≡☆ 鴨川松島潮騒ハイク ☆≡
安房鴨川にある磯村厳島神社で、60年に一度の弁財天本開帳が行われると知り出掛けてはみたのですが、3時間待ちの行列に拝観は敢えなく挫折。仕方なく、お祭り気分はそこそこに潮騒ハイクに切り替え、荒島や絶景のビューポイントとして知られる魚見塚展望台を訪ねてみたの。補:掲載画像は一部を除いて幾れも拡大表示が可能よ。気になる画像がありましたらクリックしてみて下さいね。クリックして頂いた方には隠し画像をもれなくプレゼント。
鴨川漁港〜荒島〜魚見塚展望台
1. JR新宿駅
しんじゅくえき
7:19発
JR東日本千葉支社のマスコットキャラクターの駅長犬だそうよ。
実は、美味し国ぞ安房の国−安房鴨川編の 弁天島 の項で、磯村厳島神社の弁財天本開帳のことに触れているのですが、御覧頂いた方からメールを頂いたの。それも鴨川市観光協会に本開帳の具体的な日時をお問い合わせ頂いた上でお報せ下さったのですが、その開帳日と云うのが 2013.05.04 と 05.05 の両日だったの。その本開帳ですが、60年に一度と云うのですから、磯村弁財天の御尊顔を拝することが出来るのは一生に一度あるか無いかよね。日程的にはξ^_^ξとしても好都合だったこともあり、思い切って出掛けてみることにしたの。But 冒頭にお知らせしたように、弁財天の御尊顔の拝謁は結局は挫折してしまったのですが、それはさておき・・・
2. JR安房鴨川駅
あわかもがわえき
9:37着 9:55発
乗車した新宿わかしお号は、ある意味では特別列車だったの。
ホームに停車する新宿わかしお号ですが、画面奥は千倉方面になるの。
替わってこちらは千葉方面になるの。連結部のラッピングに御注目を。
白子町に温泉があるとは知らなかったわ。
楽しい牛乳もいいけど、ミルクたっぷりのアイスクリームが食べたいな。
視点を変えて訪ねてみるのも面白そうね。
佐倉には出掛けてみたことがないけど、千葉にもまだまだ未踏破の場所があるわね。
さっぱ舟に乗って十二橋めぐりしたのは遠い昔のことね。
ビッグひな祭りは圧巻よ。未体験ならあなたも是非!
あなたも是非、千葉県にお出掛け下さいね。
新宿駅での乗車時には気付かなかったのですが、安房鴨川駅のホームで列車をバックに記念写真を撮っている際に目が留まったのが、JR東日本千葉支社のマスコットキャラクターの駅長犬なの。改めて車両を追うと各車両毎に異なるイラストやゆるキャラがラッピングされていたのですが、みな千葉県内の観光地や観光名所に因むものだったの。それもそのハズ、乗車してきた新宿わかしお号は観光キャンペーンの一環として、ゆるキャラがラッピングされた「ちばのご当地キャラクターラッピングトレイン」だったの。まさに走る広告塔よね。当初は′11.10 に期間限定で始められたものみたいですが、好評とみえて′12.11 からは新たなゆるキャラも加わり、一層楽しい列車旅が出来るようになったの。折角だもの、期間限定などと云わずに、これからも続けていって欲しいものよね。
3. 前原横渚海岸
まえはらよこすかかいがん
10:06着 10:36発
この前原横渚海岸は冬場でも多くのサーファー達で賑わうの。
横渚は「よこすか」と訓むのだそうよ。
ξ^_^ξはそうとは知らずに「よこなぎ」と読んでました。
この前原横渚海岸は「日本の渚百選」の一つに数えられているの。
前原横渚海岸で30分を要していますが、波打ち際での戯れ時間を含んでのお話しよ。
