≡☆ 尾名浦海岸と鵜原理想郷 ☆≡
2007/05/26

春のうららかな陽射しに誘われて外房の鵜原理想郷を歩いてみたの。鵜原は以前にも訪ねてみたことがあるのですが、当時は駆け足で通り過ぎただけでしたので、今回は潮の香に身を任せながらの気儘な散策をしてみましたので紹介しますね。一部の画像は拡大表示が可能よ。見分け方はカ〜ンタン。

尾名浦海岸〜海の博物館〜勝浦海中公園〜鵜原理想郷〜鵜原海岸

1. JR新宿駅 しんじゅくえき 7:19発

新宿わかしお

外房に出かける際のお決まりコースで、新宿駅からは7:19発の「新宿わかしお号」に乗車しました。ちょっと頑張って早起きすれば南房総方面への日帰り散策も可能になる便利なダイヤなのですが、残念なのは車内販売のサービスが無いことね。発車間際に滑り込みセーフで飛び乗った迄は良かったけれど、目的地まで何も口にすることが出来なかったの−なんてことが無いように、時間の余裕をもって早めにお出掛け下さいね。だいじょうぶ、朝食は済ませてきたから平気よ−と云う鶏みたいな方(笑)は別ですが、乗車前に駅構内やホームの売店で忘れずに朝食と飲み物をGetしておきましょうね。乗車券:¥1,890 特急券:¥1,300

2. JR勝浦駅 かつうらえき 9:08着 9:15発

勝浦駅 駅のホームに降り立つと、屋根の支柱には御覧のように色とりどりの花が飾られていたの。駅の職員の方々によるものなのか、それとも地元の有志の方々によるものなのかは分かりませんが、朝夕の通勤時の無味乾燥なホームの景色を見慣れた目にはとりわけ新鮮に映るの。観光地にありがちなこれ見よがしの派手さでは無いだけに、逆に心を和ませてくれる演出よね。

小湊バス 鵜原理想郷に向かう前に先ず尾名浦海岸を目指しましたが、下調べをしていた際に同海岸を穴場的な名所として紹介するサイトがあり、掲載されていためがね岩の素敵な景観写真に触発されてコース設定してみたの。さて、そのアプローチですが、自分の足と公共の交通手段を利用する以外に手立てを持たないξ^_^ξは、必然的に路線バスに乗車するしか無くて。ところが、そのバス(小湊バス)の運行本数がメチャクチャ少ないの。利用出来そうなダイヤを掲載してみると・・・

08:55発 興津経由 松野行 (平日・土曜のみ)
09:15発 簡易保険保養センター行
10:35発 海中公園・海の博物館行(土日のみ)※But ′07.05 現在の情報ですので御注意下さいね。

と云った具合なの。この後に11:55発の興津経由松野行もあるのですが、これでは殆ど午後の範疇ね。オマケに運行路線もこの三系統に限られることから必然的に9:15発の簡易保険保養センター行に乗車する以外に選択肢は無いの。乗り遅れてしまったら仕方ありませんね、駅前に常駐するタクシーを御利用下さいね。小湊バス 鵜原経由 保養センター行 ¥180

3. 松部BS まつべ 9:20着発

勝浦湾

バス停に記載されていた時刻表では9:23着なのですが、途中で乗り降りする方も無く、道路も空いていることから早めの到着よ。運行本数が極端に少ないにも関わらず、乗客はξ^_^ξ達の他には地元の方が数人だけの状態で、いずれは廃止の運命なのかも知れないわね。バスを下車して2、30m程戻ると松部漁港の信号がありますので、そのT字路を右に折れて海沿いの道を歩きます。漁港といっても、云われなければそれと気づかずに通り過ぎてしまいそうな小さな港ですが、その道すがらに見つけたのが次に紹介するバス停なの。最初にこれを見つけた時には−こんな便利なバスがちゃんとあるじゃないの。だったら最初から教えてくれたらいいのに〜状態。

4. 松部港BS まつべこう 9:23着発

バス停

ですが、近づいて時刻表をよく見てみると、何と運行本数は1日3本のみで、更に驚いたことに火・木曜日だけの限定運行とあるの。事情を知らないξ^_^ξは幾らローカル路線だからと云って「何なの?このバス!」と唖然としてしまいましたが、この後紹介する勝浦海中公園に向かう道すがらにも幾つかのバス停がありましたので、その存在が気になり、帰宅後に調べてみたのですが、何と、勝浦市が独自に運行する市民バスだったの。勝浦市民でなくても利用出来るようなのですが、平日に旅が出来る余裕のある方でも無い限りは体験乗車は難しそうね。それでも乗車してみたいの!と云う方は 勝浦市HP からくらしの情報→交通→市民バスへとリンクを辿ってみて下さいね。

紹介している市民バスですが、勝浦市では 2014.10.01 から予約制の乗合タクシーに移行したの。
なので、ここでの記載内容は訪時のこととして御了承下さいね。

隧道 新勝浦市漁協の建物に向かう道を通り過ぎると、道は「大型車は通行不可」の看板のあるT字路に突き当たりますので、それを左手に進みますが、直ぐにこの船附隧道が見えてくるの。この隧道を通り抜けると尾名浦になるのですが、「めがね岩」のある尾名浦海岸はもう一つ隧道を潜り抜けたところにあるの。そのもう一つのトンネルが尾名浦隧道ですが、その出口側に壁面から水が湧き出している箇所があり、実はそこで意外な生き物を見つけてしまったの。

5. 尾名浦隧道 おなうらずいどう 9:33着 9:37発

尾名浦隧道

連れが通り抜けざまに「ねえねえ、お魚が泳いでいる!」と水溜まりの中に偶然それを見つけたのですが、眼を凝らして見ていると、時折ちょこちょこと小さな魚らしきものが動き回る姿が見えたの。確かに海は目と鼻の先だけど、川があるわけではないので遡上出来る状態にはないし、となるとこの水溜まりに自然発生したと考えるのが妥当よね。何とかその小魚の正体が知りたくて更に覗き込んでいたのですが、沈んだ木の葉の色に同化していて分かりづらいの。その色からしてカエルのオタマジャクシかとも思ったのですが、泳ぐ姿は似て非なるものだし・・・

水たまり

そこへ偶然に地元の方が車で通り掛かり、「良く気がついたねえ、それ、山椒魚のこどもだよ」と教えてくれたの。聞けば、山の中に昔の石切場跡があって、普段はその窪地に出来た池に棲みついているのですが、雨が降ったりして湧き水の水嵩が増えると、こどもの山椒魚は流されて来てしまうとのこと。そう云えば、昨日は雨が降ったみたいですけど、となるとこの水溜まりは一年中あるわけじゃ無いですよね、水が涸れちゃったらこの山椒魚のこども達はどうなっちゃうのかしら?と訊ねてみたのですが、「さあ、どうすんだか、気がつくとみんないなくなってるから」とのことでした。

