≡☆ 仙台の奥座敷・作並温泉 ☆≡
1992/03/05 - 1992/03/07

誕生日記念に山形の立石寺を訪ね、作並温泉の湯に心を癒す旅をしたときのメモリアルページです。仙台市内の散策に松島遊覧も加えた欲張りな旅でしたが、春には未だ遠く、雪が舞う中での行脚となってしまいました。山寺は墨絵のような景観でしたが、木々の緑が萌え立つ頃にもう一度訪ねてみたいものですね。尚、運賃や拝観料等は ′03.07 現在のものに置き換えましたが、掲載ダイヤは当時のままですので御注意下さいね。

一日目:山寺と作並温泉

1.JR東京駅 とうきょうえき 8:04発 12番線

つばさ 山形新幹線の開業を一月後に控えた中での旅でした。本当は山形新幹線に乗車してみたかったのですが日程が折り合わず、止むなく東北新幹線を利用しての仙台経由となっています。初日は山寺に参詣してから作並温泉に宿泊する行程を採りましたので、今では山形新幹線を利用して山形側からアプローチした方が時間的には有利ですね。特急券:¥4,810 乗車券:¥5,780

2.JR仙台駅 せんだいえき 10:09着 10:50発

仙台駅からはJR仙山線の快速「仙山5号」に乗り継ぎましたが、出発時間まで余裕がありましたので、改札を経て仙台駅前郵便局へ向かい、記念貯金。平日に旅する機会が少ないので一向に貯金額も増えませんが、通帳に地方の局名が捺印されるのを見るのも旅の楽しみね。この頁を御覧頂いている旅好きなあなたも、次回のお出掛けから心掛けてみては?乗車券:¥820

3.JR山寺駅 やまでらえき 11:34着

山寺駅 車中でも雪景色を眺めての旅となりましたが、駅に降りる乗客もξ^_^ξ達の他には地元の方らしき方が数名のみ。まさか雪が降るとは思ってもいませんでしたが、この先、雪の降り積もる階段を登ることになるとも知らず、普段見ることも無い雪景色を前に連れの2人はすっかり喜んでいました。意を決して歩き始めて程なく山寺郵便局を見つけて記念貯金。駅に降りた時には差程感じなかった寒さですが、郵便局を出た途端、お〜さぶう!お金の集まる所はやはり暖かいわね(笑)。

4.対面石 たいめんいし

歩みを進めると立会川に架かる宝珠橋の袂に、円仁上人と磐司磐三郎がこの辺りの土地をめぐり、談合した場所とされる対面石があります。だんごうってあの談合のこと?でも何を談合したの?−という方に。

今から千年以上も昔のお話しじゃあ。都には円仁というそれはそれは偉〜いお坊さんがおってのお。その円仁上人が東国巡礼の旅に出て、この地にやって来た時のことじゃ。幽玄な趣を観た円仁上人は−この地こそ修行にふさわしい。是が非でも坊を造り、布教のための道場としよう−そう思うたそうじゃ。けんどもその山には磐司磐三郎と云う、めっぽう腕のいいマタギが住んでおってのお、獣を捕らえては悦に入っておったそうじゃ。

ひとの山に勝手に寺を建てるたあ、とんでもねえ坊さんだあ、追い返してやるべ。そう意気込んだ磐三郎と、磐三郎の殺生を戒めようと思案しておった円仁上人が出会うたのがこの対面石じゃ。頭に血が上っておった磐三郎じゃが、上人の話しを聞く内にすっかり得心してのお。上人の徳に感じ入った磐三郎は殺生を止めて自分の山を差し出したそうじゃ。それからというもの、百姓になった磐三郎は上人の山寺開山を全力で助けたそうじゃ。とんとむか〜し昔のお話しじゃ。

この円仁上人こそが、後に初めて大師という称号を得た慈覚大師。一方、磐司磐三郎を一人では無く、兄弟とする別伝もあるようね。実際はどうだったのかはξ^_^ξには分かりませんが、気になる方は 秋保・里センター を御参照下さいね。対面石の云い伝えの背景は知れば知る程深いようで。因みに、山寺の散策ガイドなら 芭蕉庵ドットコム がお薦めよ。御覧になればこの頁を読む必要も無いかも知れないわね。

5.山寺(立石寺) やまでら(りっしゃくじ)

根本中堂 お土産屋さんやお蕎麦屋さんが建ち並ぶ通りを過ぎると根本中堂へ登る階段がありますが、そこが山寺への登り口で、階段を登り切ると目の前に根本中堂が建ちます。写真では分かりづらいのですが境内には積雪があちらこちらに。山寺は比叡山延暦寺の別院でもあることから、堂内には比叡山から移した法灯が燈されているの。ですが、生憎と固く扉も閉ざされていて裡の様子を窺うことが出来ませんでした。因みに、この根本中堂ですが、ブナ材を使用した建築物としては日本最古のもので国の重要文化財にも指定されているの。

布袋尊 その扉の前に鎮座されていたのが御覧の布袋尊。身体を撫でながら願いごとを祈念すればかなうそうよ。堂裡には法灯の他にも慈覚大師作とされる重要文化財の薬師如来座像などが安置されているそうですが、訪れた時には人気が無くて、受付もどこにあるのか分からず、未体験で終えています。なのでコメント出来ませんが、興味のある方は御見学下さいね。堂内拝観料:¥300

堂宇の左脇には有名な−閑さや巌にしみ入る蝉の声−の芭蕉句碑、更にその奥には清和天皇御宝塔があるの。立石寺は貞観2年(860)清和天皇の勅願に依り、円仁上人(慈覚大師)が開山。都からすれば魑魅魍魎の輩が住むと恐れられていた辺境のこの地を治めることは悲願だったのかも知れませんね。宝塔はその清和天皇の遺徳を慕い、国家の安泰を祈念して建てられたもので、山寺では最も古い石塔となっているの。一方の芭蕉句碑ですが、句を知っているから読めるけれど、知らなかったら読めないほどの達筆な文字で刻まれているの。う〜ん、昔の人は難しい字をいっぱい知っていたのね。

