺院をお参りしたことになる−と云われる耕三寺。
ここで、どの堂宇がどこの何を模したものなのかを紹介してみますね。

山門 = 京都・御所紫宸殿御門 中門 = 奈良・法隆寺楼門
礼拝堂 = 京都・清水寺西門 仏宝蔵・鐘楼・鼓楼 = 奈良・新薬師寺
五重塔 = 奈良・室生寺 僧宝蔵・法宝蔵 = 大阪・四天王寺金堂
孝養門 = 日光・東照宮陽明門 信楽殿・至心殿 = 京都・日野法界寺
銀竜閣 = 京都・銀閣寺 八角円堂 = 奈良・法隆寺夢殿
阿弥陀堂・多宝塔 = 滋賀・石山寺 本堂 = 宇治・平等院鳳凰堂

写真は左から五重塔と本堂ですが、極彩色に彩られた堂宇が建つ様はさしずめ極楽浄土を描いた画のようで、元になる建物の趣を知る方の中には眉をひそめる方もいらっしゃるかも知れませんが、能天気なξ^_^ξはこれはこれでいいんじゃないの〜と思いますが、皆さんはいかがかしら?

境内最奥部右側には総延長350mにも及ぶ千仏洞があるの。洞内には千体仏が納められ、地獄&極楽めぐりが出来るようになっているの。富士山と浅間山から持ち込んだと云う溶岩を使用して造られた洞内はオドロオドロしていて、極楽ゾーンに至っても雰囲気は変わらず、ちょっと薄気味悪い印象でした。その極楽ゾーンですが、母の寺として知られる耕三寺ですので、その胎内をイメージしたものかしら?

潮声閣の裏手から地下道を潜る道路反対側には新宝物館があるの。時間の関係で見学することが出来ませんでしたが、国の重要文化財19点を含む仏教美術品が収蔵されているの。因みに、茶道関連の美術品が僧宝蔵に、絵画などの近代美術品は法宝蔵にと分かれて展示されているの。耕三寺ではこの三者を以て博物館としているの。

境内の伽藍配置や堂宇の説明など、詳しい情報は 耕三寺 を御参照下さいね。ξ^_^ξも同サイトを見て知りましたが、その後大理石をあしらい、未来心の丘などが造られたのを見ると、最早、寺院というよりも観光施設の感が強くなってしまったみたいね。オマケにその一角にあるというカフェクオーレではワイン片手にピザなども食べられるようなの。未だ嘗て寺院の境内でアルコールを公然と提供するところは見たことも聞いたことも無いのですが、ここでは単なる物見遊山に撤すべし−ね。

しまなみ海道の全線開通に先駆けて生口島には新しい施設が建てられました。
残念ながら訪時には存在せず、未体験と些か無責任ですが、旅のプラン作りの際に加えられてみては?

平山郁夫美術館
しまなみ海道全線開通を記念して描かれたという水彩画60余点からなる−しまなみ海道五十三次−など、生口島出身の画伯の作品が数多く展示されているの。同館のサイトに掲載されるものを見ても、画伯が描くと現代技術の粋を集めた斜張橋もすっかり周囲の景観に溶け込み、自然と一体になっていますね。残念ながらその画伯も ′09.12 に亡くなられてしまったの。同館のサイト上では収蔵作品に画伯自身がコメントを寄せていらっしゃいますので、先ずは御覧の上でお出掛けになってみては。
入館料:¥700(特別展開催時は¥800) 休館日:無休(作品入替時を除く)

シトラスパーク瀬戸田
平成10年(1998)にオープンしたテーマパークで、シトラスとは柑橘類のこと。日本だけでなく世界各地から集められた柑橘類約600種類が栽培展示され、国産レモン発祥の地に相応しい内容になっているの。但し、訪ねる際には島を繋ぐ路線バスの運行経路には含まれていませんので注意が必要ですね。瀬戸田港からは無料のシャトルバスが運行されていますのでそちらを利用することになります。入園料:無料

無料のシャトルバスはいつの間にか廃止されていました。このシトラスパークですが、開園当時はしまなみ海道の開通と云う好環境を得てそれなりの観光客を集めたのですが、その後は大きく集客力を失い、赤字補填を受けていたようですが、ここに来て運営主体の尾道市はついに閉園の方針を打ち出したの。完全閉鎖なのか、それとも民間に売却されるのかは分かりませんし、現時点(′10.07)では正確な期日も未定ですので、今しばらくは掲載もこのままにしておきますね。どちらにしても黄色信号が点滅している状態ですので御注意下さいね。

島の西側沖合いに見える瓢箪島はNHKの人形劇・ひょっこりひょうたん島のモデルともなった島。放映当時テレビにかじりついて見ていたあなたも、リニューアルされた再放送(′03)を見て知った方も一度御覧になってみては。

他にも聖武天皇勅願に依り高僧・行基が創建したと伝わる光明坊には後白河法皇の意を受けて出家した皇女式子内親王が侍女の松虫・鈴虫を連れて来島し、都に帰ることも無くこの地で終焉を迎えたという三人の墓があります。光明坊はξ^_^ξも訪れてみたかったのですが、時間の関係で断念せざるを得ませんでした。生口島は小さな島ながら他にも多くの見処がありますのであなたなりのプランを作られてみては?