普通に海浜プロムナードを歩くだけなら10分も掛からないんじゃないかしら。
4. 鴨川漁港
かもがわぎょこう
10:53着
鴨川漁港の突端にある磯村弁天島厳島神社、通称・弁天さまは、漁業・航海・財宝の神さまとして、大漁万作・海上安全・開運繁栄を願い、磯村を中心に多くの人々から崇敬されてきました。その霊験灼かな弁財天の御尊像を特別に拝観出来るのが御開帳であり、30年毎に行われていますが、今回は60年目の本開帳にあたります。弁天さまのある弁天島は、昔は船でしか行けないところだったため、御開帳の際には、漁船を並べて橋とし、神社への参拝と御神体の渡御が出来るようにしていました。現在は漁港の岸壁によって比較的楽に参拝することが出来ますが、大漁旗で飾られた大小様々な船によって架けられた船橋は、古くからの伝統として引き継がれています。
これは後程訪ねる八雲神社のお神輿よ。
御輿を固定している飾り綱の太さが凄いわね。
最初は天狗かしらと思ったのですが
訪ねたのは大祭初日のことでしたが、弁財天本開帳に併せて「鴨川みなとまつり」も開催されていたの。普段は水揚げされた魚介類が並ぶ卸売市場をメイン会場に、漁港全体がお祭りムード一色に染められていたの。会場にはお神輿や山車が勢揃い。とは云え、渡御の始まりには未だ時間があるとみえ、このときは静態展示止まりでしたが、お目当ての八雲神社の担ぎ屋台を中心に、幾つか撮りためてきたものを紹介してみますね。
これは猿田彦神(さるたひこのかみ)なの。
替わってこれは熊野神社のお御輿
会場には多くの社中の神輿や山車が並びますが、鴨川では毎年秋口に近在7社の合同祭が行われるの。以前は個々の神社で祭礼をしていたのですが、規模が小さいことから合同で行うようになったのだとか。その7社と云うのが大浦・八雲神社を筆頭に、白幡、日枝、熊野、諏訪、横渚・八雲、八幡神社で、今回の「鴨川みなとまつり」も合同祭になっているの。鴨川ではお祭りはみんなでやるのが当たり前で、どうせやるなら盛大な方がよかっぺ〜と云うわけ。
水交団とあるので分からないかも知れないけど
八雲神社の担ぎ屋台がこれよ。
これを担ぐとなると、いったい何人の担ぎ手が必要なのかしら。
車を付ければ楽に移動できるのに−と思うのは脳天気な旅人の感想よ。
車を付けずに敢えて担ぎ屋台としたのには理由があるの。
それにしても目の前にしたときの担ぎ屋台の重量感。普段見慣れたお神輿に比べると遙かに重そうよ。聞いたところでは総重量は1t近くあるのだとか。ましてや本番では太鼓一人と小太鼓の二人が乗り込むと云うのですから、数を頼むにしても担ぎ手は鍛えられた人にしか出来ないわね。因みに、水交団は嘗ての明神・山若・宮本・観音講の4講が組織統合されて出来たもので、勿論、大浦八雲神社の社中よ。
これは八雲神社・祇園講の山車
その牛頭天王を祀る社の総本家が祇園社で、現在の京都・八坂神社なの。
こちらは諏訪神社の山車で、人形は名のある武将かと思いきや神功皇后だそうよ。
神話の中でのお話しですが、実は神功皇后は軍船を率いて新羅征伐もしているの。
そのとき既に神功皇后のお腹の中には応神天皇(=八幡神)が。
50隻余りの漁船が大漁旗をはためかせて数珠繋ぎになっているの。