《 大イチョウ 》 根本中堂を後にして鳥居をくぐると、左側には天然記念物の大イチョウがあるの。何と、根元の幹廻りが約10m、高さ30mにも達すると云う銀杏の巨木で、山形市内では最大とのこと。昭和47年(1972)の台風で上部が折損してしまったそうですが、それでも厳とした佇まいを見せていました。既に幹の一部が空洞化していますが、今でも樹勢衰えること無く立ち続けてくれているかしら。山形市の天然記念物に指定されたのは昭和40年(1965)の03/05ということで、年度こそ違え、ξ^_^ξの誕生日でもあり、縁を感じてしまう大イチョウでした。ところで、イチョウというと銀杏という漢字しか思い浮かびませんが、教育委員会の手になる立て看板には公孫樹や鴨脚樹とも。さすがは教育委員会ね。

《 日枝神社 》 歩みを進めると右側には日枝神社の建物が。お寺のはずなのに何で神社がここに?そう云えば先程鳥居もありましたよね。神仏混淆?この日枝神社は円仁上人(慈覚大師)が開山時に現在の滋賀県・大津より守護神として大宮山王権現を勧請したものなの。魑魅魍魎が怖かったわけではないのよ。その日枝神社には御神輿殿・秘宝館の建物が続きますが、秘宝館には元は慈覚大師の入定窟にあった国重要文化財の如法経所碑や磐司磐三郎座像、日本最古の伝教大師像などの寺宝が展示されているの。仏教美術に興味のある方は忘れずに御見学下さいね。入館料:¥200

芭蕉像

《 芭蕉像 》 道を挟み、秘宝館の反対側に建てられているのが御覧の松尾芭蕉像なの。傍らには門弟・曾良の像も建てられていますが、芭蕉がこの地を訪れたのは夏のことで、そのせいか、身に纏う衣は薄衣のように見え、小雪パラつく中で寒そうに佇んでいました。こんな日には俳聖の芭蕉はどんな句を詠むのかしら。ところで芭蕉の本名は松尾宗房と云い、門人の李下からバナナの木の一種である芭蕉の木を贈られて庭先に植えたことからその居所が芭蕉庵と呼ばれるようになり、俳号にも用いるようになったの。う〜ん、バナナですか。益々寒さとは縁遠いようですね。スミマセン、茶化してばかりで。

鐘楼 《 鐘楼 》 常行念仏堂を過ぎるとあるのが御覧の鐘楼よ。手前に境内の案内図がありますが、登山道は1,100段程の石段からなり、積雪で足許が危ぶまれたのですが、意を決して登ることにしました。ところで「山寺」という呼称ですが、ここでは特定の堂宇を指すわけでは無く、霊場たる宝珠山の総称なの。なので山寺の参詣は1,100段の石段は避けて通る訳には行かないみたいね。入山料:¥300

《 姥堂・笠岩 》 山門から登ると間も無くある小さな堂宇が姥堂で、三途の川の畔に立ち、亡者の衣服を奪い取るという奪衣婆像が安置されているの。気色悪くてレンズを向ける勇気がありませんでしたが、この姥堂のある場所を境にして地獄と極楽とに分かれるの。古(いにしえ)の参詣者は穢れを持ち込まぬようにと、ここで着ていた衣(ころも)を脱いで奪衣婆像に掛けてから登ったの。けれども山姥(やまんば)がいたらさもありなんという面持ちに、思わず目を背けたくなるほどで、見てはいけないものを見てしまったような気分よ。名立たる絵画の巨匠も、この奪衣婆像を模写した後には筆を折らざるを得ないかも。その姥堂の向い側には慈覚大師も雨宿りしたと伝わる笠岩があるの。しばし慈覚大師になった積もりで雨宿りならぬ雪宿り。

《 蝉塚 》 更に登ると石碑が数基並ぶ場所に出ますが、中でも一段高い位置にあるのが芭蕉の蝉塚なの。根本中堂脇にも句碑がありますが、こちらの句碑は後に曽孫弟子の壷中などが中心となり、芭蕉の短冊を埋設して石碑を建立したものなの。そうとは知らず、最初は芭蕉が句を詠んだ場所を記念したものだとばかり思っていたの。元は山門脇に建立されていたものを、後に現在地に移設したものなの。有名な−閑かさや云々−の句ですが風化してしまい、殆ど判別不能ですが、石碑には閑かさやの閑に静の字が充てられているの。石工が刻った際の誤字?それとも理由があるのかしら。

百丈岩 この蝉塚のある辺りに名物の力こんにゃくを売る茶店があると聞いていたのですが、こんな小雪がぱらつく日には参拝客も少ないからか、季節営業のせいなのかは分かりませんが、茶店の茶の字も見当たりませんでした。う〜ん、残念。写真は蝉塚附近から写した納経堂の建つ百丈岩の岩壁ですが、位置が悪かったのか、納経堂の建物も見えず終いでした。

仁王門 《 仁王門 》 蝉塚を過ぎて間も無く見えてくるのが御覧の仁王門。普通、仁王門と云えば両袖に奉られる仁王像ですが、ここでは仁王さまの代わりに閻魔さまが脇侍して、通り抜ける参拝客の過去の行いを一人一人チェックしているの。取り敢えず仁王門を潜り、奥の院に向かいましたが、全山鳴動もせず無事参拝を終えました。仁王門を過ぎた参道脇には薄く雪化粧した観明院や金乗院などの堂宇が建ち並び、静かな佇まいを見せていました。

奥の院 《 奥の院 》 奥の院の正式名称は如法堂ですが、円仁上人が諸国行脚の折りに持ち歩いたとされる釈迦牟尼仏が安置され、根本中堂の法灯と共に、ここにも分け火された常火が灯されているの。当時は気付かずに終えましたが、近くの華蔵院には岩窟に納められた高さ2m余りの日本最小の三重塔(国重文)があるの。皆さんは見過さないようにして下さいね。

胎内堂 《 胎内堂 》 奥の院で折り返した後は、金乗院の辺りから右手に続く道を歩いて開山堂に向かいますが、岩場の洞窟に投げ入れられたようにしてあるのが胎内堂です。以前は巨岩の下を潜り抜けて胎内堂に至る「胎内くぐり」の道があったのですが、現在は通行止めになっているみたいですね。嘗ては辺りの岩場も修行者の絶好の修行場として利用されていたの。

釈迦堂 《 釈迦堂 》 ですが、不心得な輩もいたようで、中には転落死した者も。現在では一般人の登山は禁じられていますが、危険な岩場をよじ登り、釈迦ケ峰の頂きに立てた暁にはお釈迦さまに近付いたことになるの。写真は釈迦ケ峰の頂上に建つ釈迦堂ですが、まあよくぞあんな場所に堂宇を建てられたものね−と感心させられました。建築資材はどうやって運び込んだのでしょうね。やはり一本一本を担いで登ったのかしら?