27.瀬戸田港 せとだこう 13:30発

高速艇 耕三寺の見学を終えて明日の厳島神社参拝に備えて宮島への移動です。瀬戸田港〜三原港間を高速艇が結んでいますのでそれに乗船しました。瀬戸内の風を受けての船旅は短い時間ですが気持ちの良いものでした。運航ダイヤは マルト汽船 を御参照下さいね。
乗船料:¥800 所要時間:約30分

28.三原港 みはらこう 13:53着

三原港からJR三原駅迄はのんびりと歩いても2,3分足らずの道程です。古くから瀬戸内の海上交通の要衝地として栄えた三原は、戦国時代に小早川氏の居城が造られたことから城下町としても発展したの。訪れた時の季節は秋−とういうことで、紅葉で知られる佛通寺や御調八幡宮など、心動かされる神社仏閣がありますが、後ろ髪を引かれる思いで素通りしました。

29.JR三原駅 みはらえき 14:33発

三原から広島までは各駅停車に乗車。新幹線を利用すれば半分程の所要時間で済みますが、三原駅に停車するこだまの本数が極めて少ないので新幹線を利用出来る場合は余程ラッキーな場合ですね。こだまを待つ間にさっさと在来線に乗り込んでしまった方が早く広島駅に着きますよ。乗車券:¥1,280 所要時間:約1時間

30.JR広島駅 ひろしまえき 15:38着 15:45発

当時は広島駅で列車を乗り換えましたが岡山〜下関(一部は岩国など)間を快速のシティーライナーが結んでいます。新幹線と違い多発していますし、こちらを利用すれば列車を乗り換える必要も無く、そのまま宮島口へ直行出来ますね。逆に広島駅での乗換を厭わない方には広島電鉄の宮島フリーパス¥2,000がお薦め。広島電鉄全線と宮島への連絡船「宮島松大汽船」に加えて、宮島ロープウェイの乗降自由という割引切符なの。通常ですと連絡船が往復で¥340、ロープウェイが往復¥1,700ですので電車賃がタダになってしまう計算ね。連絡船もロープウェイも乗るとすれば片道のみという方は先ずいらっしゃらないわよね。2日間有効ですので宮島に宿泊することも出来ますね。唯一の難点が広島駅から宮島口への乗車時間がJRのそれよりも30分程余計に掛かってしまうことね。乗車券:¥400 所要時間:約30分

31.JR宮島口 みやじまぐち 16:12着 16:40発

宮島フェリー 今では全国的に見ても珍しいJRの連絡船が就航しているの。広島電鉄グループの宮島松大汽船も並行して連絡船を運航、僅か10分程の航路を競いながら運航しているの。国鉄時代であれば民業圧迫と槍玉にあがりそうですが、民営化された今では逆に競争原理が働くからと歓迎する向きもあるのかしら。左掲は当時乗船したJR側の連絡船から併走する宮島松大汽船の連絡船を撮したものよ。乗船券:¥170 (片道・両者共)所要時間:約10分 多発

宮島松大汽船 ・ 宮島連絡船の詳しい情報 ・ JR西日本宮島フェリー

JR連絡船は09:10-16:10迄の全便を大鳥居便と名付け、弧を描くようにして海上に浮かぶ大鳥居に大接近してくれるの。連絡船の乗船だけなら元々鳥居側の航路を持つJR側に軍杯があがりそうですが、先程の割引切符の魅力も捨て難いですね。どちらを利用されるかは御覧の皆さんにお任せしますね。エッ?片道¥170なんだから宮島フリーパスを買い求めて往路だけ別料金を払ってJR連絡船に乗るって?う〜ん、広島電鉄もそういう使い方をされるとは思ってもいないでしょうねえ。それにしても乗船料が10年前から据え置かれたままとは。これも競争原理の賜物ね。

32.宮島桟橋 みやじまさんばし 16:50着

陽も暮れかけてきょうのところはおとなしく宿へと向かいました。この日は桟橋から歩いて5分足らずのホテルかめ福に宿泊しましたが、年月を経た今となってはその宿泊の印象も遠い記憶の彼方ということで御容赦下さいね。厳島神社の五重塔がライトアップされていましたので、夕食後に散歩がてらに表に出てみましたが、どこからか鹿がやって来て餌をねだられたの。最初は静々と近付く鹿でしたが危害を加えられないと知るや、そのおねだりの仕方が半端じゃないの。ごめんね、何にも持ってないの〜と云ってみたところで餌を寄越せとばかりに鼻先で背中をどつくわ、逃げても逃げても追いかけてくる始末なの。

鹿 鹿 鹿 鹿

慌てて開いていたお土産やさんに駆け込んで鹿せんべいを買い求めて来たのですが、今度はその凄まじい食べっぷりに、あっという間に一袋が無くなってしまいました。もう無いよお〜と云ってみても鹿には通じるはずも無く、もっと寄越せとばかりに、一頭には背中から小突かれ、前からは二頭が懐に鼻先を突っ込んでくるわ−で、キャアキャアと大騒ぎ。終いには鹿同志で喧嘩を始める始末なの。這這の体でその場を離れましたが、鹿に餌をあげる際には気合いを入れてトライしないと負けてしまいそうね。

ライトアップ 写真は鹿がやって来ないのを見届けてから撮った五重塔のライトアップです。対岸の街明かりを入れて撮ってみたのですが肉眼で見たようには撮れないわね。暗闇に朱色の塔が浮かび上がる様は海面に投影された光の帯と相まって幻想的な趣きでした。ξ^_^ξの拙い写真では残念ながらその雰囲気をお伝えすることが出来ませんので皆さん御自身の眼で御確かめ下さいね。

鹿 左掲は帰り道に見かけた二頭ですが、親子なのでしょうか、仲睦まじく寄り添っていました。先程の鹿と違い、どちらも穏やかで優しい眼をしているの。でも鹿って夜になれば森などのねぐらに帰る−と聞くのですが、ここ宮島では人のいるところの方が安全だと思っているのでしょうか、眼をこらしてみるとあちらこちらで鹿が脚を折り休んでいました。神鹿として大事にされて来た彼らにすれば宮島全域がねぐらなのかも知れないわね。

