河津桜と云えば伊豆の河津桜が御本家ですが、河津まで遠出せずとも、都内にある木場公園の東側を流れる大横川沿いには季節になると河津桜が咲き乱れるとの噂を耳にして出掛けてみたの。
大分以前のお話しになりますが、伊豆の河津にお花見に出掛けたことがあるのですが、河津桜の艶やかさは今でも記憶に残るの。その開花をふと耳にしてからと云うもの、再訪願望がふつふつとわき起こってきたのですが(笑)、宿泊の予約はしなければならないし、お金は掛かるしで、そう簡単には出掛けられないわよね。代わりに、近場でのお花見情報を調べていたときに知ったのが今回紹介する大横川護岸に続く河津桜の桜並木だったの。御本家のそれとは環境も規模も大きく異なるのですが、それでも、春の陽射しを浴びて色鮮やかに咲き誇る姿は、やはり河津桜ならではのものね。今回はその艶姿をたっぷりとお届けしますので、お楽しみ下さいね。
それでは、早速、大横川の畔に咲く河津桜の艶姿を紹介していきますね。
ここでは撮りためてきたものをスライドに纏めてみましたので御笑覧下さいね。
参考までに、現地で見掛けた案内板の記述を二つ程引いておきますね。
河津桜は、大島桜と寒緋桜(カンヒザクラ)の自然交配種と推定されています。原木は、昭和30年頃、静岡県賀茂郡河津町で発見され、昭和41年(1966)に初めて花を付けました。その後、昭和54年(1979)4月に河津町の木に指定されました。ここに植えられている河津桜は、平野一丁目にお住まいの藤原晃さんから御好意に依って、御寄付頂いた桜の木です。平成14年(2002)3月吉日
因みに、河津桜の学名は Prunus Lannesiana Wilson ‘Kawazu-zakura’ だそうよ。
大横川は、明暦の大火〔明暦3年(1657)〕後の本所深川開発に伴い、舟運と排水を目的として、万治2年(1659)本所奉行の徳山五兵衛重政・山崎四郎左衛門重政に依り開削されました。江戸城から見て横に流れるので大横川・横川と呼ばれました。また、竪川(たてかわ)を境として北側を北横川、南側を南横川とも云い、更に小名木川(おなぎがわ)より南は、元禄8年(1695)亥年に開削されたため、亥(い)の堀とも別称されました。昭和40年(1965)の河川法改正により、木場五丁目から西へ向かい隅田川へ注ぐ旧大島川を含み、現在では延長7.11kmの一級河川となっています。江東区
これは、訪ね来る前までのお話しですが、地図上で見る限り、大横川は広大な敷地面積を誇る木場公園の東側を流れることから当然護岸堤防が造られ、狭いながらも河原もあり、その堤防上に桜並木がつくられているものとばかりに思っていたの。残念ながら脳天気な旅人の絵空事で終えてしまいましたが、人造物の象徴とも云えるマンションやビル群を背景にしてある桜並木もまた絵になる空間なのかも知れないわね。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥
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