卸売市場前の岸壁から磯村厳島神社のある弁天島に向けて、約250mほどの海上には御覧の船橋が架けられていたの。今でこそ弁天島は陸続きとなっていますが、嘗ては海上に浮かぶ島で、参拝するには船で渡らなければならなかったの。But 御開帳のときなどは多くの参拝客があり、渡船では捌ききれず、漁船を並べて板を渡して橋の代わりとしたの。その漁船も今ではエンジン付の立派なものとなり、容易には板をわたせなくなってしまったのですが、せめて形だけでも−と、往時の姿が再現されていると云うわけ。大漁旗を掲げた漁船50隻余りが数珠繋ぎとなる光景は、磯村厳島神社の御開帳ならではのもので、これもまた30年に一度の貴重な景観なの。
画面奥に見える弁天島めがけて250m程の海上に船橋が架設されているの。
この船橋もまた30年毎にしか目にすることが出来ない貴重な景観なの。
弁財天の御尊顔を拝することは出来なかったけど、この船橋を見ることが出来ただけでも。
メイン会場を後にして早速弁財天の御尊顔を拝すべく厳島神社へと向かったのですが、防波堤に辿り着いたところで目が点になってしまったの。参拝するにはこの行列の最後尾に並ばなくてはならないのですが、問題なのは並んでからの所要時間よね。係員の方がいらっしゃったので大まかな時間を訊ねてみたのですが、何と3〜5時間待ちだと云うの。明治神宮の初詣じゃあるまいし、まさか−とは思いつつ、それでも「きょうは朝10時からの受付だけど、早い人は7時前から並んでたよ」のことばに、気持ちがすっかり萎えてしまったの。精神極めて脆弱にして信仰心の希薄なξ^_^ξは、60年に一度の機会を待つことよりも、その時間を使って他の見処を訪ねることにしたと云うわけ。
後方右手に見えている小山が展望台のある魚見塚になるの。後程訪ねてみますのでお楽しみにね。
画面奥に見えてきたのが鴨川松島の中でも三番目に大きいという雀島ですが、分かりづらいわね、ごめんなさい。
太海地区が見えてきたわ。
左手奥に見えているのが仁右衛門島よ。
これは鴨川松島の中で4番目に大きい鵜島
先ず最初に弁天島の隣にある荒島に向かうことにしたの。左掲はその途中で堤防の上から周囲を見渡したときのものですが、画面後方右手に見えている小山が後程訪ねる魚見塚になるの。視線を左に振れば鴨川松島の景観をめでることも出来るの。反時計回りで幾つか写真に収めてきましたので、気になる方は左掲の画像をクリックしてみて下さいね。
引き続き、弁天島の景観も紹介しておきますね。弁天さまの御尊顔を拝することは諦めましたので、代わりにそのお姿を思い浮かべながらこの場所から参拝することにしたの。この磯村厳島神社ですが、平安時代の承和年間(834-837)に唐から帰国した慈覚大師が当地巡錫の際に弁財天を彫像して安置したのが始まりとされ、以来、大漁祈願・航海安全・開運繁栄の守り神として、地元の漁師さん達からの厚い信仰を集めてきたと云うの。But 現在祀られている弁財天像は江戸時代の享保15年(1730)に造立されたものだそうよ。時期が不明なら、その理由も不詳ですが、当初の弁財天像は津波などの自然災害で逸失流失してしまったようね。現在安置されている像は一面八臂のもので、頭上に戴いた宝冠には白蛇もいると云うので、宇賀弁財天みたいね。
鴨川松島に浮かぶ島の中でも一番大きな島がこの弁天島なの。
御開帳に長蛇の列なの。
残念ながらここからでは弁財天の御尊顔を見ることは出来ないけど。
長蛇の列を横目に荒島に向かいましたが、弁財天本開帳とあってこの日は天候にも恵まれ、海もベタ凪状態。弁財天の福運の霊験灼かなことの証ね。とは云え、昭和28年(1953)の本開帳時には強風が吹き荒れたことから船橋が壊れてしまい、途中で中止を余儀なくされたそうよ。下掲はその船橋を含めて、道すがらの景観を収めたものなの。