3日目:安芸の宮島めぐり

松島や天の橋立と共に日本三景の一つに並び称される安芸の宮島ですが、古くは島全体が信仰の対象だったの。弥山を背後にして海上に浮かび建つ厳島神社は推古天皇治世時の創建。1400年の時を経た今も旅人を魅了して止まない豪壮華麗な社殿を訪ねました。社殿に詣でた後には紅葉で有名な紅葉谷公園を抜け、ロープウェイで弥山にも登ってみました。

33.ホテルかめ福 ほてるかめふく 9:00頃発

ゆっくり観て歩くつもりで宮島へはもう一泊することを決めていたのですが、気分を変えて「宮島グランドホテル有もと」へ宿泊予約を入れていました。手荷物を持ちながらの散策は辛いので、先ずは手荷物を先にチェックインさせるべく今宵の宿へと向かいました。表参道商店街を抜け、五重塔を目指して歩きはじめましたが、左掲はその途中で仰ぎ見た五重塔の遠景です。

34.龍髭の松 りゅうぜんのまつ

龍髭の松

その五重塔の手前にあるのが塔之岡茶屋。今では宮島名物と云えばもみじ饅頭になってしまいましたが、ここでは嘗て名物と云われた太閤力餅を味わうことが出来るの。そしてこの茶屋にあるもう一つの名物が御覧の龍髭の松。茶屋の先々代が当時営んでいた宿の庭先に植えたものだそうで、建物の移築後もこの松だけは残されたの。その造形は五重塔と二重塔を模したもので、龍髭の松という名称も当時の厳島神社宮司の命名に依るのだとか。幹の長さは30mにも及び、毎年10cm程伸びて生長を続けているということでしたので今では31mになっている?

35.五重塔 ごじゅうのとう

唐様和様混合様式のこの五重塔は応永14年(1407)の創建と伝えられ、高さが約28mにも及び、高台に建てられていることもあり、街中の至るところから目にすることが出来るの。神社になぜ寺院にあるような仏塔があるの?と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、当時は神仏混淆の世界。それが明治期の神仏分離令を受けて、安置されていた仏像などはこの後紹介する大聖院に移されたものの、建物の管理は神社側に委ねられたの。

残念ながら内部は非公開なのですが、鳳凰などの極彩色の装飾画が描かれており、今でも色鮮やかに残っているそうよ。この五重塔のもう一つの特徴は心柱(しんばしら)が二層目までしか無いことなの。そんなんで強度的に大丈夫かしら?と思ってしまいますが、逆に揺れを生ずることで強風などから建物が守られているのだそうよ。度々災禍を経た厳島神社の社殿にあって、この五重塔が倒壊を免れていることを考えると、当時の建築水準が高度なレベルにあったのだと改めて感心させられますよね。前述しましたように、この五重塔は厳島神社の管理下にあるものの、厳島神社とは別格の社殿。なので拝観は自由なの。華麗な建築美を存分に御堪能下さいね。この五重塔ですが、瀬戸田の向上寺の三重塔に外観がよく似ていますよね。門外漢のξ^_^ξには細部の違いは分かりませんが、両者共唐様和様混合様式を取り入れたことからなのでしょうね。この五重塔が創建されたのは応永14年(1407)で、向上寺の三重塔は永享4年(1432)。と云うことはこちらの五重塔の方が先になるわね。建築時期が接近していますのでこの五重塔建築に携わった宮大工達が、その後向上寺三重塔建築に関わったのかしら?

36.千畳閣 せんじょうかく

千畳閣 千畳閣 五重塔と隣り合わせに建つのがこの千畳閣。豊臣秀吉の発願により天正15年(1587)から建築が始められたのですが、秀吉の死去に伴い、工事は中断してしまったの。未完とは云え、畳が千畳は敷けるという入母屋造りの豪壮な大伽藍(国重文)。この千畳閣も明治初期の神仏分離令の発布を機に豊国大明神を奉り、豊国神社本殿として厳島神社の別院となったの。昇殿料:¥100

昇殿した際の券面には金箔を施した軒瓦の写真が印刷されていましたが、完成していたらさぞかし豪華な伽藍となっていたことでしょうね。未完ということで、天井にも板張りが無く、大きな杓子が奉納されていました。畳が千畳は敷けるという千畳閣ですが、実際のところは千畳にはちょっと足りない857畳ほど。そうは云ってもその広さには変わり無く、筒抜けになった柱間から望む瀬戸内の海は一服の清涼剤でした。

37.厳島神社 いつくしまじんじゃ

古来より神が坐(ましま)すという御神体の弥山(みせん)を背後に抱え、流麗な朱色の社殿が海上楼閣さながらに海面に浮かぶ様は、古の人々を畏怖させるに充分であったはずよね。推古天皇元年(593)に創建され、後に平清盛に依り寝殿造りの社殿が造営されましたが、廻廊で結ばれた社殿は6棟が国宝、11棟が重要文化財に指定され、平成8年(1996)には世界文化遺産にも登録されているの。社殿だけで無く、その遺産指定範囲は宮島全島の14%にも及ぶの。二度の火災や度重なる台風等に依る災禍を被った社殿ですが、その度に修築され、遙かな時を経た今でも当時の遺構が比較的多く残されているの。拝観料:¥300

昇殿入口からは総延長300m余にわたり張り巡らされた回廊を辿りながら拝観するのですが、ふと足許を見れば礎石の上に木柱が載せられているだけで、基本的には建物の自重のみで建っているの。島全体が御神体となっているために、その御神体に杭を打ってはならぬと海上に造営され、今日に至っているの。以前、厳島神社のドキュメンタリー番組がTVで放映されましたが、大潮と台風が重なり、回廊の板張りが浮遊して建物が危険になり、神社の神官らが夜間にも関わらず、ずぶ濡れになりながら板張りを一枚一枚外している情景が映し出されていました。