開山堂 《 開山堂 》 円仁上人(慈覚大師)の廟所である開山堂には大師座像が安置され、上人自ら点火したという不滅の常香が1,100年を経た今も堂内に紫煙を揺らし続けているの。開山堂の建つ百丈岩には大師の入定屈があるそうですが、訪れた時には小雪が降るにも関わらず修復工事が行われ、裏側に回り込めず、見ることが出来ませんでした。

納経堂 《 納経堂 》 写真は百丈岩の突端に建つ納経堂ですが、大師の入定屈の真上に建っているそうで、奥の院(如法堂)で写経された経文が納められているの。小さな堂宇なのですが、不思議な存在感があり、旅人の心を魅きつけて止まない風情があるわね。

《 五大堂 》 開山堂の脇の岩場を登るとあるのが五大堂ですが、ここからの眺望が抜群!という触れ込みでしたが、生憎の雪で視界が利かず、何も見えない状態でした。なので掲載写真もありません。仁王門を無事通過したξ^_^ξ達でしたが、やはり普段の行いは余り良くなかったみたいですね。山寺一の眺望を誇るそうですのでお出掛けの際には是非、皆さん御自身の眼で御確かめ下さいね。

天華岩 《 天華岩 》 五大堂から更に進むと急に開けた道があり、その先に広場のような空地が広がっていました。けれどもその先は天華岩(天狗岩)と呼ばれる岩場の断崖が迫り、雪融け水がそのまま凍ってしまい、岩のあちらこちらに氷柱が下がっていました。以前には鎖を伝い天華岩の頂上に立つルートもありましたが最近は禁止になったみたいね。もっとも氷柱も下がるこんな積雪の日に登る人もいないでしょうけど(笑)。

一通りの見学を終えて麓まで降りて来ました。積雪が左程無かったこともあり、転ぶことなく無事に済みましたが、良く云えば水墨画、悪く云えば甚だ色彩感覚の欠落した景観で終えました。やはり緑に覆われた夏や紅葉を迎えた山寺を是非見てみたいものですね。季節の選定を誤った感は否めませんね。白銀に埋もれた山寺を見たい−という趣味人でも無い限りは冬場の参詣は控えた方がいいみたいよ。

6.山寺芭蕉記念館 やまでらばしょうきねんかん

立石寺の参詣を終えて 山寺芭蕉記念館 を訪ねてみました。ここには芭蕉の遺墨や【奥の細道】の関係資料が展示されているの。山寺や芭蕉に因む短編映画の上映なども行われていますので、参詣前に訪ねて造詣を深めてから参拝するのもいいかも知れませんね。今では記念館の敷地に隣接する形で「風雅の国」も造られ、一角にあるレストラン馳走舎では山形の郷土料理が楽しめるとのこと。ちょっとリッチな昼食を−という方にはお薦めね。入館料:¥400

7.JR山寺駅 やまでらえき 15:37発

こんな雪の降る日には温泉に浸かってのんびりするに限る−とばかりに列車に乗り込みました。プランを作る際に秋保温泉にするか作並温泉に宿泊するか悩んだのですが、ガイドブックに掲載されていた広瀬川河畔の露天風呂の写真に心動かされて作並温泉への宿泊を決めました。秋保温泉にも大いに心を動かされたのですが、掲載されていたのは紅葉を迎えた磊々峡の写真で、秋保大滝を観るには秋こそふさわしい気がして、秋保温泉はまたの機会にと見送りました。秋の紅葉シーズンでしたら間違いなく秋保温泉への宿泊ですね。

8.JR作並駅 さくなみえき 15:57発

作並駅 ホームに降りたってみれば左程大きな駅舎でもなく、タクシーなんて駅前にいるの?と心配してしまいました。ξ^_^ξ達の他には観光客のかの字も見当たらず、一抹の不安を感じながら改札を抜けましたが、駅前に出て見たところ、宿の方が旗を掲げて迎えに来られていました。前以て送迎を依頼した訳でもないのにこんな雪の舞う日にいつ来るか分からない宿泊客を迎えに出ていらっしゃるとは。オマケに乗り込んだのがξ^_^ξ達の3人だけ。仕事とは云え、頭の下がる思いがしました。

9.ゆずくしの宿・一の坊 ゆずくしのやど・いちのぼう

作並温泉への宿泊を決めてから宿泊施設をどこにするか、老舗旅館の岩松旅館の岩風呂も風情があり、ゆづくしの宿・一の坊も良さそう−と優劣をつけ難かったのですが、旅行会社の窓口で確認すると岩松旅館の方は既に満室−ということでホテル・一の坊への宿泊と相成りました。作並温泉の楽しみはやはり湯浴み三昧が出来ることね。一の坊には内湯の「丸子の湯」の他にも6つの露天風呂があり、中でも広瀬川河畔の露天風呂の「冥利の上の湯」と「冥利の下の湯」が最高のロケーション。雪景色を眺めながら湯船に浸かっていると、日頃の疲れも吹き飛んでしまうの。旅の途中では恨めしかった積雪ですが、この時ばかりは素敵な演出をしてくれました。宿泊客も少なく、一時は広々とした湯船を独り占め。至福のひとときを過越しました。

実は連れの一人がカメラを持参して入浴に向かったのですが、出来上がった写真はどれも湯煙に掻き消されてな〜んにも見えない状態で。折角の風情ある露天風呂なのですが、御覧の皆さんに披露することが出来ないの。代わりに ゆずくしの宿・一の坊 に写真が掲載されていますので御参照下さいね。

ライトアップ 普通は写真に騙されることが多いのですが、実際の印象は掲載写真よりもずっと良かったですよ。左掲はライトアップされて幻想的な雰囲気の中に佇む湯殿周辺を収めた内の一枚ですが、肉眼ではもっと綺麗だったの。入浴して部屋に戻ると既に配膳されて食事の用意が調っていました。いきなり食事という訳にも行かず、寛いでいたら係の方が来られたのですが、見るとホテルのルームアテンダントといった装いでした。

夕食 配膳して貰う傍らで仲居さんとのさり気ない会話を楽しむ−といったことも無く、一方的な会話で終わりました。館内は和風ですが、サービスはすっかりホテル形式のようね。会話の中にお国訛りを聞くのも楽しみでもあるξ^_^ξにはちょっと寂しい感がありましたが、それも一つの時代の流れなのでしょうから仕方ありませんね。宿泊する方も最近ではそれを煩わしいと思う方も多くなったみたいですしね。