左手奥に見えている建物がメイン会場になっている卸売市場よ。
陸続きとなった今でも、嘗ての浮橋の伝統を引き継いで船橋が再現されているの。
これは鴨川市内を眺め見たものよ。
残念ながらここからでは堤防に視界を阻まれて前原横渚海岸の砂浜は見えないわね。
弁天島と荒島の中間あたりに御手洗いがあるの。
お出掛けするときには覚えておくと安心出来るわね。
5. 荒島(鴨川灯台)
あらしま
11:50着 12:25発
島へは橋が架けられているのですが・・・
中には怖い者知らずの方もいらっしゃいますが、殆どの方は手摺りに掴まるの。
これは橋の右手に広がる景観ですが
波よけブロックが外海の波の激しさを物語っているわね。
その荒波がこの荒島を少しずつ削りつつあるみたいね。
それでは、いざ。
網目から下は見ないようにして・・・と。
弁天島とは堤防伝いに隣り合わせに位置するのがこの荒島で、左掲の画像では分かりませんが、島内には灯台も建てられているの。防波堤から島へは橋が架設されているのですが、足許の網目からは岩場や海面が丸見えなの。吊橋ではないので揺れはしませんが、傾斜がキツくて手摺りに掴まりながらでないと滑りそうで怖いくらいよ。トラスも大分余裕を持って造られているので、うっかり転んだりしたら、その隙間からそのまま橋下へ堕ちてしまいそうな気がするの。尤もそれは高所恐怖症のξ^_^ξの感想で、こどもならまだしも大人なら余程のことがない限りは平気よ。その橋とやらをもっと見せてよ−と云う方は左掲の画像をクリックしてみて下さいね。
橋を渡りきったところで道が二股に分かれていたので、最初に南側の小径を辿ってみたの。
先ずはそのときの景観をお楽しみ下さいね。
これは島内から鴨川漁港を眺め見たものなの。
防波堤が漁港を取り囲むようにして造られているのが良く分かるわね。
夥しい数の消波ブロックが、外海が荒れたときの波の激しさを物語っているわね。
最初に島の南側をめぐる小径を辿ってみたのですが、道であって道でないような。
防護柵があるわけではないので歩く際にはよそ見は禁物よ。
足許には御覧のような岩場が待ち構えているので御注意下さいね。
この先、行き止まりのような気がするけど、取り敢えず行けるところまで行ってみようっと。
嘗ては弁財天が舞い降りるに相応しい景観を呈していたのかも知れないわね。
弁天島の背後に広がる外海は豊かな漁場で、
弁財天は魚を追い求めて小舟で沖に漕ぎ出す漁師さん達の後姿を温かく見守っていたのかも知れないわね。
やはり行き止まりみたいね。岩場をよじ登らない限りは無理よ。
左手頭上には灯台が見え隠れするのですが、このルートでは灯台へは辿り着けないの。
折り返す前のワンショット。海は広いな〜大きいな〜
先程の分岐点に戻ったところで今度は中央突破よ。ちょっと大袈裟だったかしら。でも、道筋は左掲のように草叢に覆われるなど獣道状態で、途中にはキツい傾斜の登り道もあるの。とは云え、上ってしまえば割合平坦な道が続くの。その先に見えてくるのが鴨川灯台で、昭和56年(1981)に改築されてはいるのですが、初点灯は昭和29年(1954)のこととあるので、前回の本開帳の翌年のことになるわね。その灯台を始め、周囲の景観を収めた写真を幾つか掲載しておきましたので、引き続きお楽しみ下さいね。
鴨川灯台が見えてきたわ。
灯台から続く小径を辿ると・・・
沖合に小さな島影が見えるのですが、波涛根島かしら?