訪ねた時には台風で能舞台が倒壊、平舞台もその一部が流失してしまい、修復工事が行われていました。旧暦の6月に行われる管絃祭では社殿の柱間に下がる燈籠に明かりが灯り、篝火を焚いた管絃船が社殿前の海上に浮かぶと云いますが、機会があれば実際に観てみたいものですね。市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)の三女神を奉る拝殿は、多少の増水時でも冠水せぬようにと数段高い位置に設けられていますが、平安絵巻を観られるその日を、三神もさぞ楽しみにされているのではないかしら。

社殿 拝観順路を抜けた所にある宝物館には平家一門や源頼朝、足利尊氏、毛利元就、豊臣秀吉などが奉納した品々が展示されているの。収蔵品の数は何と3,500点余にのぼり、武具を初め、能楽の面や楽器など多岐に亘ります。中でも平清盛が奉納した平家納経全33巻(国宝)が余りにも有名ですが、普段展示されているのはそのレプリカなの。模造品だろうと何だろうと構わないわ−と云う方はその華麗な色彩に平家一門の栄華を偲んでみて下さいね。入館料:¥300

社殿 どうしても本物が見たいの!という方は毎年10月末から11月末にかけて開催される秋の特別展に御出掛け下さいね。但し、一度に展示されるのは五巻だけなの。年毎に交替で順繰りに展示するので、全巻の実物を拝むとなると7年の歳月が必要よ。厳島神社の配置図や歴史的背景等の詳細は宮島観光公式サイト 人と神々が共に生きる島〜宮島 を御参照下さいね。

38.大願寺 だいがんじ

宝物館の斜め前に建つのがこの大願寺。厳島神社の華麗な社殿を観た後では些か地味な装いに見えてしまいますが、神仏分離令が発布される以前にはその厳島神社の造営・修理を司っていた寺院なの。開基は了海上人に依るもので、本尊の薬師如来像はあの弘法大師作と伝えられるの。だとすれば立派な寺院である訳で、どのような背景から厳島神社の修理・造営に関わるようになったのかは不詳ですが、面白い取り合わせですよね。拝観料:境内自由

この大願寺で有名なものが厳島弁財天。神奈川県の江ノ島弁財天、愛知県の竹生島弁財天と併せて日本三大弁財天と云われているの。芸能を司る女神でもある弁財天ですので、その道を目指している方は是非御参拝下さいね。ですが、残念ながら秘仏ということで普段は非公開なの。年一回(6/17)だけ特別開帳されますので、どうしても御尊顔を拝しながら参拝したいの−と云う方は機を捉えて御参拝下さいね。

39.多宝塔 たほうとう

宝物館から少し登るとあるのがこの多宝塔。嘗てこの地には多宝院という僧堂があり、今はこの塔だけが残されているの。高さ約16m程の二重塔ですが、先の五重塔と同じく、今では厳島神社の管理下にあるの。仏教建築としては非常に珍しい仕様の塔なのだそうですが、門外漢のξ^_^ξにはどこがどう珍しいのかは分かりませんので、皆さんの御賢察にお任せよ。塔の背後に立てば海上に浮かぶ大鳥居を前に、行き交う連絡船も視野に入って来るの。拝観料:境内自由

40.大聖院 だいしょういん

白糸川を沿うようにして上流方向に歩くとあるのが 大聖院 で、空海上人(弘法大師)が弥山で修行した際に開基(806年)したとされる古刹なの。鳥羽天皇の勅願道場ともなったことから天皇家との結びつきも深く、嘗ては厳島神社の別当職として法会などの祭祀を執り行っていたの。明治の大火で往時の伽藍は山門を残して悉く灰塵に帰し、現在の堂宇は幾れも後に再建されたものですが、行基作と伝えられる十一面観世音菩薩を安置した観音堂、豊臣秀吉が朝鮮出兵時に戦勝&海上安全を祈願して軍船宝丸に安置したという波切不動明王像がある勅願堂(本堂)など、真言宗御室派の大本山の名に恥じない陣容になっているの。拝観料:境内自由

傾斜地に堂宇が建つことから立体的な景観が楽しめ、境内からは瀬戸内の海を見下ろすことも出来るの。檜皮葺の唐破風造御成門には弥山本坊大聖院とあるように、霊峰・弥山の山頂周辺の諸堂も管理しているの。この大聖院からは弥山登山道(大聖院コース)が続きますので健脚の方はトライされてみては?軟弱なξ^_^ξは紅葉谷公園を抜け、ロープウェイの力を借りて登りましたが。

41.紅葉谷公園 もみじだにこうえん

弥山から麓に流れる紅葉谷川に沿うようにして整備された紅葉谷公園。宮島一の紅葉が見られるという触れ込みに足を運びましたが今まさに見頃を迎えて人、人、人の波。見上げれば微妙に色を違えた葉が折り重なるようにして競い合っていました。その様は空の碧さをバックに万華鏡を覗いているかのよう。多少の人出は覚悟の上で、紅葉が見頃を迎える頃に皆さんも是非一度訪れてみて下さいね。期待を裏切られることは無いと思いますよ。

42.紅葉谷駅 もみじだにえき

ロープウェイ 紅葉谷公園から歩いて10分程のところにあるのが 宮島ロープウェイ の紅葉谷駅。ロープウェイというと普通は目的地までは乗換無しに済むのですが、ここでは山頂手前のかや谷駅までは循環式、そのかや谷駅からは交走式に乗り換えるという、一度の乗車で二種類が楽しめる変則ロープウェイになっているの。後ろを振り返れば眼下に宮島口を遠景することも出来ますよ。料金:¥1,800(往復) 所要時間:約15分 多発