ちょっと調べてみたのですが、ξ^_^ξ達が出会った山椒魚はトウキョウサンショウウオと云う種類みたいね。加えて成体への変態を遂げる前の幼生の姿をしたもので、早い話しがオタマジャクシ状態だったわけ。オマケに流されて来たと云うのも彼らにとってはどうやら想定内と云うか、待ち望んでいた出来事のようで、水溜まりの中で成体に変態するとやがて陸上生活を始めるようになるみたい。両生類だからと云って、水がまるっきり無いところではさすがに生きてはいけないみたいだけど、雑木林などの土中を住処とするようで、湿り気を帯びた木の葉は生命のゆりかごと云うわけね。

何も知らずにいたξ^_^ξは、TVなどで見掛けるオオサンショウウオの姿から、その多くを渓流などの水中で暮らすと勝手に想像していたのですが、同じ山椒魚でもトウキョウサンショウウオは異なる生態を持っているみたいね。まさかこんなところで山椒魚に出会えるとは思いもしませんでしたが、この辺りには彼らの生命の営みを支える自然が未だ残されている証でもあるわね。そうは云うものの、周囲こそ緑豊かな雑木林になってはいますが、コンクリート壁に設けられた水抜き溝からは水道の蛇口よろしく噴き出す雨水に、アスファルトに覆われた道路の側溝と云う環境は、小さな生命(いのち)にはそれこそ命懸けの試練の場かも知れないわね。無責任な旅人のξ^_^ξが出来るのは、今以上に手を加えられることが無いようにと希むこと位しか出来ないけど。

6. 尾名浦海岸 おなうらかいがん 9:40着 9:56発

尾名浦隧道を抜けて程なくすると小さな砂浜が見えて来ますが、それが尾名浦海岸で、入り江に浮かぶようにしてめがね岩があるの。普通はメガネと云うと双眼なのですが、ここでは単眼なのにめがね岩と呼ばれているの。ここでは同じメガネでも、望遠鏡を指す古いことばの遠めがねに由来しているのではないかしら。ポッカリと開いた円窓からは勝浦市内が遠望出来て、立つ位置を変える毎に、異なる景観を楽しむことが出来るの。その造形美にたすけられて人工的な建造物が視野の中にあったとしても不思議と自然の中に溶け込んで見えてしまうの。

残念ながら前日の荒天で海面には浮遊物が漂う状態でしたが、それでも晴天に助けられて念願の景観を瞼に焼き付けることが出来たの。ξ^_^ξの拙い写真ではその時の印象を再現することは出来ませんが、めがね岩の景観写真を数多く載せたサイトを見かけませんので、参考までに纏めてアップしておきますので「見てやろうじゃねえか!」と云う方は上の画像をクリックしてみて下さいね。本当はもっと接近したかったのですが、足を滑らせてずぶ濡れになることを覚悟しない限りはちょっと無理のようね。

7. 砂子ノ浦 さごのうら 10:00着 10:12発

石標 めがね岩の景観に満足したところで砂子浦隧道を潜り抜けて勝浦海中公園を目指しましたが、地図上に砂子ノ浦観音の文字が記されているのを見つけ、どんな観音さまが祀られているのか気になり、ちょっと寄り道してみたの。砂子の浦は漁船が数隻係留される小さな湊があるだけで、最初は辺りを見回してもそれらしき建物も見あたらず、一時は諦めかけたの。傍らには場違いのように石柱が建てられていましたので、僅かにこの墓塔のみを残して廃寺になってしまったみたいね−と勝手に解釈していたの。

観音堂 でも、何で一基だけ残されてしまったのかしら?と気になり、近づいてみたところ、石塔は墓石ではなくて観音堂の石標だったの。改めて脇道を見ると、海に向かってそのまま途切れているように見えた道が、途中からは右に折れて更に岬に向かって続いていることが分かり、観音堂への参道かも知れないわ−と辿ってみたの。左掲がその観音堂ですが、無住のようね。参道では近在の方が一人、掃除をされている光景を目にしましたが、たおやかな信仰に支えられて、境内も綺麗に手入れがされていたの。拝観料:境内自由 お賽銭:志納

その観音堂の前に広がるのが御覧の砂子の浦で、先程訪ねためがね岩の位置は雲が浮かぶ下辺りになるのですが、周囲の景観にすっかり溶け込んでしまっていて、ここからではその姿形も分からないわね。クリックすると拡大表示が出来ますのでその位置を推理してみて下さいね。

8. 吉尾漁港 よしおぎょこう 10:18着 10:21発

吉尾漁港 黒ヶ塙(黒鼻)隧道を抜けると吉尾漁港がありますが、断崖の上に神社らしき建物を見つけて訪ねてみました。遠目でもその参道はかなりの急階段に見えて、神社の佇まいもさることながら、その急な石段が気になったの。そうして、いざ、その石段の前に立つと改めてその急傾斜に驚かされたの。体感的には70°はあるんじゃないかしら。手摺りがあるので登ってみようかしら−と思いますが、無ければ恐怖が先に立って足がすくんでしまいそうよ。

9. 神明神社 しんめいじんじゃ 10:22着 10:26発

石段 急な石段を登ると鎮座するのが神明神社。詳しい縁起は不明ですが、【千葉県夷隅郡誌】には、祭神は大日霎貴命(おおひるめむちのみこと)で、承應2年(1653)に勧請されたものと記されているの。聞き慣れない神名かも知れませんが、この大日霎貴命と云うのは天照大神(あまてらすおおみかみ)のことで、その天照大神を祀る社の総本家は皆さんも良く御存知の伊勢神宮(内宮)よね。拝観料:境内自由 お賽銭:志納

社殿 房総は古くから紀伊(三重&和歌山県)との繋がりも深く、この神明神社の創建に先立つ寛永年中(1624-1643)には鰯の好漁が紀州漁民の間でも噂に上るようになると漁場を求めて盛んに出漁して来るようになり、一部の漁師達はこの房総に土着して地元漁民に漁業技術を伝えるなどしたみたいね。ここからはξ^_^ξの勝手な想像ですが、この吉尾にもそういった紀州漁民が定住して財を成すなど成功したのでしょうね、改めて紀州からこの地に天照大神を勧請したのではないかしら?