弁天島も背後に小さな島を従えていたの。
登灯出来そうに見えるけど関係者以外は出来ないの。
先程辿った南側を回り込む小径で行き止まりとなった場所をよじ登ると此処に出てくるみたいね。
ちょっと変わった形の綺麗な花よね、名前は分からないけど。
この鴨川灯台は海上保安庁のデータでは13秒間に3閃光を発するのだそうよ。
光達距離は12海里と云うので、メートル法に換算すると20km弱ね。
その灯台の廻りでは猫の姿を多く見掛けたのですが、みな人慣れしているの。
これは荒島の北側の景観よ。
同じ場所から先程渡り終えたスリリングな橋を撮すと・・・
島内の散策を終えたところで、次は八雲神社や浅間神社に立ち寄りながら魚見塚展望台に向かうことにしたの。左端は八雲神社の境内に立てられていたイラスト・マップですが、大浦バス停から「ふるさとの道」が魚見塚展望台まで通じていることが分かるの。その「ふるさとの道」ですが、分かってしまえば何のことは無いのですが、初めてだとどの道を辿れば良いのか分からないと思うの。追体験してみたいと思われる方がいらっしゃるかも知れませんので、道案内をしておきますね。
やはり、大浦バス停から続く「ふるさとの道」を辿るのが最短ルートみたいね。
これは階段を上りきったところで漁港をかえりみたものよ。
この坂道を上っていくと八雲神社の鳥居が見えてくるの。
最初に漁港からバス通りへの近道ですが、地図だと
ここ になるの。道の反対側には小さな広場と御手洗いがあるのですぐに分かると思うわ。But この近道は階段ですので歩行者しか利用出来ないの。掲載した写真はその階段を上りきったところで漁港をかえりみたところですが、後は民家の間を抜ける小道をちょこっと歩くの。バス通りに出たところで安房鴨川駅方面に50m位戻ると妙昌寺があり、左手に続く脇道が「ふるさとの道」になるの。右端の写真がその入口を撮したものですが、坂道を上っていくと正面に八雲神社の鳥居が見えてくるはずよ。因みに、妙昌寺の門前には大浦バス停があるの。
〔 補 〕 荒島から八雲神社への所要時間が40分近く掛かっていることになっていますが、途中、お祭りのメイン会場に立ち寄ったためで、普通ならのんびりと歩いても20分もかからないと思うので御安心下さいね。
6. 八雲神社
やくもじんじゃ
13:03着 13:06発
六浦地区のもう一つの守護神がこの八雲神社なの。
社殿前からの景観ですが、視線の向こうには大海原が広がっているの。
大浦地区の守護神的な存在がこの八雲神社で、先程紹介した水交団の本拠地がここよ。その水交団に担がれて行われる大浦担ぎ屋台巡行ですが、平成4年(1992)に鴨川市の無形民俗文化財に指定されているの。この八雲神社は古くは牛頭天王宮と呼ばれ、牛頭大王が祀られていたの。その牛頭大王が素戔嗚尊(すさのおのみこと)と混淆されるようになるのですが、明治期の神仏分離で習合を解かれると再び素戔嗚尊に戻されたの。社地にしても現在地に移転してきたのは明治12年(1879)のことですので、恐らくは八雲神社へと改称したのもそのときのことではないかしら。ところで、御神輿を担ぐ時に威勢良くするのはどうしてか御存知ですか?
関係者もみんなお祭り会場に集結しているようね。
関係者のみならず、参拝に訪ね来る人もいないの。
猿田彦と御神輿は普段はこの建物内に収められているのかしら?
