埼玉県加須市騎西地区にある玉敷神社に隣接する玉敷公園では、4月下旬から5月上旬にかけて藤の開花に合わせて藤まつりが行われるの。お薦めは推定樹齢450年以上とされる大藤で、花房が1m余りあり、必見よ。
〔 玉敷神社の藤 〕 県指定天然記念物
この藤はノダフジの一種で、樹齢は450余年と推定される。幹周り約4.8m、枝張り約700m²にも及ぶ、県内でも有数の巨木である。この木は、戸室の若山家にあったものを「騎西の町に観光資源を‥‥‥」と云う町商店会有志の度重なる要請に依り、昭和8年(1933)に玉敷神社に奉納されたものである。藤は町のシンボルとして多くの人に親しまれ、昭和50年(1975)に町制施行20周年を記念して騎西町の花に制定された。「玉敷神社の大藤」としてその名が知られ、花房は1m余りにも達する。ほのかに漂う芳香は、見る者の心を癒やしてくれる。加須市教育委員会
見頃を迎えて園内には大勢の方がいらっしゃっていましたが、ここでは、ξ^_^ξが撮りためてきたものをスライドに纏めてみましたのでお楽しみ下さいね。御覧になるには画像をクリックして下さいね。
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小休止を終えたところで、改めて玉敷神社に参拝。参拝後に社殿の周りをひとめぐりしてみましたので紹介しますね。尚、参道の景観などは訪ね来たときに撮したものですので、時系列が不揃いになっていますが御了承下さいね。掲載する画像は幾れも拡大表示が可能よ。気になる画像がありましたらクリックしてみて下さいね。
〔 玉敷神社 〕 主祭神:大已貴命( おおなむちのみこと = 大国主命 )
当神社は第42代文武天皇の大宝3年(703)に東山道鎮撫使・多治比真人三宅麿(たじひのまひとみやけまろ)に依り創建されたと伝えられ、一説に、第13代成務天皇6年(136)に武蔵国造・兄多毛比命(えたもひのみこと)に依ると云う。平安時代第60代醍醐天皇の延長5年(927)に公布された、律令の施行細則【延喜式】の神名帳にその名を載せる、所謂延喜式内の由緒ある古社である。以後、幾多の歳月を経て戦国時代に至り、天正2年(1574)、越後の上杉謙信が当国に出兵の折、当時正能村(現・当町正能)にあった当神社はその兵火に罹り炎上、古文書・社宝など悉く失われた。従って、それ以前の神社の歴史は明らかではない。江戸時代に入り、寛永4年(1627)の頃、騎西城主・大久保加賀守忠職(ただもと)に依り現在の地に遷座、以来、明治維新に至る迄、当神社は勅願所玉敷神社久伊豆大明神と称されて、埼玉郡(さきたまのこおり:現・南北両埼玉郡)の総鎮守、また、騎西領48ヶ村の総氏神として尊崇され、厄除けを始めとする、その多くの御神徳は厚い信仰を集めていた。この広範な領域に及んだ信仰は今日尚受け継がれ、200年以上の昔から伝わる当神社独特の祓えの行事「お獅子様」を行うところは、当騎西町を中心とする県東北部の23の市町村並びに群馬・茨城両県の一、二の町の大字小字の地区に迄広がっている。また、当神社には300年を超える伝統を持ち、江戸時代の原型を伝える国指定重要無形民俗文化財「玉敷神社神楽」※が保存され、年4回、祭礼の折に素朴で優雅な舞を披露している。※平成20年(2008)指定
〔 玉敷神社神楽 〕 国指定重要無形民俗文化財
江戸神楽の源流をなすと云われる玉敷神社神楽。素朴な中にも雅な舞を伝える。この神楽の発生は定かではないが、正保(1644-48)の元号を記した面や、享保4年(1719)に神楽を奉納した記録がある。また、古く当神社は正能地区に鎮座しており、その氏子が連綿と神楽師を務めている。このことから、その成立は江戸時代初期にまで遡るものであろう。演目は番外を含めて17座。題材は神話によるものや、演劇的な舞で構成される。楽は笛・太鼓・羯鼓(かつこ)を用いる。加須市教育委員会
〔 玉敷神社の公孫樹 〕 町指定天然記念物
この境内には、二本の大公孫樹がある。幾れも雄木で、神楽殿の北側にあるものが樹高約30m、幹周り5m、枝張り15mである。社殿の西側のものは樹高約30mで、途中から乳房状になった気根が見られるが、これは古くなった表皮の呼吸を助けるためのものと考えられている。幹周り6m、枝張り15mで、共に樹齢は500年と推定される。古くからこの辺りの人々は、当社の公孫樹が色付くのを見て麦播きの時季が来たことを知ったと云う。そうした親しみもあって、昭和50年(1975)の町制施行20周年には「町の木」に制定され、昭和55年(1980)には町指定天然記念物に指定されている。加須市教育委員会
境内には多くの末社が祀られ、社殿の周りには八坂社・厳島社・松尾社・宮目神社・白山社・稲荷神社・琴平神社が建ち並び、何故か一社離れて参道脇に天神社が祀られているの。それぞれの社にはどんな神さまが祀られているのかは、現地にお出掛けの際に御確認下さいね。ここでは聞き慣れない宮目神社についてのみ触れておきますね。宮目神社の祭神は大宮能売神(おおみやのめのかみ)で、この玉敷神社が現在地に遷宮してくる前までは地主神として鎮座していたのだとか。現在は末社に甘んじていますが、元々は宮目神社の社地だったと云うわけ。その神徳ですが、大宮能売神は元々は家屋を守り、その安全と平和を保つ神さまで、そこから地主神としてこの地の守り神となり、女神であることから安産の神さまとしても信仰されているのだとか。
以上が神社側の説明ですが、この大宮能売神、京都の伏見稲荷神社では稲荷神(=宇迦之御魂神)の随神として祀られているの。元々は穀物神でもある宇迦之御魂神に仕える巫女だったものが、後に神格化されて大宮能売神と呼ばれるようになり、天照大神への神饌を司る役割も持つようになるの。その大宮能売神が食物を主に取り扱う「市」で守護神と祀られたことから市場の守護神となり、後に百貨店(デパート)の神さまともなるの。デパートの屋上に稲荷社が建てられていたりするのを見掛けることがあるかも知れませんが、稲荷神と共に、この大宮能売神の神徳を期待して祀っていると云うわけ。
今回紹介した騎西藤まつりが今年(2017)で何回目の開催になるのかはξ^_^ξには分かりませんが、その始まりは昭和10年(1935)に初めて開かれた藤まつりをルーツとするのだとか。大藤の推定樹齢が450余年なら、藤まつりの歴史もまた記録的なロングタームね。大藤は幾多の年月を経てきたにも関わらず、今尚立派な花房を付けて訪ね来る人々を魅了するの。他では樹齢1,000年にも及ぶ藤もあると聞きますが、だとすれば玉敷神社の大藤も未だ未だこれからよね。とは云え、体は大きくても繊細な植物には変わりなく、このところの気候変動や環境変化がちょっと心配ね。数えきれぬほどの花房を下げた大藤の姿を見ると、どうか来年もまた見事な花を咲かせてくれますように−と祈らずにはいられないわね。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥
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