≡☆ 根川緑道のお散歩 ☆≡
昭和記念公園の Winter Illumination 2008 を調べているときに知ったのが今回訪ねた根川緑道なの。その緑道には250本程の桜の木が植えられ、桜の名所としても知られると云うので、桜の開花を待って訪ねてみたの。一部の画像は拡大表示が可能よ。見分け方はカ〜ンタン。クリックして頂いた方には隠し画像をもれなくプレゼント。
根川緑道〜残堀川遊歩道〜貝殻板橋〜府中用水取入口〜矢川弁財天〜矢川緑地
1. 柴崎体育館駅
しばざきたいいくかんえき
11:36着発
立川駅で多摩都市モノレール線に乗り換え、柴崎体育館駅で下車して多摩川方面に歩くと直ぐに車道と交差する遊歩道があるの。それが根川緑道で、全長約4.5kmにわたり、水の流れと共に緑豊かな自然が再現されているの。
根川緑道は立川市下水処理場で高度処理されたきれいな水を利用しています。荒木田粘土の上に玉石や砂利等を敷き、瀬や淵を設け、岸辺には水草等を植栽し、生きた水に戻す工夫をしています。草地の土手や蛇籠を使った護岸により、自然の川岸の復元や、水生生物が棲みやすい環境づくりに配慮しています。また、昔に植えられた桜を残し、嘗ての小川の景観を再現するため、草花や樹木の植栽を行っています。平成8年(1996)3月立川市
2. 根川緑道 A-Zone
ねがわりょくどう
11:37着発
根川の源流となる湧水口に向けて出発よ。
緑道はA:生物・B:遊び・C:休息・D:散策の4ゾーンからなり、ブロック毎にテーマに因む景観が演出されているの。Aゾーンは「高度処理水の湧き出す緑道の上流部で、武蔵野の雑木林の四季の変化と小川に生息する水生生物・植物とのふれあいゾーンです」とありましたが、地理的には緑道を跨ぐ柴崎橋の西側がAゾーンで、東側にB・C・Dゾーンと続くの。せせらぎの源流はAゾーンの西端にあるのですが、折角ならその湧水口を見てみたいわよね。と云うことは、源流を訪ねた後は再びこの位置に戻って来なくてならないので、ちょっと非効率ですが御容赦下さいね。
放流された鯉がのんびりと泳ぐ姿もあるの。
川幅のある場所もあり、変化に富んでいるの。
小さな子供を連れてのお花見もここなら安心ね。
宴をはる花見客も無いのでゆっくりとお花見が楽しめるの。
水音をお届け出来ませんが、あなたの耳にもきっと聞こえていますよね。
川面にはカモ達の寄り添う姿も。
根川は立川段丘の崖線の湧水を集めた小川でしたが、明治26年(1893)に残堀川と合流して水量も増え、憩いの場として親しまれていました。昭和10年(1935)に氾濫防止の改修工事が行われました。その時、堤に桜が植えられ、それ以後花見の名所となりました。しかし、その後も氾濫が繰り返されたため、昭和47年(1972)に多摩川へ流路変更が行われ、その一部が埋め立てられました。埋め立てられた根川は昭和48、49年(1973-74)に小川の流れる根川緑道として整備が行われました。水路には井戸水と下水道砂濾過水を混合して一日250m³の水が流れ出ていました。
嘗ては人と水鳥も近いところで一緒に暮らしていたハズなのに・・・
平成3年(1991)に建設省(現、国土交通省)の下水道水の有効利用・アクアパークモデル事業の認定を受け、立川市錦町下水処理場より無色・無臭の下水処理水を一日2,700m³流せることとなり、平成4年(1992)から平成8年(1996)の五ヶ年で根川緑道の全面改修整備を行いました。現在の流れは人工的に造られた水路ですが、豊富な高度処理水を用いて小川や水辺を再現し、嘗ての根川に生息していた魚や水生生物が棲める環境をつくる工夫を行っています。平成8年(1996)3月立川市
水と緑が癒しをもたらしてくれるの。
たとえ、川の流れが人の手で造り出されたものだとしても
そこで命をつないでいる草や木は元々は自然のものよね。
水切り石
岩を配して池に見立てたり
川幅を広げて中央に小島を浮かせて湖に見立てるなど
変化に富んだ景観が楽しめる趣向になっているの。
訪ねた時には桜だけでなく
足許ではシャガも桜に負けじと花を咲かせていたの。