二日目:杜の都・仙台

二日目のきょうは伊達家62万石の城下町として栄えた仙台市内を訪ねます。予定では色々な所を見て廻るはずだったのですが。運賃や拝観料等は ′03.07 現在の料金に置き換えましたが、掲載ダイヤは当時のままですので御注意下さいね。

10.作並温泉・ホテル一の坊 さくなみおんせん 8:30発

ホテル 広瀬川 左端はバス停に向かう途中でホテルを振り返ってみたところよ。一夜明けて雪は止んでいましたが、辺りは御覧のような雪景色。仙台市内を流れる頃には大河となる広瀬川ですが、この辺りでは未だ清楚な流れを見せていました。雪化粧しているせいか、凜とした佇まい。

11.作並温泉元湯BS さくなみおんせんもとゆ 8:56発

仙台へはJR仙山線を利用して向かうのが常道なのですが、運行本数が少なく、思うような行程が組めずに路線バスを利用してみました。 山交バス が新庄と仙台間に「特急48ライナー」を運行しています。当時乗車したバスは、仙山線の運行ダイヤの間隙を突いた時間設定になっていました。列車、バス共にダイヤは変わりますので一概には云えませんが、お出掛けの際には検討対象の一つに加えてみては?運賃:¥1,080 所要時間:約40分

12.JR仙台駅 せんだいえき 9:36着

当時は大分元気があったようで、雪道だというのに瑞鳳殿には歩いて向かいました。道も悪く不案内だったこともあり、一時間以上歩きました。もっとも途中で仙台中央郵便局に始まり、東二番丁郵便局、一番町町中郵便局、米ケ袋郵便局と立て続けに記念貯金をしながらの行脚でした。天候のせいで半ばヤケクソになってたんでしょうね、きっと。お手許に仙台市内の地図を御用意出来る方は軌跡を辿ってみて下さい。殆ど道に迷ったのでは−と思えるほどのジグザグ・コースよ。皆さんはそんな馬鹿な真似はしないで下さいね。今では 仙台市交通局 が「るーぷる仙台号」という周遊バスを運行していますので、迷わずに乗車しましょうね。最近各地で見られるようになったレトロ調の車両を使用した、市内散策には便利な周遊バス。30分毎発で約一時間程のコースを廻ります。市内の主要な見処を経由していますので一日乗車券:¥600を購入して有効活用しましょうね。

13.瑞鳳殿 ずいほうでん

やっとの思いで辿り着いた瑞鳳殿でしたが「るーぷる仙台号」に乗車すれば僅かに15分程の乗車時間で瑞鳳殿前バス停に着きます。目の前に広がる鬱蒼とした森が経ケ峯の森で、霊屋下から見て左側に伊達政宗の廟所・瑞鳳殿、右手に二代藩主・忠宗の感仙殿、三代藩主・綱宗の善応殿があるの。参道の途中には右手と左手へとそれぞれの廟所に向かう石段がありますが、新緑萌ゆる春先や紅葉を迎える頃には絵葉書にでもなりそうな趣きのある景観を見せてくれるのではないかしら。

その石段ですが左側を登って下さいね。参詣の観覧券売場は瑞鳳殿側にありますので順路としてはこちら側が先になります。もっとも先に感仙殿、善応殿を廻ることも出来ますが。詳しくは 瑞鳳殿 を御参照下さいね。

涅槃門 石段を登った先に見えてくるのが御覧の涅槃門。瑞鳳殿の参詣に際しては一般の方は右手の通用門から入りますが、正門の、この涅槃門が開くのはどんな高貴な方がお見えの時かしら?この涅槃門を経た先には拝殿が設けられ、その奥に伊達政宗の御霊が眠る本殿が続くの。廟内のいずれの建物も絢爛豪華な装飾を施されたもので、当時の伊達家62万石の偉容を窺い知ることが出来るの。

瑞鳳殿本殿 瑞鳳殿は昭和6年(1931)に国宝の指定を受けたのですが、当時の建物は他の二廟と共に戦災で焼失してしまい、現在の建物は昭和49年(1974)以降、5年の歳月を費やして再建されたものなの。焼失前の建物を再現するにあたり、当時で8億もの巨費が投じられたの。また、再建に先立ち、学術調査が行われ、廟所内にある資料館には出土した副葬品を初め、頭髪や遺骨のレプリカなどが展示されているの。

本殿 その政宗ですが、イメージとは裏腹に身長は159cmと小柄で、血液型はB型なの。血液型による性格判断は詳しくありませんがB型は野心家なの?享年70歳で生涯を閉じた政宗ですが、死因は食道噴門癌と癌性腹膜炎の可能性が指摘されているの。強靭な意志を以てしても病いには勝てなかったのですね。瑞鳳殿本殿の脇には家臣達の墓と覚しき宝篋印塔数十基が雪を冠って佇み、寒空の下、死してなお主君を堅固する姿に、能天気な旅人のξ^_^ξでも心に去来するものがありました。

感仙殿と善応殿 感仙殿と善応殿は森を挟んで瑞鳳殿の反対側にあるの。写真の手前にあるのが二代藩主・忠宗の廟所の感仙殿、奥に見えるのが三代藩主・綱宗の善応殿なの。忠宗は藩の基礎を固めた、云わば中興の祖。その忠宗の亡き後藩主となるのが綱宗ですが、藩内は大分ゴタゴタして来たみたい。綱宗からすれば叔父に当たる、政宗の11男・宗勝との折り合いも芳しくなく、加えて家臣達の対立などもあり、それを嫌った綱宗は放蕩三昧に明け暮れているの。

宗勝の権謀画策もあり、その綱宗は幕府から統治能力無しと見なされ、終には逼塞隠居を命ぜられてしまうの。このことが後の伊達騒動へと繋がって行くのですが、隠居後の綱宗は書画を始め、蒔絵・彫刻などに傾倒し、その才能を発揮しますが、元々争い事を嫌う趣味人だったのかも知れませんね。それにしても血の繋がる者同志が啀み合うことになるとは。宗勝には野心家であった政宗の血が間違いなく受け継がれたようで、若し仮に綱宗にも同じ血が流れていたらどんな事態になったのかしら。

