≡☆ 散策閑話−城峯神社由緒書 ☆≡
 

本文で紹介した由緒書きの他にも、鳥居脇や境内には幾つもの由緒書きが立てられていたの。
ここでは参考までに残り三つについて転載しておきますね。

城峯神社由緒書

《 一の鳥居脇にあったもの 》  その一

〔 郷社城峰神社 〕  天禄2年(971)、日本武尊(やまとたけるのみこと)東夷征討の折、山頂に大山祇命(おおやまつみのみこと)を祀ったのが始まりと伝えられる。1500年代に入ると、甲州軍と秩父新太郎との戦いで社殿は受難したが、その後、徳川家光の時代に修築されたと云われている。1800年頃から明治維新まで、柚木氏邸内に社殿が設けられていたが、明治5年(1872)入間県のとき、現在の一に遷宮され、同7年(1874)郷社に列せられた。また、神使「お犬様」( 狼又は山犬 )は、大口真神( おおぐちのまがみ )と称され、その霊能により、あらゆる災厄を消除すると信ぜられ、火難盗難等守護を祈る講社団体等の参拝が多い。環境省・埼玉県

《 一の鳥居脇にあったもの 》  その二

〔 郷社城峯神社 〕  村の西北隅にある標高700mの霊山・神山、その中腹標高480m、この大鳥居をくぐり、参道奥に樹齢150年余を誇る杉木立の神域に皇祖天神・大山祇命( おおやまつみのみこと )を祀る鎮守郷社城峯神社が鎮座する。往古第12代景行天皇の御代、日本武尊御東征の砌、当地に来り矢を納めて大山祇命を祀り給い、一山の守り神となしたる由緒にして、当矢納の地名もこの故事によるものである。この神社の御守礼は御神使「巨犬」大口真神( おおぐちのまがみ )と称される御眷属( お犬さま )である。このお犬さまの御守護を以て全ての災難厄が消除されると云う高き御神カによる霊験ある信仰により、お犬さまの御姿、即ち御神眷を神社から借りてきて災難消除を行うと畑作物の実りもよく豊穣で、養蚕の収穫も多量で、農業生産に大きな利益を与えてくれる。又、商業にも商売繁盛の利益がある。また、安産等々大変な御神力であると云うことで、毎年この御神眷を新しく借り換える風習になっている。この借り換えを行う人々の組作りがある。この信仰組織を講中という。

例年五月五日の大祭を中心に近郊近在は勿論、遠くは群馬方面から大勢の信仰者が参詣する。従ってこの例祭には村を挙げての行事で式典が催され、併せて有志による演芸会が盛大に行われ、露店等も開かれ、大賑わいである。以前から、この祭りに花嫁が衣装も豊かに着飾り、数組もの初詣が行われた。また、その昔より、あの人には憑きものがついたとか、或いは狐が憑いてその人がその動物の鳴き声をしたり、その動物の動作をして周囲の人をを困らせ、医者を呼んでも治らず、そこで神社の祈祷を行ったところ、その人間に付いていた憑きものが落ちて元の人間に戻ったと云う。その祈祷が当神社の霊験に依るもので、人助けが出来たと云う云い伝えが当今広く人々に知られ有名である。大鳥居より参道を150m程登ると境内が開け、正面上段に入母屋千鳥破風造の本殿が荘厳に鎮座している。本殿を拝し、右の登山道を上れば( 徒歩30分 )山頂奥社に達する。山頂は眺望遙かに開け、県境を流れる神流川、下久保ダムによって出現した神流湖の景観、上毛の三山並びに高崎の立観音、前橋、本庄方面の関東平野を眼前に、浅間山・谷川岳・上信越連山或いは日光男体山等々の遠望あり、その壮観さは言語に絶するものがある。

春は新緑の香りも豊かにして野鳥のさえずりも賑わしく、山菜を摘む人々の楽しき姿。五月五日の例大祭も過ぎれば、涼風を求めて避暑に訪れる児童や若人達のキャンプに宿舎の利用も盛んであり、自然と安らぎを満喫させて素晴らしい憩いの場でもある。また、大鳥居前から城峯公園が続き、山麓周辺には秋の味覚の王者・神泉ぶどう園が連なり、ぶどう狩りを楽しみ、お土産品として最適である。東京より80Kmの距離圏にあり、関越自動車道を利用して1時間半、電車で2時間、近郊からは20分前後で来られる交通の便である。大自然に恵まれ、埼玉県立上武自然公園に属している。〔 以下省略 〕

《 社殿手前石段脇にあったもの 》

〔 郷社・城峯神社御由緒 〕  埼玉県児玉郡神泉村大字矢納字東神山 鎮座 郷社 城峯神社 人皇第12代景行天皇の41年、皇子日本武尊東夷御征伐の御帰路この里に到り給い、当山に霊畤を設け、遙かに大和畝傍山の皇宗神武天皇の御陵を拝し東夷平定の由を奉告し、且つ躬ら矢を納めて大山祇命を祀りて一山の守り神と崇め給う。是即ち当山の起源にして、当村矢納の地名もこの故事に縁由せり。天慶3年(940)平将門の弟・将平矢納城を築きて謀叛せり時に、藤原秀郷朝命奉じて討伐に向かい、当山祭神に賊徒平定を祈願し、乱治まって後、厚く祭祀を行い、城峯の社号を附せり。天禄2年(971)本殿を建つ。文亀5年※4月甲州軍秩父新太郎と戦う。明治5年(1872)村社に列せられると共に現在の神山に遷宮せらる。明治16年(1883)4月山火事の為、幣殿並びに拝殿を焼失す。翌17年(1884)再建す。明治17年(1884)6月16日郷社に列せらる。大正13年(1924)神殿を修理する。昭和28年(1953)鳥居を再建す。昭和33年(1958)神殿玉垣を造築す。昭和45年(1970)3月社務所を改築す。昭和54年(1979)神楽殿を改築す。昭和55年(1980)4月社前の石段を改修す。昭和57年(1982)神殿屋根並びに奥の院の改修工事を成す。
祭日・祈年祭(2/17)・例大祭(5/5)・新穀感謝祭(10/17)
上記、御由緒を残し後世に伝う。

御神札カトシヤスの解説
カは火災予防、トは盗難予防、シは四足防除、ヤは悪病除、スは御神体のお姿をあらわす。
是皆御神徳の高きを現す。

※文亀年間は文亀元年(1501)から文亀4年(1504)までで、文亀5年の年号は存在しないの。
多分、永正2年(1505)のことだと思うのですが・・・






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