車道側の橋には琴帯橋跡とありました。
嘗ては目にしているような小さな木橋が架けられていたのかも知れないわね。
細くて小さな橋が・・・
ここが根川緑道の源流になるの。
この湧水口からは一日に2,700トンもの水が流れ出ているのだとか。
3. 残堀川遊歩道
ざんぼりがわゆうほどう
12:13着発
残堀川遊歩道
お散歩やジョギングをするには最適の環境ね。
湧水口を見届けたところで折り返すつもりでいたのですが、緑道の先には未だ道が続き、桜並木のようなものがチラリと見えたの。それが残堀川で、川の両側には「残堀川憩いの水辺」と名付けられた遊歩道が設けられていたの。どこまで続くのかも知らずにいたのですが、時間の余裕もありましたので少し足を延ばしてみることに。ちょうど桜も見頃を迎え、川原には黄色の菜の花が彩りを添えていたの。
歩いていてもすれ違うのは殆どが地元の方なの。
残堀川は西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎の狭山池に始まり、武蔵村山市・昭島市・立川市を流れて、立川市柴崎町で多摩川に合流する川です。川の長さは12.7Kmで、流域(雨水の集まる区域)の面積は34.7Km²(立川市の約1.5倍)です。残堀川の流域の殆どは立川段丘に属しています。立川段丘は大昔、多摩川によって造られた河岸段丘で、砂と礫の地層の上を関東ローム層で覆われています。東京都建設局
Q:
残堀川と根川は別の川?
A:
残堀川は大昔、多摩川が武蔵野台地を作った時の名残りの川であり
立川段丘下の根川とは別の川で、次のように改修されました。
1655年(江戸時代)頃、玉川上水と接続
上水の助水(飲み水や農業用水のための水の量を増やす)として長い間貢献
明治26年(1893) 根川と接続
水が汚れ、助水の役割を終える
昭和47年(1972) 現在地で多摩川に合流
洪水対策を行う。下流部は根川緑道となる
アオサギ?
JR中央線の橋梁
植桜記念碑
橋の名は忘れてしまいましたが、ここが今回の折り返し地点。
折返地点の橋の袂には植桜記念碑と刻まれた大きな石碑があり、背面には「御大典記念 爰に本團支部は 御大典記念事業として 本部落地先田用水排水路涯塘上を清浄し 櫻樹数百を移植し 以て後毘に残すと云ふ 大正三年三月 立川町青年團 馬場支部」と誌されているの。御大典とは天皇即位に伴う一連の儀式のことで、大正3年(1914)とあるので大正天皇の即位を祝して桜の木を植樹したことになるわね。今こうしてお花見が出来るのも、この時の植樹があればこそのお話しね。残堀川の上流方向には未だ桜並木が続くのですが、根川緑道の散策がメインの今回は中央線の橋梁をくぐり抜けたところで折り返しました。対岸に渡り、残堀川の西側を歩いてみましたが、先程の舗装道に替わり、こちらは石畳になっているの。しばしその景観をお楽しみ下さいね。
ここからは復路になるの。
写真に収めようと待つとなかなか来ないの。
ゆきやなぎ
4. 再び、根川緑道
ねがわりょくどう
〔 A-zone 〕 13:19着発
〔 B-zone 〕 13:28着発
〔 C-zone 〕 13:35着発
〔 D-zone 〕 13:48着発
5. 貝殻橋
かいがらばし
14:03着 14:10発
この貝殻橋が根川緑道の終点になるの。
根川緑道の終点にあるのがこの貝殻橋で、根川の流れはここを過ぎると目と鼻の先にある多摩川へと注ぎ込むの。ところで橋の名ですが、この辺りの地中からは貝殻が多く出てくることから名付けられたものなの。「この貝殻橋の対岸には貝殻坂と云う小さな坂道があり、この坂は青柳段丘崖の立川市境にあたり、昔から坂の途中から貝殻が出るので貝殻坂と呼ばれています。江戸時代の文人・斎藤鶴磯の著書【武蔵野話】(1815)にも「芝崎村と青柳村との境 多摩川に臨し所に貝殻坂と云ふ所あり 此地の土中に蛤貝の殻おびただしくあり 古はこの辺は入海なりと土人云伝う」と記されています」と案内されているの。
6. 府中用水取入口
ふちゅうようすいとりいれぐち