瑞鳳殿の見学を終えて再び霊屋下から青葉城址に向かい歩き始めました。近道が無いのかしらと地図上で探してみたのですが、広瀬川に行く手を遮られて大きく迂回しなくてはならず、霊屋下からは評定河原橋を渡り大手町へ向かい、大橋で再び広瀬川を渡るという、非効率な行程になってしまいました。瑞鳳殿前バス停での下車時にバス時刻を確かめて、瑞鳳殿の参詣後には再び「るーぷる仙台号」に乗車しましょうね。

14.仙台市博物館 せんだいしはくぶつかん

大橋を渡ると間も無くあるのが仙台市博物館。館内は時代別に三つに分けられた総合展示室、甲冑などの武具を展示したテーマ展示室T、伊達政宗の意向を受けてローマに渡った支倉常長の関係資料を展示したテーマ展示室Uなどからなり、杜の都・仙台の文化、歴史を広く学ぶことが出来るの。伊達家からの資料寄贈が発端となり設立された経緯を持つだけに、伊達政宗の愛用した太刀など歴代藩主の遺品が数多く、充実した内容の展示となっているの。入館料:¥400 所要時間:う〜ん、見応えがあり、最低でも一時間は必要ね。

頂いた栞に依ると収蔵品点数は70,000点に及ぶそうよ。年4回模様替えされる常設展の他、企画展が随時催されていますので、お目当てのお宝に巡り会えるかも知れませんね。展示内容などの詳しい情報は 仙台市博物館 を御参照下さいね。同館には晩年の政宗を描いた狩野安信筆の伊達政宗画像が収蔵されていますが、徳川家康を描いたものに近似しているの。説明が無ければ家康を描いたものと思ってしまうほどよ。けれど画の中の政宗は独眼竜に非ず、両眼を見開いているの。観覧する機会がありましたら是非御覧下さいね。

独眼竜の異名を持つ伊達政宗ですが、瑞鳳殿再建時に調査された遺骨からは眼窩に変形は認められなかったそうよ。疱瘡が原因で片眼を失明した政宗ですが、骨格の成長過程には影響しなかったのね。前述の政宗画像には晩年に詠んだと思われる漢詩が記載されているの。家康も似たような心情の詩を残しますが、戦乱に明け暮れた者の胸に去来するものは共通のようね。

馬上少年過 世平白髪多 残躯天所教 不楽是如何
ばじょうにしょうねんはすぎ よはたいらにしてはくはつおおし ざんくはてんのゆるすところ たのしまずしてこれをいかんせん

独眼竜の政宗像を見掛けることはありませんでしたがそれもそのはずで、片眼であることを嫌った政宗は遺言に依り片眼で描くことを禁じたの。そんな訳で現在残る肖像画は両眼を見開いた状態で作成されているの。ξ^_^ξが知る限りでは、独眼竜の政宗に出会えるのは松島の「みちのく伊達政宗歴史館」にある蝋人形くらいかしら。

15.青葉城大手門隅櫓 あおばじょうおおてもんすみやぐら

隅櫓

博物館の見学を終えて再び大通りに戻り、100m程歩くとあるのが御覧の隅櫓。仙台城は青葉城とも呼ばれ、青葉山を背後に控え、南面には広瀬川の竜ノ口峡谷の断崖と、地の利を活かし難攻不落を誇ったの。その城も明治になり、不心得者による放火などもあり、後の戦禍で悉く倒壊焼失してしまい、往時の面影は再建されたこの隅櫓に偲ばれるのみとなってしまったの。余談ですが、天下を密かに狙っていたさすがの政宗も幕府の存在は怖れていたようで、睨まれては大変と築城時には天守閣を造営せずに終えているの。一方の幕府側にしても智略戦術に才たけた政宗の存在は驚異だったみたいね。天守閣を造らなかったといえば加賀藩の金沢城もそうですよね。

隅櫓から青葉城址までは上り道が続きますが、積雪の残るこんな日に観て歩く人も無く、平日だったこともあり、車の交通量も結構ありました。物好きな観光客もいるもんだ−と車を運転されていた方は思ったでしょうね。その登り道も城址に近付くにつれて急になって来るの。やはりここは素直に「るーぷる仙台号」に乗車しましょうね。青葉城址バス停で降りると隅櫓は目と鼻の先よ。

16.青葉城本丸址 あおばじょうほんまるあと

伊達政宗騎馬像 城跡の北東端にあるのが御覧の伊達政宗騎馬像なの。仙台を訪れたのであればやはりこの像を見ずには帰れませんよね。実際に見る迄はすっかり独眼竜の像だと思い込んでいたのですが、良く見ると馬上より両眼で遠くを見やっているの。傍らの展望台からは天気が良ければ松島も見渡せる−と聞いていたのですが、生憎の空模様で仙台市内の街並みが見えるのみでした。

当時は気付かずに終えていますが、仙台市博物館左手にある三の丸跡には支倉常長碑や魯迅の碑と共に「伊達政宗の胸像」があるの。この胸像こそが初代の騎馬像で、戦時中に供出されたために騎馬部分が失くなってしまったの。さすがに政宗の頭部を溶かしてしまうには抵抗があったのでしょうね。像は戦後塩竃市内に棄てられていたものを修復して現在地に奉ったものだそうよ。仙台市博物館にお立ち寄りの際には忘れずにね。

護国神社 左掲は護国神社ですが、築城時に守護神として勧請したものが前身かしらと思いきや、明治期に造営されたもので戦没者の慰霊を祀るお社なの。明治になり、二の丸跡に東北鎮台が設けられると、城址周辺には多くの軍施設が造営され、当時あった武家屋敷などは強制移築や解体を余儀なくされるの。残されていれば貴重な文化遺産となってくれたでしょうに。昨今の世情に一抹の危惧を覚えてしまうξ^_^ξですが、再び軍靴にまみれることが無いようにと、切に願うものです。

広い青葉城址ですが、実はその殆どがこの護国神社の境内地なの。参道脇には青葉城本丸会館があり、その二階が政宗直筆の書状などを展示した青葉城資料展示館になっているの。ここでは300インチという大画面を使用した青葉城の再現CGを見ることが出来るの。今では隅櫓に面影を残すのみとなってしまった青葉城、時間にして10分程度ですので、お急ぎの方も少しだけ寄り道して御覧になって下さいね。入館料:¥700 所要時間:約30分