43.獅子岩駅 ししいわえき

眺望 周辺には展望食堂や野猿公園などもありましたが、一番の見処はやはり獅子岩展望台からの景観ですね。大きな岩がゴロゴロしていて全体的に海側に傾斜しているので気をつけて歩かないと危険な展望台ですが、眼前に広がる壮大なパノラマは是非皆さん御自身の目で御確かめ下さいね。晴れ亘った秋晴れの空とは云えませんでしたが、瀬戸内海に浮かぶ島々を遠景することが出来ました。

当時は知らずにいたのですが、この展望台に転がる岩から三万年前〜紀元前二千年頃の超古代文字、ペトログラフが発見されたとのこと。俄には信じ難いのですが、古代海洋民族が瀬戸内の海を回遊していたのかしら。ひょっとして獅子岩はその古代海洋民族の祭祀遺跡?考古学では日本最古の文字は今のところ三重県の大城遺跡から出土した土器に刻まれた『奉』と覚しき文字で、土器の年代から弥生後期とされているの。だとすると2世紀の前半と云ったところね。一方のペトログラフはメソポタミヤの楔形文字よりも更に古い表象文字とのことで、そんな話を耳にするに及んではムー大陸にも繋がっていくのでは?と遠大な浪漫さえ感じられて来ますね。知らぬこととは云え、その岩を踏み台にして周囲の景観に見とれていました。

周辺には野猿公苑もありますが猿はちょっと−という個人的な理由でパス。本当は弥山の頂上を目指したかったのですが往復するだけでも一時間は掛かるというので断念しました。弘法大師も修行し、修験者達もこぞって山中に籠った霊峰には小さな堂宇が原生林に隠れるようにして点在し、弥山の七不思議と呼ばれる云い伝えや岩などがある−と聞いて興味を覚えていたのですが。

44.紅葉谷駅 もみじだにえき

獅子岩展望台で絶景を堪能した後は再びロープウェイに乗車して紅葉谷駅まで降りて来ました。健脚で時間の余裕のある方でしたら弥山の山頂展望台からの景観を楽しみ、諸堂を見て歩いた後に弥山登山道(大聖院コース)を下ってくるというのも良いかも知れませんね。

45.大鳥居 おおとりい

砂浜 普通でしたらここで帰路となるのでしょうが、宮島にもう一泊する理由がこの厳島神社の大鳥居。実は干潮時には傍まで歩いて行ける−ということでしたので是非にと思っていたの。紅葉谷から戻る頃にはすっかり潮も引いて絶好のコンディションでした。ここで再び拝観料を払い昇殿。社殿は既に見学済みでしたので早速砂浜に降りてみました。一面のアオノリが砂浜を覆いますが、潮の加減でしょうか、この辺りだけで、海藻などの浮遊物や逃げ遅れた小魚などがいるかと思いきや、その先は綺麗な砂浜が広がっていました。

足許が泥濘る訳でもないので容易に大鳥居まで歩いて行けました。潮干狩り気分で辺りを掘り返してみたのですが、残念ながら収穫は何もありませんでしたね。そして念願の大鳥居との接近遭遇ですが、画面下に他の観光客の方々が写りますので、その大きさを容易に想像して頂けますよね。クスノキを使い、自重で建つようにと支柱が組まれた四脚造りになっているの。現在のものは8代目で明治8年(1875)に建てられたもの。高さ約16m、棟長約23m、支柱が一番太いところで10mはあろうかという巨大な鳥居なの。

海水に浸かる根元はフジツボなどが群がり、侵食と腐食でボロボロ状態。今ではこんなクスノキの大木は容易には見つからず、建て替えが必要になった時にはどうするのかしら、コンクリート製になるの?宮島の象徴として、このままいつまでも建ち続けていて欲しいものですね。コンクリート製ではちょっと味気ないですものね。

46.宮島グランドホテル有もと みやじまぐらんどほてるありもと

もみじ饅頭 大鳥居との接近遭遇を終え、宿へ向かうにはちょっと時間がありましたのでお土産やさんを覗いてみました。宮島といえば何と云ってももみじ饅頭ですよね。千円札で御馴染みの伊藤博文はこの宮島の風光明媚な景観が大分お気に入りだったようで、弥山山頂からの眺望を殊の外愛でているの。紅葉に染まる紅葉谷を訪れることも多く、ある日茶店の娘さんがお茶を差し出したところ、その娘の手を取って−モミジのような可愛いい手じゃ、焼いて食べたらさぞ美味しかろう−と戯れ言をのたもうたそうな。それを伝え聞いた土産物店の女将が菓子職人にモミジの葉を型取って焼かせたのが始まりだとか。それが今では20軒もあるという過当競争状態になっているの。

そんな中で元祖もみじ饅頭の看板につられて入ったのが博多屋さん。今ではチョコやクリームにフルーツ等など何でもあり−の感がしますが、ξ^_^ξのお気に入りはチーズもみじ。お土産に持ち帰るのもいいのですが、店先で焼き立てを味わうチャンスがありましたら、是非御賞味下さいね。