14:17着 14:31発 暫時の休憩
視線の先には多摩川の川面が・・・
折角ここまで来たんだもの、多摩川の多の字くらいは見てから帰ろうよ−と適当に歩いて辿り着いたのがこの取水口。視線の先に多摩川の川面が見えたところで暫時の休憩タイム。江戸時代には将軍家への献上品としても知られた多摩川の鮎。明治期になり、甲武鉄道(現:中央線)が開通すると水遊びの行楽客が増え、河畔には鮎料理の料亭が軒を連ね、川面には屋形船が何艘も浮かんでいたそうよ。目の前に広がる景観からはとても想像出来ないお話しだけど。
府中用水は多摩川の水を青柳南で取り入れ、谷保南部を通り、府中まで導く農業用水路です。江戸時代には府中宿の内、本町・番場宿・新宿と、是政村・上谷保村・下谷保村・青柳村の合計七ヶ村が管理していたため「七ヶ村組合用水」と呼んでいました。いつ、どのように造られたかについては明らかではありませんが、一説には、江戸時代(1652年頃)に羽村の玉川兄弟が、青柳から府中までの上水路を計画し、途中まで掘り進んだところ、土地の高低差が激しく断念、後の人がその跡を利用したと伝えられています。また、一説には昔の多摩川の河床を用水路として利用したとも伝えられています。この下が用水の取り入れ口です。毎年、田植えの前に水を取り入れ、田を潤し、秋の収穫前に水を止める光景が風物詩となっています。平成4年(1992)3月国立市教育委員会
7. 矢川弁財天
やがわべんざいてん
14:43着 14:49発
矢川辨財天とあるのですが。
参道には「大難厄除福御授け 矢川弁財天」の幟がはためくなど、
みた限りではふつうの神社よね。
帰りは矢川緑地に立ち寄り、西国立駅まで歩くことにしていましたが、矢川緑地と道を隔てて矢川弁財天の幟が見えて、ちょっと気になり訪ねてみたの。縁起を記した栞でもないかしら−と期待したのですが、それらしきものは何もないの。最奥部には三龍殿と名付けられた真新しい社殿もあることから、それなりの信仰を集めてはいると思うのですが、詳しいことは分からず終い。三龍殿の傍らには矢川弁財天初代教主・木島キヨ霊人なる石像が建てられていたので、新興宗教の類かしらとも思ったのですが、そうでもないようなの。説明には、従兄井上言之助に請われ荒地を開拓し繁栄と共に多数の人を導いた−とあるの。
鳥居の先に見える小さな橋には白龍橋の名が。欄干には龍ならぬ蛇の姿があるの。
白龍橋はこの「龍神之池」に架けられたものよ。
弁財天が祀られる社殿の前では狛犬ならぬ龍神が脇侍しているの。
単なる蛇ではなくて田畑を潤し豊穣を齎す神の化身よ。
弁才天は古代インド神話ではサラスバティー Sarasvati と呼ばれ、元々はサラスバティー河を神格化したものなの。saras は水を指し、sarasvati は水の流れの美しい様子を表しているの。河の流れの妙なる水音は人々を心豊かにすることから福徳を齎す女神となり、穀物の豊作を齎す豊穣の女神ともなるの。やがてそのサラスバティーが同じ女神で智慧を司るヴァーチュ Vac とも習合し、河のせせらぎが弁舌にも繋がるの。そのサラスバティーが仏教に取り入れられて弁才天となり、そこでは川のせせらぎに代えて胡を抱え、日本に伝えられると琵琶を持つようになったの。
弁財天を祀る社殿
男性的な像容の仏像が多い中で女神像は人々に親近感を以て迎えられ、同じく女神として脚光を浴びたのが荼吉尼天。彼女もまた古代インド神話では自在の神通力を持つダーキニー神 Dakini と呼ばれ、人間の生死を半年前に見抜いてその心臓を喰らう鬼女だったの。後に大黒天との闘いに敗れた彼女はその眷属となり、仏教の守護神となるのですが、持ち前の神通力は衰えることを知らず大いに利用されたの。日本ではその荼吉尼天の神使が狐とされたことから稲荷神とも習合するのですが、同じ女神と云うことから弁才天にも習合したの。
扁額には「三龍殿」とあるのですが。
この矢川弁財天社を読み解く鍵(笑)がここにありそうね。