青葉城本丸会館の一階は土産物店になっているの。お昼も食べずに歩き廻っていたのでお腹もすっかり空いてしまい、一角にある蕎麦処・貞山庵で遅い昼食をとりました。頼んだのは伊達政宗に因む、その名もずばり、政宗そばと政宗うどん。当時は共に¥1,300でしたが今はいくらかしら。残念ながら余りにも昔のことで、どんな代物だったかは忘却の彼方。ごめんなさい。

17.青葉城址BS あおばじょうし 15:25発

予定ではこの後伊達政宗が建立した 大崎八幡宮 に向かうつもりが予定時間を大幅に過ぎ、満腹感を覚えた身体はこれ以上歩くのを拒否(笑)。駐車場を抜けて埋門側にあるバス停から動物公園・愛宕橋経由仙台駅行のバスに乗車しました。その大崎八幡宮ですが、社殿は安土桃山時代に建てられたものとしては現存する最古の建造物で、絢爛たる桃山文化を今に伝えているの。目下、平成18年(2006)の御鎮座400年に向けて大掛かりな社殿の修復工事が行われていますが、工事完了の暁には造営当時の色彩が再び甦ることでしょうね。

市内には他にも輪王寺や仙台武家屋敷を初め、東北大学理学部の付属植物園や自然標本館など多くの見処がありますが、どれもが重量級。目的を絞って観て廻るか、時間を掛けてじっくりと観て歩きたいものですね。積雪が残る道を悪戦苦闘しながら歩いたせいでしょうか、年を経た今でも不思議と当時歩いた道の景観を思い起こすことが出来るの。杜の都と呼ばれるだけあり、緑豊かな街並みとなっていました。市内には縦横に路線バスも運行されていますので、歩き疲れた時には無理をせずにバスに乗り込むことも出来るの。皆さんも季節を選んで散策されてみては?

18.JR仙台駅 せんだいえき 16:00着 16:15発

仙台駅からはJR仙山線に乗車して再び作並温泉に向かいました。二日目は目先を変えて違う宿泊先にするのも一興ですが、連泊することで馴染むというか勝手を知るというか落ち着くことが出来るの。余程誘惑を受ける宿が無い限りは連泊を常としているのですが、今のところ大きく外したことも無く。

19.JR作並駅 さくなみえき 16:59着 17:02発

この日も駅からは送迎バスで宿に向かいました。さすがにこの時は貸し切りという訳ではありませんでしたが、やはり運転手さんの表情は嬉しそうでした。やはりお客さんの数は多いに越したことは無いわよね。この頃になり、ようやく雪も降り止んで視界が少しは利いて来ました。明日は鹽竈神社と松島遊覧。晴れるといいな−と思いつつ。

20.ゆずくしの宿・一の坊 ゆずくしのやど・いちのぼう

宿に到着して冷えた身体を温めようと早速露天風呂へ。夕べと違い、早めの入浴でしたので辺りの様子が丸見え。一面の銀世界なら良かったのですが、中途半端な積雪で、白と黒のまだら模様。闇に閉ざされてライトアップされた幻想的な雰囲気の中での入浴の方が良かったみたい。気を取り直して昨夜入浴体験せずに終えた「鹿のぞきの湯」へ。野性のカモシカが時折姿を見せることから命名されたという露天風呂。その後は「行基菩薩の御湯」に身を沈めましたが、連泊すれば湯あたりせずに異なる湯をゆっくりと楽しむことも出来ますね。

入浴後に寛いでいるときょうの夕食は食事処に用意した−とのことで案内されたのが木挽亭。他の宿泊客に気兼ねしながらの食事はちょっと−と思っていたのですが、ここでは個室になっていますので廻りを気にせずに済みますね。実はアルコールの量に応じて声が大きくなる連れが約一名いるもので、その内周囲の視線も気にならなくなる極めて大らかな性格の持ち主で。

夕食 この日の夕食は鮎や牛タンなどを網焼きしながら−という趣向になっていましたが、牛タン焼は仙台が発祥の地でもあり、この地方の名物料理にもなっているの。勿論、仙台牛もありましたが、海から左程離れていないこともあり、海の幸もありました。テーブルの上には置き切れないほど並ばないと気が済まない連れもこれには満足してくれたようで、手許の写真にはグラスを握りながら満面の笑みを放つ連れが写ります。

三日目:鹽竈神社と松島遊覧

旅も最終日のきょうは芭蕉も参拝したと云う鹽竈神社に向かい、曾良と共に小舟で漕ぎ出したと云う塩釜の港から観光遊覧船に乗船しました。すっかり定番となった松島ですが、時間の関係で五大堂の見学のみで終えていますので予め御了承下さいね。

21.ゆずくしの宿・一の坊 ゆずくしのやど・いちのぼう 8:20発

旅も最終日を迎える頃になりようやく晴れるという皮肉な天気。このまま帰るには悔しいので鹽竈神社へ出掛けてみました。以前、遠路遙々初詣に訪れた鹽竈神社はξ^_^ξには生まれて初めて初詣をした記念すべき神社。けれど当時はバス・ツアーでしたのでガイドさんの持つ旗の後をついて観て歩くことしか出来ず、物足りなさもありました。そんな訳で懐かしくもあり訪ねてみようと。先ずは宿の送迎バスに乗り込み作並駅へと向かいました。

22.JR作並駅 さくなみえき 8:30着 8:40発

鹽竈神社参拝後には塩釜港から観光遊覧船で松島に向かいました。観光地としては余りにも有名な松島ですので皆さんも一度は訪れたことがあるのではないかしら。ξ^_^ξも二度程観て廻ったことがありましたので遊覧船への乗船で此度の旅を終えています。なので松島観光の参考にはなりませんが、その点は他のサイトを御参照下さいね。運賃:¥480 所要時間:約30分

23.JR仙台駅 せんだいえき 9:16着 10:02発

観光遊覧船に乗船するために塩釜港へ直行−という方は無条件に仙石線の本塩釜駅での下車となりますが、鹽竈神社への参拝を加えるとなると、本塩釜駅で下車後は塩釜港とは逆方向に歩く形になるの。なので、当初は東北本線を利用して塩釜駅からのアプローチを考えたのですが仙石線、東北線共運行本数が少なく、当時の両者の運行ダイヤから仙石線の「快速うみかぜ7号」に乗車して本塩釜駅へ向かいました。もっとも、塩釜駅からだと本塩釜駅から歩くのに較べて5分程余計に歩くことになりますが、列車の接続時間を考えると歩いてしまった方が早い場合もありますよね。オマケに同じ道を往復するよりは見知らぬ街並みを見やりながら歩くという楽しみもありますよね。

塩釜駅から徒歩で1分足らずの所には「ふれあいエスプ塩竃」があり、その2Fに「長井勝一漫画美術館」が開設されているの。塩竃の出身である長井勝一氏は月刊漫画ガロの初代編集長。館には氏の功績を語る資料と共に漫画家達の貴重な原画などが展示されているの。興味のある方はちょっと寄り道してみては?