景観 ここでは社殿前からの吉尾漁港の眺めが素敵でした。キャンバスを前に絵筆を握れば絵心の無いξ^_^ξでも素敵な絵が描けそうな気がしてくるの。

10. 吉祥寺 きっしょうじ 10:26着 10:29発

吉祥寺 その神明神社と境内を接するようにしてあるのが吉祥寺。寺史など詳しいことは分かりませんが、緑に囲まれて静かに佇む姿からはここが漁港のそばだとはとても思えないわね。境内には地元の方が香華する姿もありましたが、ひとたび出漁すれば海の上では荒れ暮れ男(ごめんなさい)に変身する漁師さん達も、神仏の前では殊の外敬虔なの。時に厳しい自然の営みと向き合いながら生活の糧を得ている漁師さん、その怒りを畏怖して御先祖さまに加護を祈る姿は険しさを知るが故のものね。拝観料:境内自由 お賽銭:志納

11. 海の博物館 うみのはくぶつかん 10:34着 11:30発

海の博物館 吉尾漁港を後に吉尾隧道を潜り抜けると目の前には太平洋が広がりますが、周囲を含めて勝浦海中公園に指定されているの。中でもシンボル的な存在の建物が海中展望塔で、早速、その展望塔へと向かいたいところですが、その前にこちらの 海の博物館 でちょっとお勉強よ。入館料:¥200 月曜休館(但し、月曜日が休日の場合はその翌日)

展示物 同館は千葉県立中央博物館の分館として設置されたもので、「房総の海」をテーマに展示や調査研究などを行っているの。水族館ではありませんので活きたお魚達が水槽の中を泳ぎ回るわけではないのですが、ここでは海の生き物だけに限らず、鳥や昆虫たちを含めた動植物の姿(標本)にも出会えるの。展示内容などの詳しいことはHPを参照願いますが、入館案内には見学の目安として「ゆっくり見て約1時間、急いで見て約15分程です」とありました。けれど、15分では見学すると云うよりも眺め見ただけで終わってしまうわね。

館内の中庭には御覧のツチクジラの骨格標本が屋外展示されていましたが、説明に依ると、ツチクジラは日本近海ではこの房総半島から三陸沖にかけて多く生息するクジラで、標本は平成7年(1995)に南房総の和田浦沖で捕獲された雄のものだそうよ。

ねえねえ、捕鯨禁止なのにクジラを捕ったりしていいの? そうね、一部の調査捕鯨を除けば世界的には禁止なんだけど、このツチクジラは捕鯨が古くから行われている和歌山県の太地町と千葉県の和田町だけに限り、国から特別に許されているの。でも、許可されているからと云って無制限に捕っていいわけではないのよ。年間54頭と決められていて、その内訳は太地町と和田町で仲良く等分するの。南房総のお土産さんの店先で「クジラのタレ」を見掛けることがあるけど、そのクジラと云うのがこのツチクジラのことね。

12. 海の資料館 うみのしりょうかん 11:31着 11:37発

資料館

海の博物館とは道を隔ててあるのが海の資料館。古い漁具なども展示されているのですが、博物館を見学した後では些か貧弱に見えてしまうのは仕方ないわね。そんな中でξ^_^ξが気になったのが海中展望塔仕様概要の説明なの。諸元データと共に設計施工会社の名前が記されていましたが、施工が日立造船(株)と云うのは至極当たり前だと思うのですが、設計業者として(株)学習研究社の名が掲げられていたの。この(株)学習研究社って、教材などで知られる、あの「学研」のことよね。雑誌の付録だけでなく、こんな大がかりなものまで設計していたとは、ちょっとビックリ。

波打ち際 その資料館前の磯では博物館職員の案内による屋外観察などが行われるの。訪ねた時にも親子での磯観察が行われていて、その様子を見ていると、子供たちと云うよりも親と云うか、とりわけパパの方が楽しんじゃっているみたいね。

13. 勝浦海中展望塔 かつうらかいちゅうてんぼうとう 11:41着 13:31発

入口 勝浦海中公園のメインとなる施設がこれから紹介する海中展望塔なの。訪ねた時には前日の荒天の影響で海中の透明度が低いからと、通常は¥930の料金が¥630の割引料金で入館することが出来たの。前述の海の資料館での解説に依ると、この海中公園の沖合はちょうど暖流(黒潮)と寒流(親潮)がぶつかり合う境目に当たることから様々な海の生き物たちが集まってくるみたいね。海中展望塔からはその姿を見ることが出来るの。どんなお魚達が見られるのかは かつうら海中公園海中展望塔 を御参照下さいね。

入り江 海の中を泳ぎ回るお魚達の姿を見るのもいいけど展望塔までの海上遊歩道(?)からの景観も素敵でした。折角ですから皆さんにもその感動をお裾分けしてみますね。これを機に一人でも多くの方が足を向けて下さればうれしいな。出来たら多少風のある日を選んで頂けると白波が海の蒼さに映えてとっても綺麗よ(笑)。だけど、あまり強いと休館になってしまうみたいなので気をつけて下さいね。

オブジェ トンネルを抜けると最初に出迎えてくれたのがこのイシダイとハコフグのオブジェ。イシダイは釣り人には人気のお魚で、説明には日本各地の沿岸に棲み、固い歯で巻き貝やフジツボを食べます−とありましたが、面白かったのはハコフグなの。体はほぼ四角形に近い形をし、固い甲に包まれているので鰭と口先、尾だけしか動かせん−とありました。全長40cmにもなると云うハコフグがおちょぼ口のように口を突き出しながらチョコチョコと鰭だけを動かして大海原を泳ぐ姿を想像すると可笑しいわね。ハコフグにしたら真剣なのかも知れないけど。

廃墟 そのオブジェが置かれているところから展望塔へは海上遊歩道が巡らされているの。最初に目に留まったのがこの廃墟(失礼)のようなコンクリート製の建物で、戦時中には軍事施設として使用されていたものがそのまま放置されているのかしら?と思ったの。ですが、近づいてみると 勝浦ダイビングリゾート の施設でした。白波が砕け散る荒磯は海の中の地形も起伏に富み、ダイバーの方には絶好のダイビング・ポイントになっているみたいね。

ネット検索していた際に素敵な映像を見つけました。
リンク切れとなる可能性もあるのですが敢えて紹介してみますね。

DIVER KATSURA さんのダイビング映像なのですが Under Water Art Gallery の中の Video&Sound Gallery に勝浦のものもあるの。映像では海の中を自由に泳ぎ回るウミガメやお魚達の姿が素敵なBGMと共に流れるの。とりわけξ^_^ξのお気に入りは「外房勝浦 イソムラ No.2 」で、秀逸なカメラワークに、選曲もマッチして素敵な仕上がりよ。同サイトには鵜原理想郷を紹介したビデオ映像もあるのでお見逃し無く。

生け簀 辺りの岩場には石を切り出した跡のような窪みがありましたが、嘗ては生け簀として使われていたものだそうよ。生け簀にも二種類があり、左側の小さい方がエビ用の生け簀で、大きい方がイワシの生け簀と説明されていました。エビはエビでもここでは伊勢エビよ。生け簀と聞くと普通は単に獲まえた魚などを活かしておくためのものだと思ってしまいますが、何とこのエビ生け簀は自ら漁をするの。じゃあ、どうやって漁をするかと云うと、他で獲まえて来た伊勢エビを囮(おとり)としてこの生け簀に放つの。