一方、田植えの時期になると現れる蛇は田畑を潤し豊穣を齎す神の化身として古来より崇められていたのですが、宇賀神とも習合したの。宇賀神はその名から連想されるように、稲荷神の宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と同一視されてもいたの。宇迦之御魂神は食物を司る神でもあり、豊作を祈願する農耕の神でもあったの。蛇の水神信仰と結び付いた宇賀神は人面蛇身となると、やがて鎌倉時代に隆盛する弁才天信仰に習合していくの。やがて弁才天信仰が庶民の中に広まるとその現世利益的な側面が強調されて福運の最たるものとして金銀財宝が持ち出され、弁才天は弁財天として更にパワーアップするのですが、弁才天は金銀を纏う前、弁財天は財宝を手にしてからの呼称ね。
8. 矢川緑地
やがわりょくち
14:51着 15:01発
緑地は湿性植物保全地域・林床保護区域・サンクチュアリーからなるの。
緑地とありましたので、訪ねる迄は武蔵野の面影を残す雑木林が広がる景観を想像していたのですが、森林だけでなく、湿地なども含めた自然の保存地域になっていたの。説明に依ると、保全地域は多くの生物が生きていける環境を後世に残す場所で、昭和52年(1977)に施行された「東京における自然の保護と回復に関する条例」に基づき、指定&保全されているものだとか。住宅地に取り囲まれてはいますが、面積は約2.1haあるの。その緑地の中心部を流れるのが矢川で、立川段丘からの湧水を水源にしているとのこと。そうなると気懸かりなのは宅地化の波ですが、改めて自然保護の難しさを感じてしまうわね。
緑地には保全地域の案内図が掲示されているのですが、緑地の西側に緑川が描かれているの。But どうしても川の流れを見つけることが出来ずにいたのですが、実は、車道のみのわ通りの下を暗渠化されて流れていたの。保全されているとは云え、矢川もいつかは暗渠化される運命にあるのかも知れないわね。
〔 雑木林のみち 矢川・青柳コース 〕 雑木林と云うことばは、何となく心和む”ふるさと”に繋がるような味わいを持っています。国木田独歩があの「武蔵野」で賞揚した武蔵野の風景は、コナラ・クヌギ・エゴノキなどの樹種からなる雑木林や、畑・水田・屋敷林等が野の道や用水・崖線の緑によってつづられ、構成された農の風景でした。しかし、都市化の進展により、広く都民に親しまれてきたこのような景色は、現在ではほんの一部の地域に残っているだけです。東京都では多摩東部地域に残る雑木林を保全し、この雑木林を中心とした武蔵野の風景をつづる道を、都民の憩いの場として積極的に活用することを目的として、「雑木林のみち」事業を進めています。「雑木林のみち」は10コースで構成され、どのコースも半日あればゆっくり散策できる長さです。このコースは矢川・青柳コースで、矢川の澄んだ流れと青柳段丘崖に連なる雑木林を辿る道です。雑木林の連なる斜面の下には、まました湧水などの湧き水が小川となって流れています。東京都環境局
9. 西国立駅
にしくにたち

TVのお天気情報のコーナーではお花見日和と案内していたので、これ幸いと飛び出してはみたのですが、生憎の花曇りで、緑道のお散歩を終えた頃からようやく晴れて来ると云う天の邪鬼。これがポカポカ陽気の快晴でしたら、満開の桜の木の下でお弁当を広げるなどして春の訪れを楽しめたのだけど。それはそれとして、根川緑道(中でも上流側にあたるAゾーン)の景観は素敵でした。緑が多くあることから桜の開花時期でなくても、新緑眩い初夏、枯葉の舞う秋口などのお散歩も楽しめそうよ。ξ^_^ξも季節を違えて訪ねる積もりでいますので、その時はまたご報告しますね。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥‥
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〔 参考文献 〕
雄山閣出版社刊 笹間良彦著 弁財天信仰と俗信
立川市教育委員会編 立川の歴史散歩
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