実は御神輿は神さまの乗り物なの。祭礼時には普段は社殿に祀られる神さまにお出まし頂くの。そのときの乗り物が御神輿で、身近に神さまの御威光に触れることで豊漁に感謝したり、無病息災や日々の平穏を願ったの。それがいつの頃から「わっしょい、わっしょい!」と威勢良く担がれるようになったのかは分かりませんが、揺らせば揺らすほど神さまが元気になると信じられるようになったの。それが「魂(たま)振り」で、御神輿に乗せられた神さまは「打ち出の小槌」状態にさせられると云うわけ。But この八雲神社に祀られる神さまは武勇でも知られる素戔嗚尊のことですから「オラオラ〜、てめえらの荒波なんぞ、ヘでもねえぞ!」と笑ってるかも知れないわね。
ここで浅間神社への道案内をしておきますね。八雲神社の参拝を終えたら左手に進んで右に折れたくなる気持ちを抑えてそのまま直進よ。左端の画像に矢印を付しておきましたので御参照下さいね。二番目の画像が八雲神社側から見た進行方向の景観になるのでお出掛けの際に思い出して下さいね。尤も、浅間神社には用が無いぜ−と云う方は右折して魚見塚へ直行しても構わないけど、時間的には浅間神社経由の方が早い気がするわ。どのみち、復路にはその直行ルートを利用しましたので、後程改めて御案内しますね。
矢印の方向に進んで下さいね。因みに、正面に見えている坂道は魚見塚への直行ルート。
画面奥に見えている突き当たりから浅間神社への参道が始まるの。
7. 浅間神社
せんげんじんじゃ
13:13着 13:16発
取り立ててどうのこうのという雰囲気にはないのですが
参道の様子からして余り期待せずにいたのですが、やはりと云うか予想通りのさびれた雰囲気の社殿があるだけで、それでも弁財天の本開帳に併せて少しは手が加えられていたの。その社殿前には由緒書の木札が立てられていたのですが、祭礼の日時や御利益の内訳などが記されるだけで、創建年代などの詳しいことは分からず終い。ところで、浅間神社と云えば、その総社とされるのが富士山本宮浅間神社で、祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)よね。元々は富士山そのものを御神体としていたのですが、山の神さま達の総元締めである大山祇神(おおやまづみのかみ)の娘であること、燃えさかる炎の中で三人の御子神を生んだことなどから富士山の神さまとして祀られるようになったみたいね。
右側の石碑には「栄山真行之碑」と刻まれているの。
その富士山信仰が江戸時代になると先達の活躍で広く流布するようになり、各地で冨士講が隆盛するの。その名残りが神社の境内などに残されている富士塚ね。それはさておき、この磯村にも富士登山108回と云う偉業をなした先達がいたの。左掲の碑文に銘のある栄山真行(本名:松本吉郎兵衛)がその人で、元々は海産物を扱う商人だったみたいね。文政5年(1822)、26歳にして冨士講に入信し、明治9年(1876)に108回目の富士登山を成し遂げているの。その大願成就を機に安房各地に鎮座する浅間宮に改めて番号をふる108浅間宮を提唱したのですが、その記念すべき1番目の浅間宮となったのがこの磯村浅間神社と云うわけ。それにしても108回もの富士登山とは。まさしく、隠れた郷土の偉人ね。最後に石段前からの景観を紹介しておきますね。
木々の切れ間からは漁港が見えるの。
弁天島と荒島が並ぶ姿は鴨川漁港のシンボル的な存在ね。
先ほど訪ねた荒島の周囲の状況が良く分かるわね。
弁天島の賑わいに木花咲耶姫命が嫉妬しているかも知れないわね。(^^;
次に向かう魚見塚展望台への道筋ですが、社殿右手に御覧の小径が続いているの。後はこの道を辿るだけなので迷うこともないわね。やがて木々の覆いが無くなり、前方が明るく見えてきたら魚見塚へ到着よ。ふと見上げれば御覧のブロンズ像が立つの。
8. 魚見塚展望台
うおみづかてんぼうだい
13:18着 13:37発
出来ることならこの階段は愛する人と上りたいわね。
〔 魚見塚展望台 誓いの丘 〕