生け簀 そうすると囮の伊勢エビにつられて仲間が集まって来ちゃうみたいで、彼らの習性を巧くついた漁法なの。現在ではこの囮漁法は禁止されているのですが、昔はこんな安易(ごめんなさい)な方法でもちゃんと漁が出来ていたのね。それだけ伊勢エビもいっぱいいて、豊かな海の恵みに支えられていた証拠でもあるわね。もう一方の大きな生け簀はイワシ用のもので、昭和30年頃(〜1955)迄は実際に使われていたみたい。イワシはイワシでもここではカタクチイワシが主流で、食用と云うよりも、専らカツオやマグロ漁の釣餌として利用されたの。

相模湾に面した真鶴半島は「魚付き保安林」と名付けられた豊かな緑に覆われて半島周囲には魚が多く住みついているのですが、嘗てはこの勝浦も真鶴半島と同じように豊かな緑に覆われていたみたいね。荒磯に迫り出した木々が木陰を作り、小魚達には絶好の隠れ場所になっていたようなの。当時はイワシも多くいて、大きな魚に追い掛けられて入り江に逃げ込んで来ることもあり、生け簀の一ヶ所だけを開けておいて逃げ込んだのを見届けると石で入り口を塞いだの。至って悠長な漁法かも知れないけどこれもまたイワシの習性を巧みに利用した漁法よね。

そうは云ってもそれだけではいつ生け簀にイワシが飛び込んでくれるかは分からないわよね。それではさすがに「陽が暮れちまうべえ〜」と云うわけで、人為的な追い込み漁なども併せて行われてはいたみたいね。カツオやマグロ漁も当時は沿岸漁業として成り立つ程豊かな漁場を控えて勝浦港から出漁していたみたいね。遠くは紀伊半島辺りからも黒潮に乗るカツオを追い求めて出漁して来る船もあって、生け簀で畜養されたイワシは引っ張りだこだったの。何と云ってもお魚は鮮度がいのちよね。

カツオやマグロだって目が濁ってしまったイワシよりキトキトのイワシがいいに決まってるわよね。残念ながらそのカツオやマグロも近海ではすっかり獲れなくなってしまい、イワシ漁もまた廃れてしまったと云うわけ。この生け簀跡のある辺りから桟橋は鍵型に曲がりますが、海上に巡らされた回廊を歩いている気分よ。打ち寄せる波が岩場にぶつかり、飛沫をあげて豪快に砕け散る姿は見ていても飽きないものね。けれど時折吹き寄せる強風には充分注意して下さいね。気がついたら大事なバッグが木の葉のように波に揉まれていた−なんてことが無いようにね。

展望塔内 魚影 魚影 操舵室?

展望塔の入口からは96段の階段を降りるのですが、海中展望室は水深8mに位置するの。入場券を買い求める際には視界が不良−と云うことで割引料金でしたので余り期待をしてはいなかったのですが、それでも御覧のような魚影を目にすることが出来ました。ですが、魚たちがどうも上の方ばかり気にしているように見えたので何かあるのかしら?と窓辺に近づいて見上げてみたのですが、実は係員の方が撒き餌(餌付け?)されてたの。どうりで魚影が濃いわけよね(笑)。折角入場料を払って見に来たのにお魚の姿を見ることが出来なくてはつまらないものね。なんだ、やらせじゃねえか!−などとひねくれた見方はせずに、ここでは来館者へのサービスと思って素直に感謝しましょうね。

下りがあれば当然上りもあるわけで、96段の階段を上ったところで海上展望室で暫時の休憩タイム(笑)。船の操舵室に似せて舵取りが置かれていましたが向かう先は南の方角で、八丈島へは230km、オーストラリアのメルボルンに至っては8,100kmもあるの。船の長旅を楽しめる余裕は無いので未体験ですが、幾ら海が好きだからと云って寝ても覚めても海の上ではさすがに飽きてしまうでしょうね。視線を東に向けると遙か向こうに見えるのが勝浦の八幡岬。晴天に恵まれて白く小さな勝浦灯台も見えました。但し、目の前の海上は御覧のように鳴門の渦潮状態でした。

お魚達が元気に泳ぎ回る姿を見たところでお腹も空いたので管理センターの2Fにあるレストラン三日月亭でちょっと遅めのランチ・タイム。三日月亭はその名からお分かりのように地元勝浦のホテル三日月のチェーン店なの。だからと云って肩肘はる必要は無くて気軽に食事が楽しめますよ。ここでのお薦めはやはり海鮮丼(¥1,300)ですが、郷土料理のさんが焼(¥500)もお試し下さいね。因みに昼食は軽く済ませたいわ−と云う方には海の資料館の隣にある無料休憩所がお薦めよ。うどんやおそばの軽食コーナーがあり、思いっきりダイエット中のあなたはコーヒーだけで済ませると云う手もあるけど余り奨められないわね。

余談ですが、勝浦周辺には大きなお土産屋さんが無いの。種類の豊富さから云うとこの管理センターの1Fにあるお土産屋さんがお薦めよ。一見したところでは直ぐにお土産やさんだと気付かない程の控えめな店構えなのですが。残念ながらお土産を提げて歩き回る訳にも行かず、ξ^_^ξは食後のデザート代わりにアイスクリーム(¥200)をゲットして終えてしまいましたが。

余談の、更に余談ですが、ここで勝浦海中公園からの路線バスの情報をお知らせしますね。
何で改めてそんなことを云うかというと、車を持たねえヤツは来るな!と云わんばかりのシチュエーションなの。
先ずは小湊バスの時刻表から掲載しますね。勿論、行き先は勝浦駅行きの一系統のみよ。