宮島のもう一つのお土産が杓子(しゃくし)なの。最初に見た時には−なあにぃ〜、ただの杓文字じゃん(笑)状態。宮島では杓文字(しゃもじ)のことを杓子と呼んでいるの。普通は杓子と云えば、御飯と違い、汁物をよそう時に使うものよね。よく時代劇で囲炉裏に架かる鉄鍋からお椀によそう時に使ってますよね。木製のサラダ・スプーンを大きくしたものを想像して貰えばいいかしら。ところがこの宮島ではその杓子が杓文字で、杓文字が杓子で(笑)・・・。それなら宮島の方達は本来の杓子を呼ぶ時には何と呼ぶのかしら?と天の邪鬼なξ^_^ξは思ってしまいましたが、今では杓子を使う御家庭もないでしょうから実害は無いのでしょうね。

宮島で杓子が作られるようになったのは、表参道商店街近くに光明院というお寺があるのですが、そこの誓真という修行僧が弁財天の夢を見たことから弁財天の持つ琵琶の形にヒントを得て、宮島の人々に姿形の似た杓子を作り土産物とするように奨めたことに始まるとされるの。後に、飯を取る−から「飯トル」となり、敵を召し捕る、当選&必勝をメシとる−などと縁起を担ぐようになったものなの。そう云えば千畳閣の屋根裏にも巨大な杓子が奉納されていましたよね。

4日目:城下町・岩国

旅も最終日を迎え、このまま帰路に着くのも勿体無いと錦帯橋で知られる城下町・岩国に足を延ばしてみました。吉香公園内に数多く点在する観光施設ですが、公園を離れて寄り道してみた紅葉谷公園が殊の外素敵でした。
補:一部の画像は拡大表示が可能よ。見分け方はカ〜ンタン。

47.宮島桟橋 みやじまさんばし 9:25発

残念ながらこの日は生憎の曇り空で今にも泣き出しそうな空模様。厳島神社を参拝した昨日は旅人に優しい三女神でしたが、宮島を去るに際しては冷たい仕打ち。けれど紅葉谷公園で燃え立つばかりの紅葉を見せて下さっただけでも感謝しなくては。先ずは連絡船に揺られて宮島口へ向かいました。乗車券:¥170 所要時間:10分

48.JR宮島口 みやじまぐち 9:35着 9:52発

乗車時間に余裕がありましたのでここでちょっと寄道。歩いて3分程のところにある宮島口郵便局で記念貯金。大鳥居の絵柄の入る局印を期待したのですが残念ながら文字だけでした。鳥居は赤で、局名は黒のスタンプを作ってくれないかしら−とは旅人の身勝手な我儘で。記念貯金を終えたところで駅に戻り、列車に乗り込みました。宮島口から岩国までは各駅停車でも20分程の乗車時間。乗車券:¥320

49.JR岩国駅 いわくにえき 10:12着 10:26発

岩国駅からは岩国市営バスに乗り込みましたが、今ではレトロ調のいちすけ号が運行されているの。ボンネット型のバスは最近各地で見かけるようになりましたが、ここ岩国では路面電車を模したような珍しい電車型なの。それもそのハズ、日本で初めて電車を設計した、日本のエジソンと呼ばれる藤岡市助氏が岩国の出身であることから、同氏の名前に因んだ名称と外観になっているの。詳しい情報は 岩国市交通局 を御参照下さいね。乗車券:¥240 所要時間:20分 毎時00発

50.錦帯橋BT きんたいきょう 10:41着

バスを降りると錦帯橋は目と鼻の先。木組みの優雅な景観を見せるこの橋は日本三名橋の一つとして知られ、岩国のシンボル的な存在となっているの。元は岩国藩の三代藩主・吉川広嘉が架橋を命じて造らせたものですが、当時の錦川は洪水を繰り返す暴れ川で、増水時にも流されるようにとこの反り橋構造が採用され、その後幾度かの流失や損壊に依る修復・再建を経ながら、架橋当時の構造を保ち続けて現在に至っているの。錦帯橋入橋料:¥220 (往復) 岩国城ロープウェイ乗車券:¥540 (往復) \入城料:¥260 3点セット:¥840

錦帯橋 訪ねた当時の錦帯橋は昭和28年(1953)に架け替えられたものでしたが、老朽化して傷みが目立つようになり、平成13年(2001)より平成の架替工事が行われました。渇水期(12〜03月)に工事は行われたのですが、鉄筋を打ち込んでコンクリートを流すという訳にもいかず、現在の機械化を以てしても3年掛かりの大工事。′04.03には第三期工事を終えて50年振りに新しくなりました。

遠目では優雅な佇まいを見せてくれる錦帯橋ですが、訪ねたときの橋の床面にはモトクロス用のバイクが力任せに走り抜けたと覚しき轍跡がありました。木製の床板がささくれ立って、それはもう悲惨な有様でした。心ない方の犯行ですが、橋の保存維持には多くの方々の労苦があればこそ、こうして美しい景観を目にすることも出来る訳よね。愚かしい蛮行をする輩には厳罰を以て処して貰いたいと思った次第よ。

CoffeeBreak ところで皆さん、日本三名橋ですがこの錦帯橋の他はどこの橋だと思われます?答えは東京の日本橋と長崎の眼鏡橋。錦帯橋と眼鏡橋には異論は無いのですが日本橋となると。歴史的な背景などに依るのでしょうが、他の二橋が風情ある佇まいを見せてくれるのに対し、日本橋の方は左程の情緒は感じられないのですが、皆さんの御感想は?