24.JR本塩釜駅 ほんしおがまえき 10:18着

地名の塩釜ですが他にも塩竃、鹽竈と複数の表記があり、どこがどう違うのか能天気な旅人には分かりませんが、駅名と港名には塩釜を、市の名前は塩竃、崇敬を集める神社には鹽竃の字が充てられているの。釜、竃、竈−と街中にカマの字が溢れていますが、この使い分けは土地の人でないと難しいですね。鹽竈に至ってはいきなり目の前に出されたら書けないどころか訓めないわね。

25.鹽竈神社博物館 しおがまじんじゃはくぶつかん

本塩釜駅から鹽竈神社へは通称、裏坂「女坂」と呼ばれる東参道を歩きますが、途中にあるのが鹽竈神社博物館。鹽竈神社の現在の社殿は仙台藩の寄進に依るなど、伊達家の信奉篤かったことから四代藩主・綱村着用の甲冑を初め、刀剣などの武具と共に所縁の古文書が展示されているの。また2Fには当時の製塩を物語る資料の他、周辺から出土した土器や漁業関連資料なども展示され、塩釜の今昔を知ることが出来るの。入館料:¥200 所要時間:少なくとも30分は必要かも。

26.志波彦神社 しわひこじんじゃ

志波彦神社 博物館見学を終えてようやく鹽竈神社に辿り着いたと思いきや、志波彦神社と云うお社でした。鹽竈神社の神域に別な神社が同居するという摩訶不思議。元々は仙台市内の七北田川畔に鎮座していたものが、明治期に鹽竃神社の別宮として格上げされ、昭和になり、国費を以て現在地に新たな社殿が造営されたそうで、云わば国立の神社なの。以後は国費を以て神社が造営されることは無くなりましたが、志波彦神社はその記念すべき神社なの。拝観料:境内自由

「延喜式」に依ると嘗ての志波彦神社は当時の陸奥国に100社はあったという官社の一つで、一方の鹽竈神社は奈良時代創建と云われているにも関わらず、延喜式の神名帳には記載が見られないという、これまた摩訶不思議。畿内は別格にしてもこの陸奥国に官社が多かったと云うのはどんな理由によるのかしら。お隣の出羽国には僅かに9社というのですから、その多さが理解して頂けるかと思います。蝦夷征伐の前線基地として神さま達の御加護がそれだけ多く必要とされたのかしら?

27.鹽竃神社 しおがまじんじゃ

鹽竈神社楼門 鹽竃神社の祭神は武甕槌命(たけみかづち)と経津主命(ふつぬし)に鹽土老翁神(しおつちのおじかのかみ)。武甕槌命と経津主命は左右宮に祀られ、その二神をこの地に案内したという鹽土老翁神が別宮に祀られているの。蝦夷征伐の任にいた二神は鹽土老翁神の求めに応じ、ここ塩釜の地に至って降臨し、以後東北の鎮守となるの。製塩をこの地方に伝えた鹽土老翁神ですが、当時の物騒な世情に、安心して製塩に励むことが出来なかったのでしょうね、きっと。鹽竃神社ではその三神の威光を得て海上安全、延命長寿に加え安産守護の御利益も。

紅梅 安産守護に至る経緯は分かりませんが、鹽竃神社の神さま達は殊の外懐が広いようですね。鹽竃神社の別宮南側にある鹽竈桜と呼ばれる天然記念物の八重桜は特に有名よ。鹽竃神社の神紋にも使われていますが、桜の開花は当分先でしたのでその見事さを観ることも無く参拝を終えていますが、5月初旬頃には見頃を迎えるそうですので、機会がありましたら是非御覧になってみて下さいね。左掲は悔し紛れに写した紅梅よ。

神馬 境内の一角にある神龍社には御覧の神馬がいましたが、厩前には餌となる人参が皿に盛られて並べられていました。早速連れが小銭を入れて杓子の先に人参をのせて神馬に与えてみたのですが、その食べっぷりは杓子まで噛らんばかりの勢いなの。余程お腹が空いていたのでしょうね、参拝者も少なく、与えてくれる人もいなかったのでしょうね。好物の人参を目の前にして長時間のお預け状態はさぞ辛かったでしょうに。

神馬 可哀想になって二度三度と人参をあげましたが、落ち着きを得て優しい眼差しとなった神馬でした。参拝時には是非神馬がお腹を空かせることの無いようにしてあげて下さいね。人の世界でも衣食足りて礼節を知る−と云いますので、優しい眼差しで見守って貰うためにも神馬には是非、人参の御奉納を。

鹽竃神社の末社で、地名の由来となった製塩用の鉄釜が安置されている御釜神社が本町にあるの。毎年7月には古式に則った製法で塩を作るという藻塩焼神事が行われ、出来上がった塩は鹽竃神社の例祭に奉納されるの。ξ^_^ξは気付かずに終えてしまいましたが、御釜神社を訪ねて四つあるという御神竈を御覧になってみては?