土曜日:10:55/12:46/14:40
日曜&祝日:10:55/12:46/14:40/15:30

ミ^・・^ミ
なあにい〜、日曜祝日でも一本増えるだけじゃないの!と云うことはバスを利用する人は遅くとも15:30には帰りなさいと云うことね。日没が早い冬場なら妥当な線かも知れないけど、夏場は未だ未だ陽が高くて充分遊べるわよね。ところで、時刻表には平日のダイヤが記載されてないけど、どうして?
ξ^_^ξ
簡単よ、小湊バスではこの路線の平日の運行はしてないの!
ミ^・・^ミ
え〜っ、それってもしかして平日は来るな!ってこと?
ξ^_^ξ
曜日が限定されるけど一つだけ方法があるわ。
ミ^・・^ミ
何よ、早く教えてよ。
ξ^_^ξ
海の資料館前バス停から乗車する市民バスと云うのがあるわ。但し、8:49/11:04/15:19の3本のみなんだけど。
ミ^・・^ミ
ひっど〜い。利用出来そうなのは15:19発だけじゃないの。それに何かさっき曜日限定とか聞こえたんだけど。
ξ^_^ξ
そうなの。市民バスは火曜日と木曜日だけの運行よ。
ミ^・・^ミ
え〜っ、うっそお〜。と云うことは先程の小湊バスと合わせても月・水・金はバスが走ってないと云うことじゃないの。
ξ^_^ξ
残念ながらそう云うことになるわね。
ミ^・・^ミ
じゃあ、わたし達みたいに車を持たない人はどうすればいいの?
ξ^_^ξ
自分の足で歩くしかないわね。後はタクシーを利用するしか手立ては無さそうよ。
ミ^・・^ミ
どうりで資料館前には「タクシーのりば」の大きな立て看板があって、タクシー会社の連絡先が幾つも書かれていたわけよね。ところでこの海中公園の最寄り駅となると鵜原駅よね。ここから歩くと鵜原駅迄はどの位なの?
ξ^_^ξ
そうね、おおよそ15分と云ったところかしら?
ミ^・・^ミ
しょうがないわね、歩くとするか。

ここでは訪ねた時の 2007/05/26 現在の情報を元に会話風に纏めてみましたが、減便や廃止路線となる可能性は多分にあっても増便の可能性は皆無のようね。ξ^_^ξのような脳天気な旅人は一時を我慢すればそれで済むのですが、地元で暮らす方には大変よね。解決策に妙案があるわけでもなく‥‥‥

14. 鵜原理想郷入口 うばらりそうきょういりぐち 13:40着発

T字路 海中公園からは鵜原駅に向かう道を歩きましたが、トンネルを三つ潜ると前方のトンネルの手前に磯香の宿・鵜原館の看板が見えて来るの。鵜原駅方面から来られた方はこれと云った目印が無いのですが、最初のトンネルを潜り抜けるとこのT字路に出ますよ。念のために景観写真を掲載しておきますが、直進すると海中公園で、右に曲がればこれから紹介する鵜原理想郷ハイキングコースの入り口に続くの。

石碑 曲がり角の傍らに寂しげな(笑)石碑を見つけて何かしら?と近づいてみたのですが、後藤杉久氏之碑と刻まれていたの。その隣には勝浦市が建てた鵜原理想郷の説明書きがありましたので後藤杉久と云う方がどんな人物なのかを知り得たのですが、無ければ「何なの?この人」で終わったと思うわ。加えて理想郷と呼ばれるようになった経緯も説明を読んで初めて知ったの。じゃあ、その説明書きにはどんなことが記されていたの?と云うことで、原文を転載してみますね。

天才詩人与謝野晶子にも詠まれた鵜原理想郷は屈曲に富む多くの入り江と老松の美しさが特徴です。この理想郷が脚光を浴びたのは観光開発のブームが起きた大正末期のことで、時の鉄道大臣大木遠吉の秘書、後藤杉久と云う青年が別荘地分譲を開始してからのことです。後藤は風光明媚な鵜原の地に大臣村の建設を計画し、東京から大臣らを招いては日夜大園遊会を開催しました。その席上、後藤杉久は初めて鵜原を理想郷と呼びました。その後、大木遠吉が正式に理想郷と名付け、併せて昭和2年に鵜原駅を設置し、その名を全国に広めました。平成12年(2000)3月 勝浦市

15. 磯香の宿・鵜原館入口 いそかのやど・うばらかんいりぐち 13:42着発

入口 道は勝場漁港へと続くのですが、その手前に鵜原館への入り口が見えて来ますので見落とさないようにして下さいね。実は、この鵜原館の入口こそが理想郷ハイキングコースへの入口でもあるの。鵜原館の「これより玄関アプローチ 私有地内につき、お客様関係者以外の車両の通行は禁止します」の立て看板を前にして先を歩いていたカップルの方が行こうか行くまいかと思案されていましたが、車両云々とあるのが味噌醤油味で、歩行者の通行までを禁じているわけではないので御安心下さいね。

案内板 確かに鵜原館の玄関アプローチですので私道なのかも知れませんが、道は途中から二手に分かれるの。警告の文面だけでなくて「鵜原理想郷めぐりをされる歩行者の方はそのままお進み下さい」とか添え書きしてくれると嬉しいのですが。因みに、左掲が分岐路にある案内板よ。

16. ごとがえり 13:46着 13:56発

鵜原館の前を通り過ぎて隧道を潜り抜けたところで小さな入り江をみつけて、ちょっと寄り道してみましたが、漁船が数隻だけの小さな湊になっていました。岩場に掘られた横穴は漁師の方が作業小屋として使用しているものもありましたが、海面すれすれに掘られた横穴はその時は未だ何に利用するのか分からずにいたの。加えて直線的に配置された無数の杭の存在も気になり、首輪を付けた犬がいましたので飼い主の漁師の方に訊けば分かるかも知れないわ−と期待したのですが、それらしき人影も見当たらず、疑問は解けず終い。

後日、散策を思い出しながらネット検索していたのですが、気になる記述を見つけたの。リンク切れとなる可能性がありますが 冬の南房総で自然満喫 にある、第二次大戦中は旧海軍の水上特攻兵器の出撃基地があったそうで、港の周囲に点在する洞窟には震洋を隠すために掘られたものもあるそうです−と云うもので、記述に触発されて更に調べてみると、風光明媚な景勝地の裏側にはつらい歴史が隠れていたの。ξ^_^ξのような脳天気な輩が安易に語るべき内容ではありませんので、ここでは深くは触れずにおきますが、先程紹介した尾名浦海岸にもその震洋が配置されていたみたいね。※ごめんなさい。紹介した「冬の南房総で自然満喫」は既に閉鎖されてしまったみたいね。※

ごとがえりの景観が気になる方は上の画像をクリックしてみて下さいね。
時計回りに捉えたショットを7枚ほど掲載してみました。

ごとがえりを過ぎると民家が見えて来ますのでその手前の石段を登ります。坂道を登り切ったところでもう一方の道と合流するのですが、突き当たりの岩には「<=手弱女平まで270米」と記された石標が埋め込まれていますので見落とさないようにして下さいね。仮に見落としたとしても余程方向音痴な方で無ければ平気なんだけど、呉々も右折だけはしちゃダメよ。道を誤らなければ木立の間からは御覧の景観が見え隠れするの。この位置から遠目に見る海中展望塔も仲々素敵だと思いません?労を惜しまずして訪ね来た者だけが味わえる喜びと云っては過言かしら。