この場所は嘗て猟師達が沖合に来る魚の群れを見張っていたことから魚見塚と云われています。展望台頂上に立っている像は、郷土の木彫作家長谷川昂氏の作品で、仏の化身(乙女)が暁の潮風を受けているところから「暁風」と命名されています。いつからかこの「暁風」の前で恋人同士が誓いをたて、その証として二人で鍵を掛けていくと「幸せが未来へ続く」と云われるようになりました。そして、今では「誓いの丘」と呼ばれています。
像は遙か洋上から吹き抜けてくる風に身を任せているの。
ヒップ・ラインがちょっと艶めかしいでしょ。
羽衣を風になびかせて立つ姿は天女の降臨譚にも似て・・・
云われてみれば確かに円空仏に似た表情をしているわね。
展望台には地元・鴨川市出身の彫刻家・長谷川昴氏のブロンズ像「暁風」がたてられているの。残念ながら平成24年(2012)に亡くなられてしまいましたが、氏は「現代の円空」と形容されるほどの仏像彫刻家で、東京湾観音もまた氏の作品が原型となっているの。この像は仏の化身である乙女が暁の潮風を受けている姿を現したもので、台座には同じく氏の「暁風」と題された詩が刻まれているの。
黒潮に命託した魂が 今も見据える潮の色
振り返れば 魚見塚の峯から 冨士に向って見下す 豊穣の耕野 長狭野に金波が走る
遠い伝統に培われた文化は 不屈の士を育んで来た
広い大洋を渡って 潮騒は黎明を告げる
あの白い波しぶきは 今 潮風が運んで来たものだ
展望台は平成24年(2012)にリニューアルされ、2Fの展望デッキに特設された「誓いの場」には御覧のように無数の鍵が掛けられているの。以前掲示されていた−誓いの証として鍵を掛け、何年か後にまた訪れた時変わらぬ誓いの心を確認しあって下さい−の案内は無くなりましたが、代わりに出来たのが誓いの丘オリジナルの「誓いの鍵」なの。鍵は近くの一戦場スポーツ公園や駅前の観光案内所を始め、市内の宿泊施設などでも販売しているので、事前購入の上でお出掛け下さいね。詳しくは 鴨川市観光協会 を御参照下さいね。
残念ながら弁天島は木々に遮られて一部しか見えないの。そこでこの雀島からスタートしますね。
鴨川松島を離れて内陸の嶺岡山系の山並みへと視界を移しますね。
時計回りに更に視線を進めると・・・
この魚見塚展望台で忘れてはいけないのが展望デッキから眺め見たときの景観よね。眼下には鴨川松島の島々が海上に浮かび、雄大な外海がその先に広がるの。転じて背後には嶺岡山系の山並みが連なり、平野部に広がる鴨川市内も一望の下なの。更に北側にはリゾート鴨川の名に恥じない景観が広がるの。この景観はここに訪ね来た者だけに与えられる最大の御褒美かも知れないわね。ξ^_^ξの拙い写真ではその魅力を充分にお伝えすることは出来ませんが、追体験の誘因剤(笑)になれば−と、撮り貯めてきた写真を幾つか掲載しておきますのでお楽しみ下さいね。
ちょっと待ってね。臨時列車の「リゾートあわトレイン」が走って来たの。
平野部には鴨川市内の街並みが広がるの。
巷の噂 (^^; では、この展望台から見る鴨川市内の夜景も綺麗だそうよ。
景色がリゾートしてるでしょ。(^^;
展望台からの景観を堪能したところで魚見塚を後にしましたが、帰り道は先ほど触れた直行ルートを歩いてみたの。先ずは展望台から続くスロープを下りますが、こちらも展望台のリニューアルに併せて整備され、以前に比べると格段に歩き易くなったわね。それ以上に感激したのが綺麗なお手洗いが出来たことね。(^^; 左掲の建物がそのお手洗いなの。そんなものを掲載してどうすんだ!と怒られそうですが、旅先では前以てトイレ休憩できる場所があることが分かっていると助かることも多いわよね。因みに、駐車場も新設されたのですが、道幅が拡げられた訳ではないので、対向車があるとすれ違いはきついかもね。
画面には写りませんが、左手に脇道があるの。
いきなり木々に覆われた道になるので不安になるかも知れないわね。
ようやく民家が現れて。ここまで来れば安心よ。
何となく何処へ出て来たか分かるでしょ?