知らずに終えた御釜神社ですが、どんな神社なのか気になり調べてみたところ、秀逸なサイトがありましたので紹介させて頂きますね。へりおすさんの運営する 日本すきま漫遊記 ですが、花巻・石巻(その5)に社殿を初め、鉄釜の写真も掲載されています。鹽竃神社の社殿も事細かな写真が掲載されていますので、是非御覧の上でお出掛け下さいね。それにしても個人の運営とは思えない程のコンテンツの充実ぶりにただただ脱帽です。

28.塩釜港観光桟橋 しおがまこうかんこうさんばし 12:00発

遊覧船 天の橋立、安芸の宮島と並ぶ日本三景の一つでもある松島ですが、以前訪れた際には乗船せずに終えていましたのでこの時はそのリベンジとばかりに、海上から湾内に点在する小島の景観を楽しむことにしました。どうせなら甲板に出てみようとグリーン船席を買い求めましたが面白がって観ていたのも束の間で、その寒さに直ぐに船室に逃げ込みました。寒い季節にはグリーン券は必要ないみたいですね。乗船券:¥1,420 グリーン券:¥1,400 松島観光汽船の場合

カモメ 出港して間も無く、どこからやって来たのか、気が付けばカモメが船を追いかけてくるの。餌が貰えると思っているんでしょうね、この後松島港へ着くまで延々とカモメの一団を引き連れての海上遊覧でした。もっとも途中で餌が貰えぬと諦めたのか、それとも疲れてしまったのか、海面に降りてしまったカモメもいましたが。この寒さでは甲板に出て餌を放る乗船客も無く、カモメにとっても辛い時期なのでしょうね、きっと。

カモメ 船の航跡を追うカモメ達でしたが、松島の観光桟橋が見えて、船が減速を始める頃にはいなくなってしまいました。ここまで来るともう餌が貰えないことを心得ているみたいね。鹽竃神社の神馬といい、このカモメ達といい、どうも人間というのは罪作りな動物ですね。エッ?そう思うんだったら甲板に出て餌をあげれば良かったじゃん−って?。スミマセン。

仁王島 松島めぐりの遊覧船ですが、塩釜港と松島を結ぶ「奥の細道周遊定期コース」の他にも色々なコースが運航されているの。小舟を貸しきって松島湾に浮かぶ小島を縫うように巡るリッチな周遊コースもありますので、詳しい情報は下記の各運航会社の運営サイトを御参照下さいね。因みに左掲の写真は昨今景観維持の手を加えるべきか否かで話題の仁王島よ。

松島ベイクルーズ
丸文松島汽船
島巡り観光船企業組合

29.松島観光桟橋 まつしまかんこうさんばし 13:00着

五大堂 左掲はすっかり松島のシンボル的な存在となった五大堂ですが、残雪が風情を添えていました。その昔、蝦夷征伐に活躍した坂上田村麻呂が建立したものと伝えますが、円仁上人(慈覚大師)が瑞巌寺建立時にこの堂宇に五大明王像を安置したことから五大堂と呼ばれるようになったの。国の重要文化財にも指定されていますが、残念ながら現在の堂宇は伊達政宗が再建したもの。それでも400年という時の流れを経てはいるのですが。

30.五大堂 ごだいどう

五大堂 五大堂へ詣でるには朱色の「すかし橋」を渡るのですが、足許の間引かれた板の間から岩場に打ち寄せる波と共に海面が覗けるの。例え踏み外したとしても落ちる心配はありませんが、心身共に乱れ無き状態で参拝するように−との戒めがあっての造りになっているの。なので酒気帯び参拝は止めておいた方が良さそうですね。さすがは松島の象徴五大堂、旗に従う一団が次から次へとやって来るの。その際にはさりげなく一団の後に立ちましょうね、無料の案内が聞けちゃいますよ(笑)。

31.独まん どくまん

五大堂の観覧を経て旅の行程も全て終了です。お腹も空いたので締め括りに昼食を採ることにしました。辺りを見回していたところ目に留まったのが 独まん食堂 でした。瀟洒な店構えにつられて入ったのですが、1Fはお土産物屋さんで、2Fが食事処になっているの。店名の独まんは、昔おばあさんの手作りの饅頭の評判が良く、その美味さについつい食べ過ぎて体に毒だということから名付けられ、饅頭に毒ではあんべえわりいわな−と、独眼竜政宗に因み、独の字を充てるようになったそうよ。お饅頭は苦手ですが「ずんだ餅」はイケますよ。

牡蠣 広島と並び称される松島の牡蠣。やはり地元で新鮮なものを口にしてみたいですよね。で、頼んだのが牡蠣ぞうすいに生牡蠣でした。やはり新鮮な内に食べる牡蠣はミルキーな味がして殊の外美味。生牡蠣が味わえるのは10〜03月頃迄ですので、その頃にお出掛け予定の方は是非味わってみて下さいね。牡蠣ぞうすい:¥1,000 生牡蠣「殻付5個」¥1,000

お腹もいっぱいになったところで帰路につきました。松島は過去にも二度程訪れたことがあり、時間的にも余裕が無く、松島の散策は見送りました。エッ?そんなあ〜、一番肝心なところじゃないの〜と御嘆きのあなた、申し訳ありませんが前掲の 日本すきま漫遊記 などを御参照下さいね。公的機関のものでは松島観光協会が運営する 電脳松島絵巻 がお薦めよ。

32.松島海岸駅 まつしまかいがん 14:28発

松島海岸駅は観光名所・松島の表玄関にも関わらず閑散とした風情。駅に向かう道すがらの店先にも日用品が並びます。桟橋附近には土産物店が所狭しと建ち並ぶ、いかにも観光地という印象ですが、10分も歩けば静かな時が流れる日常がありました。ここからは快速「うみかぜ14号」に乗車しましたが、大型バスでやって来る方が多いのでしょう、列車に乗り込む観光客も意外に少なくて。乗車券:¥400 所要時間:約25分

33.JR仙台駅 せんだいえき 14:51着 15:26発

早めの帰宅を望んで「やまびこ46号」に乗り込みましたが、帰っても寝るだけだから−という方は目一杯遊んだ後に仙台市内で名物の牛タン焼きを堪能してから乗車されてみては?云う迄も無く仙台はその発祥の地。海の幸は食べ飽きたわ−というあなたもグルメを自認する貴兄もきっと満足されるハズ。軽くアルコールを口にすれば心地好い眠りに誘われて車中の旅もあっという間よ、きっと。乗車券:¥5,780 特急券:¥4,810

34.JR東京駅 とうきょうえき 17:32着


作並温泉に宿泊して山寺を参詣し、仙台市内散策の後は鹽竃神社を訪ねるという欲張りな旅でしたが、降雪という悪天候に阻まれて予定していた見学場所も一部断念せざるを得ませんでした。山寺は蝉時雨に包まれる頃に再び訪れてみたいものですね。仙台市内の散策にしても杜の都と称される街並みを木陰に涼をとりながら歩いてみるのも良いかも知れませんね。鹽竃神社へは桜の花に埋もれる春先ね。御釜神社は忘れずに。そうそう、塩釜は東北有数の漁港を構える港町、新鮮なネタの載る海鮮丼も食べてみたかったですね。碧空の下、額に汗して歩く頃にもう一度訪ねてみたいものですね。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥






どこにもいけないわ