17. 鵜原理想郷 うばらりそうきょう 14:00着

案内標 50m程歩くと「南房総国定公園 鵜原理想郷」と書かれた案内板が建つ場所に出ます。理想郷と呼ばれるようになった経緯は後藤杉久氏之碑の項で紹介済みですが、現在は別荘地としてでは無くて、紺碧の空の下、蒼い海とまばゆいほどの緑に覆われた、自然豊かな理想郷になっているの。それでも別荘地として脚光を浴びていた頃の様子が気になりますよね。当時の景観を物語るような写真でも用意出来れば良いのですが、代わりに紹介したいのが三島由紀夫氏の小説「岬にての物語」なの。同著の中で三島氏は

海中展望塔 房総半島の一角に鷺浦(もはやその名が示す鷺の群棲は見られないが)というあまり名の知られぬ海岸がある。類いない岬の風光、優雅な海岸線、窄いがいいしれぬ余韻をもった湾口の眺め、たたなはる岬のかずかず、殆んど非の打ち処のない風景を持ちながら、その頃までに喧伝されて来た多くの海岸の名声に比べると、不当なほど不遇にみえる鷺浦は、少数の画家や静寧の美を愛する一部の人士の間にのみ知られていて、その誰にとっても、不遇なままの鷺浦が愛の対象であったので、世に紹介する労をとる人はなく・・・

と記しますが、この鷺浦と云うのが鵜原海岸のことで、理想郷は物語の重要な舞台になっているの。
詳しくは同著をお読み頂きたいのですが、読了後に訪ねてみると理想郷の景観も違うものに見えて来るはずよ。

18. 手弱女平 たおやめだいら 14:09着 14:25発

案内板の背後に続く道を辿ると手弱女平に出るのですが、道の途中には奇怪な造形をした岩山がありました。砂岩の岩山は岩肌も脆く、積年の風雨による浸食を受けてのものでしょうが、それにしても面白い造形よね。その岩山の上には〜崎山に 千草の平ら 虫の原〜と刻まれた、篠田悌二郎氏の句碑が建てられているの。石碑は昭和54年(1979)に建立されたものですが、同句は篠田悌二郎氏がこの理想郷に訪ね来た際に詠んだものとされているの。それにしても石柱の防護柵が取り囲む姿はちょっと異様よね。気になる方は左掲の画像をクリックしてみて下さいね。

ねえねえ、手弱女ってなあに? 手弱女とはたおやかな女性を指して云うことばなの。 ふ〜ん、じゃあ、その「たおやか」って何なの? おしとやかで優雅な様子を云うんだけど、決して弱々しいと云うことじゃ無いのよ。 そっかあ。じゃあ、お姉さんとは関係ないみたいね。 ・・・・・

道が突き当たると急に開けた場所にひょっこりと出るの。掲載画像は最奥部からその広場を振り返る形で写してみたものですが、一角には四阿(あづまや)もありますので、休憩タイムなどに御利用下さいね。穏やかな日であれば景観を愛でながらここでお弁当を広げるのも楽しいわね。ですが、手弱女平の優しい名とは裏腹に、周囲は断崖絶壁が続いているの。草むらに遮られて波打ち際が見えないからと云って身を乗り出すと危ないわよ。この手弱女平に接してある小島がひとつ山と呼ばれる岩山で、沖合から押し寄せてくる太平洋の荒波を一身に受けて手弱女を守る益荒男(ますらお)の面持ちね。建立の由来など、詳しいことは分かりませんが、広場の岬側には御覧の天真地蔵が祀られているの。

岬の先端には御覧のようなモニュメントが。最初は各地で見掛ける恋人岬( or 恋人の丘 )の「誓いの鐘」の類かしら?と思ったのですが、ここでは鐘付きデザイン・ベンチと控えめな扱いなの。このベンチに腰掛けて眼の前に広がる雄大な太平洋の大海原を眺めていると、とげとげしくなってしまったあなたの心もたおやかな思いに満たされてくるハズよ。彼と一緒に訪ね来られたあなたなら、お二人で水平線の彼方に向かって永久(とわ)の愛を誓っても勿論OKよ。

この鐘付きデザイン・ベンチの前で景観を遠望していると、草むらの中に人一人が辛うじて歩けるような細い道があることに気付いたの。どこに続くのかしら?と恐る恐る草むらを掻き分けて進んでみたところ、御覧のような岩場の上に出たの。防護柵があるわけではないので決してお奨めするわけではありませんが、危険と隣り合わせの絶景ポイントかも。但し、追体験されたい方は呉々も自己責任でお願いしますね。だったら掲載するな!かしら?

手弱女平を後に次の毛戸岬へ向かいましたが、その途中で不思議な門扉(?)を見つけたの。私有地につき敷地内立入り禁止−と警告表示もあるのですが、この門扉の背後は草木が生い茂る急斜面で、どうみても道があると云うか、あったようにも見えないの。幾ら好奇心旺盛なξ^_^ξでもこの草木に覆われた斜面に分け入る勇気は無いわ。状況からして殆ど無意味とも思えるこの門扉ですが、意図するところは何なのかしら?所有者の遊び心?それとも‥‥‥。ちょっと気になる存在のオブジェでした。

19. 毛戸岬 けどみさき 14:34着 14:41発

鵜原は小さな入り江が続くリアス式の海岸からなり、海に突き出た岬がそれぞれに趣きをかえて楽しませてくれるの。突端までの道程は割に平坦で歩きやすい道が続きますが、最奥部は勿論断崖絶壁よ。この毛戸岬にも四阿が設けられていますが、ちょうどその位置から手弱女平とひとつ山の間に勝浦海中展望塔が遠望出来るの。因みに、手前に茂る木立ちはヤブツバキの群生林。

視線を転ずると柱状節理を思わせるような断崖絶壁が屹立します。見た目には自然の造形と云うよりも人工的な石切場跡のようにも思えるのですが。仮に石切場跡だとしたら切り出したのはいつ頃のことで、石はどこへ何のために運んだのかしら。でも、こんな荒磯に船を接岸させるのは容易なことではないわね。ましてや切り出した石を積み込むわけですから危険な作業よね。やはり地震での倒壊などに依る自然の造形と考えるのが妥当かしら。どなたか御存知の方、いらっしゃいます?