錦帯橋を渡る錦川の対岸には「槍倒しの松」があるの。槍を地面に突き立て威張りくさる侍の姿を忌々しく思い、枝を槍に見立て横にして育てたものだそうで、さしずめ突き立てられた槍を足で蹴っ飛ばした−といったところね。当時はそんなことをしたら忽ち斬り捨て御免ですから、庶民のささやかな反骨精神の現れだったのでしょうね。その枝越しに観る錦帯橋の景観も素敵でした。

大河ドラマや映画で有名な宮本武蔵ですが、吉川英治はその著作の中で佐々木小次郎の出生地をこの岩国としているの。槍倒しの松から少しだけ南に下るとその佐々木小次郎が燕返しを編み出した場所と伝わる「巌流所縁の柳」があるの。因みに、吉香公園の一角には長刀を振りかざす佐々木小次郎の像もあり、小次郎はこの錦川の河川敷で剣術を練っていたそうで、長刀を背に泰然と錦帯橋を渡っていたのかも知れませんね。

錦帯橋を渡り終えて更に進んだ先には錦帯橋を造営した岩国藩三代藩主・吉川広嘉公の銅像が建てられているの。その右手にあるのが岩国石人形資料館で、錦川から採取した石を使う石人形が展示されています。最初は河原の小石かと思っていたのですが、実際には錦川に棲息するニンギョウトビケラの巣がその正体。この人形(ひとがた)をした石人形と錦帯橋には悲しい云い伝えが残されているの。ここでは昔話風にアレンジしてお届けしてみますね。

この錦川は昔から暴れ川でのお、大雨が降るたんびに洪水になってそりゃあ大変じゃった。橋も流されるたんびに架けかえたんじゃが、ひとたび増水すりゃあ直ぐに流されてしまうでのお。お殿様の広嘉公が粋を集めて造らせた橋も僅か一年程で流されてしまうほどじゃった。架けても架けても流されてしまう錦川の傍若振りに、町衆はほとほと困り果てておったのじゃ。やがて橋を架ける際にはその土台に人柱を立ててみよう−ということになっただけんども、誰一人、自分からすすんで人柱になろう−なぞと思う者なぞおらんかった。

思案にくれておったある日のことじゃ。そんな話を耳にした一人のお侍さんがやって来て、自ら人柱になることを申し入れたそうじゃ。そころがのお、そのお侍さんには美しい娘が二人もおってのお。父親からその話を聞かされた二人の娘は殊の外嘆き悲しんでのお、何とか思いとどまるようにと頼み込んでみたんじゃが、頑として聞かなかったそうじゃ。仕方なく説得を諦めた二人の娘じゃったが、人のためとは云え、自分達の父親を失うには忍び難く、ならばいっそ二人して父親の身代わりになろうと決めたそうじゃ。

そうしてのお、約束の日となった朝早く、白装束を纏った二人の娘は、父親に気付かれぬように、そおっと家を抜け出したそうじゃ。そうして錦川に辿り着いた二人の娘は、手を取り合って荒れ狂う川面に身を投げたのじゃ。二人の姿が川面に消えるとたちどころに川の流れが止まったそうじゃ。それからというもの、架け替えられた橋は流されることも無くなってのお、きっと人柱となった美しい二人の娘が石人形となって、橋を見守り続けてくれているんじゃろうのお。

51.吉香公園 きっこうこうえん

吉香公園は岩国藩主・吉川家の旧居跡を公園にしたもので、広大な園内には国重要文化財に指定される目加田家屋敷や錦雲閣など、城下町・岩国の風情を満喫出来る建物が点在しているの。ちょっと変わった噴水があるというので先ずはそちらを訪ねたのですが、残念ながら噴水は止められていました。なので、どんな水飛沫をあげてくれるのかは分からず終い。瓦を冠した白壁が張り巡らされ、植栽された木々も紅葉期を迎えていました。

52.紅葉谷公園 もみじだにこうえん

吉香公園の噴水を観たところでちょっと寄り道をしてみました。ここ岩国にも紅葉谷公園があり、紅葉が綺麗−と聞いていましたので。正直なところ余り期待せずにいたのですが、辿り着いてみれば今まさに紅葉の絶頂期を迎え、もみじが赤く燃え立っているかのようでした。かえすがえす雨模様だったことが悔やまれますね。知名度が余り無いのでしょうか、ξ^_^ξ達の他には訪れ来られる方も無く、静かな佇まいの公園でした。

公園



ここで紅葉谷公園界隈を駆け足で紹介してみますね。

吉香公園の隣にある吉川家墓所には岩国藩吉川家の歴代藩主が眠ります。石灯籠や手水鉢が多く、初代藩主・広家の墓の傍らには少し変わった「みみずくの手水鉢」があるの。どんな云われがあるのかは不詳ですが、広島藩の茶人・上田宗箇から贈られたものだそうで、みみずくが彫り込まれているの。吉川家墓所からはその吉川家の菩提寺である永興寺、樹齢300年を超える臥竜梅があることで知られる洞泉寺と続きます。

緩やかな坂道を上るとあるのが岩国出身の宇野千代の代表作・おはんの文学記念碑。更に歩みを進めたところには広場があり、一角には六角亭が建てられているの。界隈は何処となく京都辺りの寺院を観て歩いているような風情。聞けばそれもそのはず、この紅葉谷公園は嘗ての寺院庭園を公園化したもので、吉香公園ほどの広さはありませんが、紅葉期であればこちらの紅葉谷公園の散策の方が断然お薦め。騙されたと思って一度お出掛けになってみて下さいね。

53.吉香公園 きっこうこうえん

紅葉谷公園を後に、再び吉香公園に戻りました。
園内には岩国藩に因む建物や資料館が点在しますが、その主なものを紹介してみますね。

香川家長屋門
岩国藩の家老職にあった香川家の云わば正門。名工・大屋嘉左右衛門に依る建築で、屋根瓦の一枚一枚に家紋を施すほどの懲りよう。当時の武家屋敷の有り様を今に伝えているの。(県重要文化財)
目加田家住宅
こちらは中級武士の武家屋敷。木造二階建の入母屋造りですが、さすがに香川家長屋門に較べれば簡素な造りね。(国重要文化財)
錦雲閣
嘗ての三階建の南矢倉を明治期に移設して吉香神社の絵馬堂としたもの。
掘割りに面して佇む風情が趣を添えているの。
吉香神社
岩国藩歴代藩主を祭る神社。(県指定重要文化財)
岩国歴史美術館
当時はにしむら博物館の名でしたが、創立者の西村重則氏が全国から収集した刀剣・甲冑等の武具が数多く展示されているの。入館料:¥500

