≡☆ 智光山公園のバラ ☆≡
2024/05/18

智光山公園( 狭山市 )内にあるバラ園には64種650本ほどのバラが植えられていて、うららかな春の陽射しのもと、色鮮やかな花を咲かせて訪れた旅人の目を楽しませてくれたの。

洋風庭木園( バラ園 )

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園内には「 アンネの日記 」で知られるアンネ・フランクに因み名付けられたバラのスーヴニール・ドゥ・アンネ・フランク Souvenir d' Anne Frank についての案内板が立てられていましたので参考までに引いておきますね。

アンネ・フランク形見のバラ − 平和を願った少女 アンネ・フランク を記念したバラ
「 アンネの日記 」の作者、ドイツ生まれのユダヤ人少女アンネ・フランクは、2年1ヶ月のアムステルダムでの隠れ家生活の後、ナチスに捕らえられ、アウシュビッツ強制収容所などに入れられました。1945年3月、アンネは15歳9ヶ月の生涯を、ベルゲン・ベルゼン強制収容所でチフスの病気のために終えました。バラの母親はレーブ・ド・カプリ、父親がシャンクトレアという品種で、8年という歳月を掛けて作出されました。フロリパンダ種で花型は丸弁盃状咲き。花色は変色する性質を持ち、蕾のときは赤色。開花するとオレンジ色に黄色がかった黄金色で、次第に花弁の先からサーモンピンクに変色し、更に濃くなり赤色に近くなります。四季を通じて咲き、5〜8輪の房咲きです。

替わって、左掲はξ^_^ξの好きなピースですが、ピースは20世紀を代表するバラと云われ、数ある品種の中でも「奇跡のバラ」とも形容される程なの。原名はマダム・アントワーヌ・メイアン Mme.Antoine Meilland で、バラの育種家として有名なフランシス・メイアン Francis Meilland (1912-1958) が初めて作出したバラで、母の名をとって命名したの。けれど悲しいかな、当時は第二次世界大戦の激戦下にあり、1940年にはドイツ軍の侵攻を受けてフランスは降伏。ナチスが横行する姿に身の危険を感じた彼は、せめて新たに育種したバラだけでもと、本国に逃れるアメリカ領事にその苗木を託したの。

やがて、その苗木がフランシスの友人でもあり、育種者としても知られるコナルド・パイル氏( Conard-Pyle 社の創業者 )の許に届けられたの。1945年のことで、折しもベルリン陥落を受けてその喜びに世界中が沸き立つ中で、平和への願いを込め、改めてピースと命名されたの。因みに、日本へは戦後の昭和24年(1949)に横浜で開催されたバラ展の際に、アメリカから戦闘機で空輸されて来たのが最初のお披露目になるの。軍用機で運び込まれたと云うのもピースを象徴する逸話よね。お出掛けの際には紹介したアンネ・フランクゆかりのバラと併せて探してみて下さいね。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥

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どこにもいけないわ