煙と何とかは高いところに上りたがるの喩えではありませんが、突端があればそこに立ってみたいと思うのが普通よね。ですが、見たところ、防護柵の代わりにロープが一本渡されるだけの危険区域。高所恐怖症のξ^_^ξが近づけるのはここが限界−と云うポジションから眺め降ろして見たところがこの景観よ。岩場の磯には先に紹介した生け簀跡がここにも。残念ながら恐くて(笑)これ以上身を乗り出せず、絶壁直下の画像は無いの。

代わりに沖合の景観を紹介しておきますね。オイオイ、誤魔化すんじゃねえよ!(笑)因みに白波がたつ位置にあるのが鵜原島なの。その名の如く、嘗ては正真正銘の立派な「島」だったのかも知れませんが、今では殆ど岩礁状態ね。鵜原島もまた、地球温暖化の波に呑み込まれて、いずれは海面下に没する運命‥‥‥なのでしょうね。

左掲は毛戸岬に建つ案内標ですが、鵜原理想郷ハイキングコースには案内標や道標が要所に立てられていますので道に迷うことは無いハズよ。その道標の両サイドには歌人として知られる与謝野晶子さんの詠歌が刻まれているの。彼女は昭和11年(1936)の4月に画家の石井柏亭、有島生馬両氏等とこの勝浦(鵜原)を訪ね来て暫時滞在し、76首程の詠歌を残しているの。道標のサイドに刻まれる句はその時のものなの。因みに、この石標には〜ようやくに岬の路を会得して帰える毛戸は松山の外〜とあるの。

20. 白鳳岬 はくほうみさき 14:45着 14:46発

理想郷を巡る景勝地の中でもこぢんまりとした岬が白鳳岬。遊歩道を歩くと白鳳岬とこの後紹介する「黄昏の丘」への分岐点に道標が立ちますので見落とさないようにして下さいね。まあ、仮りに見落としたとしても直ぐに気が付くと思うけど。ここではその白鳳岬の全景と、突端からの景観を紹介しておきますね。例の如く、恐怖心と戦いながら(笑)の画像よ。右端は白鳳岬を側面後方より捉えたものですが、三方はやはり断崖絶壁に取り囲まれているの。

21. 黄昏の丘 たそがれのおか 14:49着 14:53発

理想郷の最後に位置するのがこの黄昏の丘。今までの景勝地が外洋に向けてのものならこの黄昏の丘からは内湾と云うか、鵜原海岸を遠望出来る絶景のビューポイント。緑の山々の向こうに林立する高層リゾートマンションは御愛嬌ですが、雄大な自然を前にして現出した蜃気楼に見えなくも無いわね。因みに未体験ですので無責任モードになりますが、黄昏の丘と名付けられている位なのですから夕陽が空を茜色に染めて沈みゆく頃の景観も素敵なのでしょうね。ですが、景観にみとれてあなた自身が黄昏れてしまってはダメよ(笑)。

22. 大杉神社 おおすぎじんじゃ 14:55着 14:59発

大杉神社 その黄昏の丘に続く岬が明神岬で、鵜原理想郷の最奥部に当たるの。見ると、細い道が続いていましたので、ひょっとしたら明神岬の先端に行けるかも−と期待して辿ってみました。ハイキングコースの遊歩道とは異なり、何やら怪しい道でしたが、それでもつい最近草が刈り込まれた跡が残るなど、最低限の手入れはされているようでしたので淡い期待をしたのですが。坂道を辿ると緋い鳥居が建ち、石段の参道が続いていました。参道と云っても僅かに10段程の短い石段ですが、登り切ったところに鎮座していたのがこの大杉神社。

石祠 どんな神さまが祀られているのか気になりましたが「扉を開けて参拝下さい」の但し書きに助けられて恐る恐る扉を開けると、石祠と並んでこれまた奇怪な物体が目に飛び込んで来たの。一瞬、気後れしそうになりましたが、良く見ると木片に何やら説明書きが。それに依ると「安政年代(1854-60)に地元の漁師達が捕えた鯨の頭の骨」だそうよ。

鯨骨 この時点ではどんな神さまを祀るものなのかも分からず、当然ですが、鎮座の由来を知る由も無く。加えて社殿の背後に道は無く、明神岬の突端に立つ積もりがあえなく挫折してしまいました。諦めて踵を返して最終目的地の鵜原海岸へと向かいましたが、分岐路で見つけたのが大杉神社の由来を記した案内板なの。なあ〜んだ、ちゃんとあるじゃないの−と云うことで、その全文(一部改変)を紹介してみますね。記述にある太郎稲荷と云うのがちょっと気になるところですが‥‥‥

大杉神社由来−当神社は安波大杉神社と号し、鵜原区池根の祖・鈴木利左衛門義光が上州(現在の茨城県)稲敷郡桜川村の 大杉神社 より太郎稲荷を分身し当地に祀る。約六百年前(推定)に建立された当神社は海上安全、大漁祈願、水難除け、家内安全等に霊験あり。尚、当神社には安政年代に奉納された鯨の頭骨があります。
昭和六十二年八月吉日 家号 池根 鈴木義男 書

由緒書の掲示板から程なくしてお手洗いがありますが、全長2.3kmからなる鵜原理想郷ハイキングコースの途中であるのはここだけなの。忘れずにお立ち寄り下さいね。

由来記の案内板が建つ場所から下り坂が続きますが、養殖センターを左手にして小さなトンネルが見えて来るの。実はそのトンネルを抜けたところで由来記を掲示した御本人にお会いすることが出来たの。舟泊りで漁具の手入れをされていたのですが、その作業が気になり、見るとはなしに眺めていたのですが、「岬の先に行ってみたっけが?」と声を掛けて下さったの。その時点では未だ御当人だとは分からずにいたのですが。

ちっちぇえ神社があったべ。 ええ、最初は何が祀られているのか分からなかったんですけど。 お堂の扉、開けてみた?鯨の骨があったべ?
あれは何でもうちの御先祖さまが奉納したもんだそうだ。
えっ!そうなの。ひょっとしてオジサンは神社を建てた方の末裔の方? 今は漁師やってるけど、そん頃は百姓だったみてえでよお。昔はよお、普段は百姓やってて、戦さになると駆り出されるのが普通でよお、戦さでこの土地に連れてこられたんが、そのまんま住みついちゃったみてえだな。と云ったってこの土地に自分の田圃はねえから、目の前のこん海を田圃の代わりにしたって訳よ。

そんな会話から始まり、漁の主役の伊勢エビに話しが及ぶと意外なことを教えてくれたの。皆さん、伊勢エビと聞くと三重県の伊勢湾沿岸が御本家だと思われるかも知れませんが、房総、それも大原から勝浦に掛けての漁獲高は日本屈指の規模を誇り、御本家の伊勢湾での水揚げが少ない時はわざわざトラックでこの勝浦辺りに買い付けに来ることもあるのだとか。勿論、全部が全部と云う訳では無いのですが、地物と思って口にした伊勢エビが実は房総産だったりして。余談ですが「買ってきた時は活きてたけど死んでしまった伊勢エビは勿体ないからと云って絶対喰っちゃあいけねえよ。漁師は活きてる伊勢エビを刺身にしたり焼いたりして喰うけど、死んだ伊勢エビは絶対喰わねえ。あたると怖え〜からよお」とのことですので、呉々もお気を付け下さいね。