園内には他にも吉川家伝来の美術品や古文書を展示する岩国徴古館や吉川資料館などがありますが、全てを観て廻るにはそれなりの時間が必要ですね。なのでどこを観て歩くかは御覧下の皆さんに御任せしますね。歴史なんて興味無いわ−という方はしょうぶの花が咲く6月上旬〜下旬頃に訪れてみては?。園内にはその数35,000株余りのしょうぶが植えられているの。

54.白蛇観覧所 しろへびかんらんじょ

ロープウェイ山麓駅の近くには世界的に見ても珍しい白蛇を見ることが出来る観覧所がありました。元々はアオダイショウだったものが、突然変異で色素が失われたものが現れたそうですが、雌雄双方が現れたからこそこうして子孫を残すことが出来る訳で、偶然とは云え貴重種ですよね。普通は蛇と聞いただけでもぞっとしますが、ここの白蛇は眼も赤く、実際に見てみると白というよりも黄色というか、黄金色の綺麗な色をしていて神々しい面持ちなの。見学料:¥100

錦川流域で米作が広く行われていた頃は米蔵に住みつく鼠を餌としていたそうで、有益をもたらす蛇として、また現在と違い、木造家屋でしたので、屋根裏に潜む鼠を狙い白蛇が住みつくことも多く、幸運を呼ぶ家の守り神としても大切にされてきたの。けれど時代を経て都市化が進み、建物の近代化などの環境変化で生息数が減少。今では保存会を中心にした方々の手に依り繁殖飼育が行われているの。(国指定天然記念物)

55.ロープウェイ山麓駅/山頂駅(城山)

景観 観覧所近くの山麓駅と岩国城のある城山山頂をロープウェイが結びます。僅か3分余りの短い乗車時間ですが、山頂駅から岩国城までは更に10分程歩かなければいけないの。
乗車券:¥540 (往復) 約20分毎発

56.岩国城 いわくにじょう

岩国城 岩国城は初代藩主・吉川広家が慶長13年(1608)から5年掛かりで築城したものなのですが、幕府より一国一城令が発布され、築城後僅かに7年で取り壊しの憂き目にあっているの。現在の岩国城は昭和37年(1962)に再建されたものなのですが、城内には吉川家所縁の刀剣や甲冑などが展示され、天守閣からは岩国市内も一望の下。残念ながらこの日は生憎の雨模様でしたが、晴れていれば遠く瀬戸内海も遠望出来るの。入城料:¥260 約30分所要

57.ロープウェイ山頂駅/山麓駅/吉香公園/錦帯橋/岩国西郵便局

遠景 岩国城見学を終えて再び錦帯橋まで戻りました。此度の旅もこれにて全行程を終了です。最後に錦帯橋への来訪記念にと岩国西郵便局に立ち寄り記念貯金。錦帯橋の絵柄が入る局印にニンマリしながら表に出たのですが、御何か食べようかと辺りを見回してみたもののそれらしき建物も見当たらず。諦めて折り良く現れたバスに飛び乗りました。運賃:¥240 約15分所要

58.JR岩国駅 いわくにえき 14:36着 15:47発

駅周辺案内に岩国郵便局を見つけ再び記念貯金。時間の余裕があるとどうも余計な出費が増えてしまいますね。適当に歩きながら何処か食事でも−と思いつつ、結局口にしたのはハンバーグ定食。岩国まで来てそれはないよね−とは思ってはみたのですが、空腹感の極みに耐えかねて適当に飛び込みました。お腹を満たしたところで列車に乗り込みました。乗車券:¥740 所要時間:1時間15分

59.JR広島駅 ひろしまえき 17:03着 17:05発

帰路には空路利用にしましたので広島駅からは空港連絡バスに乗車。
乗車券:¥1,300 所要時間:約50分

60.広島空港 ひろしまくうこう 17:53着 18:45発

搭乗したのが平日ということもあり機内はスーツ姿の方が殆どでした。明日からはξ^_^ξも仕事に向かわねば−と思いつつ、この時ばかりは「皆さん、お仕事大変ですねえ〜」と密かに優越感(笑)を味わいました。明日は我が身で、きっと机が見えない状態になってるだろうな−と一抹の危惧を覚えながら。料金:¥23,400 (通常料金)′03.08 現在 所要時間:1時間20分

61.羽田空港 はねだくうこう 20:00着


折角電車賃をかけて行くんだもの−と些か欲張りな旅でしたが、尾道やしまなみ海道はじっくりと時間を掛けて巡りたいものですね。そのしまなみ海道も全線が開通し、四国への通り抜けも容易になりましたので色々なプランが組めそうね。明るい陽射しを浴びながら瀬戸内の島巡りも楽しそう。そうそう、安芸の宮島の厳島神社も素敵でした。けれど時間と根性が無くて、弥山山頂に登らずに終えたのがちょっと心残り。幾ら欲張ってみたところで一度だけではその全てを見ることも、その良さも分かりませんよね。無名でも感動を与えてくれる景観に出逢うことも数多くありました。そんな光景に出会えるのも旅の楽しみ。コースとしては余り参考にならないかも知れませんが、少しでも旅する楽しみをお伝え出来たらと思います。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥






どこにもいけないわ