この小杉の地に太宰府天満宮を分祠した際に梅の木を植えたことに始まると云う越生梅林ですが、現在ではその梅林を含め、周辺には25,000本もの梅の木が植えられているのだそうよ。今回はほんの一部でしかありませんが、梅林を離れて周辺にも足を向けてみましたので併せて紹介しますね。
〔 越生梅林 〕 大宰府から小杉に天満宮を分祀した際、菅原道真に因んで梅を植えたのが越生の梅の始まりと伝えられる。梅園神社(旧・小杉天満宮)には観応元年(1350)の棟札が現存する。室町時代の名将太田道灌の父、道真は道灌に家督を譲った後、越生に居を構えていた。文人としても名を成していた道真の元には、親交を結んでいた連歌師の心敬や宗祇も訪れ、越生の梅を賞美した句を詠んでいる。幕府が編纂した地誌【新編武蔵風土記稿】に「土地梅に宜く梅の樹を多く植ゆ 実を取りて梅干として江戸へ送る」とあるように、梅は江戸時代には特産品になっていた。明治以降は観光地としても注目され、明治33年(1900)には保勝会が結成され、翌年には奈良の月ヶ瀬梅林にあやかり「新月ヶ瀬梅林」と命名された。「入間川高麗川こえて都より来しかひありき梅園のさと」の歌を遺した佐々木信綱をはじめ、田山花袋や野口雨情も来遊している。昭和17年(1942)には大字堂山字前河原を中心とする地域が埼玉県指定名勝に指定され、関東を代表する観梅の名所、埼玉県屈指の観光地に発展してきた。越生の梅は栽培面積、出荷量共に県内一を誇っている。平成25年(2013)3月 越生町教育委員会
現地で頂いてきたパンフを載せておきますので参考にして下さいね。But 表示するには AcrobatReader が必要なの。インストールが未だの方は左記のサイトからダウンロード〔 無償 〕して下さいね。
撮りためてきたものをスライドに纏めましたので御笑覧下さいね。梅林を離れ、周辺の梅園めぐりもしてみましたので併せてお楽しみ下さいね。尚、青字のリンクをクリックすると現地案内板の説明を表示しますので参考にして下さいね。
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こんなことを云うと怒られそうですが、梅林よりも周辺農園の梅の木の方が花色が濃かったの。梅林は古木が多いせいかも知れないけど、農園の梅の木には樹勢があり、花数も多くて見応えがあったの。帰り際に見掛けた農園でも、福寿草が植えられていたりして、単に実利だけではない農園主の方の心遣いも垣間見えて。勿論、見事な花を咲かせることは、立派な実をみのらせるために必要なことで、観賞目的ではないのですが、そのためにはひとかたならぬ不断の丹精があればこその世界ね。その労にあやかり、梅林を訪ねた際には是非周辺の農園にも足を延ばして見て下さいね。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥
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