聞けば出漁前の準備をしていたところで、もう少ししたら出船とのことでしたが、どこかノンビリとした(笑)ところがありましたので「もう、悠々自適で漁なんてしなくてもいいんじゃないんですか?」と訊ねてみたのですが「そうなんだけど、別にやることもねえし、孫が来た時に小遣いもあげられねえんじゃ格好わりいべ」と笑顔が返って来たの。海の怖さと対峙しながら年輪を重ねて来た漁師さんですので最初は強面のおじさんかと思ったのですが、とりわけお孫さんの前では優しいおじいちゃんになっちゃうみたいね。

23. 弁財天社 べんざいてんしゃ 15:23着 15:25発

弁財天社 漁師さんに別れを告げて道を先に進みましたが、緋い鳥居を見つけて何が祀られているのかしら?と気になり訪ねてみたの。訪ねると云っても、歩道に面してある鳥居を潜れば直ぐ社殿で、殆ど村の集会所の面持ちなのですが、弁財天女と記した扁額が掛けられていましたので弁財天を祀るお社ね。紹介した三島由紀夫氏の小説「岬にての物語」には「岬に通ずる道はその石垣の上から俄に嶮しくなり、草いきれを貫く石階が中腹の弁財天の境内へ通うていた」とあるのですが、ひょっとしてこの弁財天社のことかも知れないわね。

引き続き、「社殿のうしろを通って岬の頂へ出る隠れ路は、それを知る人には何よりも愛すべく云々」とあり、それらしき路が今でもあるのかしら?と社殿の背後に回り込んでみたの。岩盤にはやぐらが掘られて、龕には石造の弁財天像が祀られていましたが、残念ながら記述にあるような隠れ路は見つけられず終い。小説ですので必ずしも実在するとは限らないのですが、草陰に隠れて発見出来なかっただけかも知れませんね。辺りの雰囲気からすると可能性は捨てきれないのですが、意のある方はチャレンジしてみて下さいね。

この「岬への隠れ路」のことについてBlog「アルパカはナルシスト」を主催しているNAOさまより貴重な情報をお寄せ頂いたの。ξ^_^ξは発見出来ずにいたことから小説の中での虚構のお話かも知れないわね−と思っていたのですが、実在していたの。NAOさまの「房総半島岬めぐり」#12 明神岬(鵜原理想郷)再訪(2) の頁には「三島由紀夫の登った道」と題して「岬への隠れ路」の詳細レポートが掲載されていますので、是非御覧になってみて下さいね。

24. 鵜原海岸 うばらかいがん 15:26着 15:42発

その弁財天社のある辺りから鵜原海岸の砂浜が続くのですが、訪ねた時には前日の荒天のせいでアラメやカジメなどの海藻が打ち上げられて「日本の渚・百選」の一つでもある砂浜も見るも無惨な姿。遠浅で波穏やかな鵜原海岸は夏になれば波と戯れる海水浴客で砂浜も埋め尽くされてしまう程の人気なの。遠〜い昔(笑)に一度泳ぎに来たことがあるのですが、誰もいない砂浜からはあの時の喧噪は想像出来ないわね。本当なら砂浜の画像を掲載したいところなのですが、海藻が散乱していてゴミに見えなくも無いの。なので折角の美しい鵜原海岸のイメージを損ねては申し訳ありませんので掲載は見送りますが、代わりに砂浜からの鵜原理想郷方面の景観を紹介しておきますね。併せて、ちょっとだけ解説を加えてみました。

鵜原海岸

  1. 15:30の出漁解禁時間を待って相方と出漁していった先程のおじさんの船。入り江ではそれ程波があるようには見えなかったのですが、湾を離れて外海に差し掛かる頃は〜揺れるわたしは小舟〜状態。この程度の波には慣れてはいるのでしょうが、それでも可愛いお孫さんのためにも無事で漁を終えられるようにと祈らずにはいられませんでした。
  2. 突端に立つことを夢見た(笑)明神岬。ですが、本当の明神岬は先端部でロウソク岩のようにして立つ岩山を含めてのものみたいね。砂浜から見る限りは繋がっているように見えるのですが、海面から屹立してあるので陸上からのアプローチは殆ど無理みたいよ。
  3. 先程の漁師さんと立ち話をしたところ。港と云うよりも殆ど個人専用みたいで曳舟場ね。この山の背後が鵜原理想郷にあたり、更にその先には外海が広がるの。
  4. 紹介した弁財天社があるのはこの位置よ。ね、尾根伝いに理想郷への近道があってもおかしくは無いシチュエーションでしょ?グリコのオマケのお話しですが、画面には写りませんが、砂浜には沖に向かって鳥居が建てられているの。鵜原に鎮座する八坂神社のもので、一の鳥居に当たるのでしょうね。

25. JR鵜原駅 うばらえき 15:51着 16:36発

鵜原駅 潮騒を背にして鵜原駅へと向かいましたが、夏のオン・シーズンには列車待ちをする海水浴客であふれかえるホームも御覧のように静まりかえっていました。この鵜原駅は鵜原理想郷が別荘地として分譲されたのを機に設置されたのですが、関東大震災の甚災に加え、引き続いて起きた世界恐慌などの経済的な打撃を受けて別荘地の開発どころでは無くなってしまったみたいね。そういうマイナス要因が無ければ今頃は軽井沢と肩を並べていたかも知れないわね。

鵜原駅 因みに、後藤杉久が設立した開発会社の名は、ずばり「鵜原理想郷土地 株式会社」で、理想郷に接してある磯香の湯宿 鵜原館 は弟の末光氏が創業しているの。現在の館主は初久氏で三代目に当たるのだとか。残念ながら未体験で終えていますが、いつか機会を見つけて投宿してみたいな。記述に際しては千葉県HPより、千葉県東上総県民センター⇒ 夷隅事務所(名所・旧跡) を参照させて頂きました。

26. JR新宿駅 しんじゅくえき 18:29着

















鵜原は奇岩怪石が連なる特段の景勝地と云うことではないのですが、それでもリアス式の海岸は多くの入り江を集め、それぞれに異なる表情を以て旅人を迎えてくれたの。隧道を一つ潜り抜ける毎にそれは小さな船泊りであったり、プライベートビーチのような砂浜だったりするの。一方で理想郷の岬に立てば断崖絶壁の荒磯には波が白く砕け散り、目を楽しませてくれました。夏になれば多くの海水浴客で賑わう鵜原海岸もこの時期は落ち着いた佇まいよ。潮騒と磯の香が伴侶となってエスコートしてくれた今回の散策ですが、あなたも温かな春の一日を気儘に訪ね歩いてみては?それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥

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〔 参考文献 〕
国書刊行会社刊 川名 登 編著 千葉県の歴史100話
新潮文庫 三島由紀夫 著 岬にての物語
Special Thanks
「千葉県夷隅郡誌」については下記のサイトを参照させて頂きました。
千葉県立図書館〜資料の森(電子図書館)






どこにもいけないわ