もう、お分かりよね。
八雲神社の脇へ出て来たの。
浅間神社への道順を御案内したときのものよ。
妙昌寺本殿の屋根越しに海が見えてきて、山を下りてきた実感がするの。
既にお気付きのように、実はこちらの駐車場のある方が展望台への正面玄関になるの。浅間神社を経由してきたξ^_^ξは裏口入学と云うわけ。それはさておき、肝心の直行ルートの御案内をしなければいけないわよね。左掲が今下りて来た展望台のスロープですが、その出入口左手にUの字を描くようにして脇道があるの。木々に覆われた山道にいきなり分け入ることになるので不安になるかも知れないわね。良く云えば緑豊かな山道ですが、その分見晴らしなどは望むべくも無いの。出口側の様子を中心に写真に収めて来ましたので、気になる方は左掲の画像をクリックしてみて下さいね。こんな近道もあるんだ−と云うことで、冒険心旺盛な方はチャレンジを。(^^;
9. 鴨川漁港
かもがわぎょこう
13:52着 15:37発
日枝神社の山王講の山車ですが、この山車もまた天下祭に参加していたみたいね。
巡行の際には恵比寿さまの人形を掲げて練り歩くの。
これは白幡神社・白幡講の屋台になるの。
白幡神社は源頼朝が源氏の軍旗、白旗を奉納したことに因むと云うの。
個人的にはちょっと気になる神社ね。
見ているとすごく楽しそうで、何を話しているのか、気になっちゃうじゃない。(^^;
大浦八雲神社・祇園講の屋台
お似合いの二人よね。案外、兄と妹だったりして。(^^;
メンバー・チェンジの様子を目撃。(^^;
この臨戦態勢はすごいわね。
プロ意識を感じてしまったわ。
そして、何事もなかったかのように・・・
この船橋も30年後の中開帳で再び目にすることが出来るハズですが、それまで生きていられるかしら?(^^;
磯村弁財天の御尊顔を拝することを断念して他の見処を訪ねることにしたとしても、残された時間ではこれ以上思い当たる場所もなく、みなとまつりのメイン会場をひとめぐりすることにしたの。加えて、昼食もとらずに歩き回っていたこともあり、露店で定番のやきそばをGetして本日のランチタイム。(^^; 時間があれば山車や御輿の練り歩きも見たかったのですが、巡行には今少し時間がありそうなので、代わりに出発前のお囃子の競演を聞きながら本日の散策を終了することにしたの。
10. JR安房鴨川駅
あわかもがわえき
16:28着 17:00発 ( 鴨川日東バス「アクシー号」)

鴨川市磯村に鎮座する厳島神社の弁財天本開帳に合わせて出掛けてみた今回の散策ですが、本開帳拝観を大義名分に掲げながら、余りにも中途半端な結果で終えてしまいました。併せて開催された「鴨川みなとまつり」の様子などは他のサイトに多くの動画やレポートが掲載されていますのでそちらを御参照くださいね。それでも、浅間神社の参道途中から垣間見えた船橋の景観は荒島や弁天島の景観と共に、今でも色鮮やかに甦るの。残念ながら、次に船橋が見られるのは30年後の中開帳のときまで待たなくてはなりませんが、お伝えした荒島や魚見塚展望台からの景観でしたらいつでも楽しめるわね。加えて、安房鴨川は首都圏からでしたら2時間余でアクセス出来てしまうの。穏やかな一日を見つけて、あなたも横渚海岸の砂浜を歩きながら潮騒と戯れてみては?それでは、あなたの旅も素敵でありますように ‥‥‥
御感想や記載内容の誤りなど、お気付きの点がありましたら
webmaster@myluxurynight.com まで御連絡下さいね。
〔 参考文献 〕
掘書店刊 安津素彦 梅田義彦 監修 神道辞典
館山市立博物館刊 企画展特別展図録 富士をめざした安房の人たち
新紀元社刊 戸部民夫著 八百万の神々−日本の神霊たちのプロフィール−
房総叢書刊行会 改訂 房総叢書 第三輯
その他、現地で頂いてきたパンフ・栞など
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