≡☆ 初夏の佐渡紀行 ☆≡
1995/06/10 - 1995/06/12

ちょっと出処が古くて恐縮ですが、佐渡の大野亀に咲くハナカンゾウの景観写真に魅せられて訪ねたときのメモリアルページなの。せめてもの罪滅ぼしのために、料金などは努めて現在の情報に置き換えてみましたが、当時乗車した定期観光バスなどはコース内容が変更されていたりして単純な置き換えが出来ませんので、訪時のままになっていますので予め御了承下さいね。

古くて役立たねえ情報なんか載せんじゃねえよ−とお怒りの貴兄には 佐渡なび をお薦めしますね。
佐渡の情報を扱うサイトが殆ど網羅されているのではないかしら。

一日目:佐渡史蹟めぐり

1.JR上野駅 うえのえき 8:15発 22番線 あさひ301号

列車利用なら上越新幹線の「とき」への乗車が定番ね。約2時間程で新潟駅に到着よ。ダメよ〜、そんなにノンビリしてちゃあ〜、佐渡に着く頃には半日が過ぎてしまうじゃないの!と云うあなたには、池袋のサンシャインプリンスホテル前から出発する高速バスがお薦めよ。越後交通・ 西武バス ・新潟交通の西武グループ三社の共同運行の高速バスですが、最終便の 23:30 発に御乗車下さいね。これなら新潟駅到着が早朝の 4:57 ですから、一日が有効活用出来るわね。

プリンスホテル前が始発と御案内しましたが、池袋駅東口からも勿論乗車出来ますよ。手荷物を抱えてホテル前迄歩くのはイヤよね。ところで、嬉しいニュースがあるの。2006/04/21 のダイヤ改正に伴い、最終便に限り、女性専用車が併せて運行されるの。彼と離れ離れになるのはイヤ!と云うあなたは別ですが、女性同志のグループにはお薦めね。そんなに早く着いてもジェットフォイルが運航されていないわ、おまけにお店なんかも開いてないんじゃないの−と云うあなたは、終点の万代シティーバスセンター迄乗車してしまいましょうね。近くにはモスを始め、Mac や KFC もあるのでコーヒーでも飲みながらおツムが起きてくれるのを待ちましょうね。上越新幹線運賃:¥5,460 指定席特急券:¥4,610 補:高速バスなら¥5,250とお得よ。

2.JR新潟駅 にいがたえき 10:14着 13番線

佐渡汽船の乗船場迄はバスで向かう積もりでいたのですが、事前にバス時刻を調べていたわけでも無くて、バス停に向かうとほんの少し前に出てしまったばかりでした。トイレ休憩している内に発車してしまったみたい。この時間帯では3便/Hの運行ですので、次のバスは20分も待たなければならないの。バス停でボ〜ッと待つのも何だし、バス代3人分でタクシー代が出るんじゃないの?と思いきってタクシーに乗車しちゃいました。結局、バス代3人分と云うわけにはいかず、当時でも ¥1,090 でしたが、今なら幾らかしら?バスを利用する際には 新潟交通 で時刻表を確認の上で乗り遅れないようにして下さいね。

3.新潟港 にいがたこう 10:30着 11:00発

ジェットフォイル

一口に新潟港と云っても東西に分かれ、旅客ターミナルのあるのは新潟西港の方ね。その万代島埠頭にあるフェリーターミナルから出港するのが 佐渡汽船 のジェットフォイルで、アメリカ・ボーイング社によって開発された旅客用水中翼船なの。差し詰め、海面を走るジェット機と云うところかしら。スピードをあげたらそのまま空へ飛び立つような気がするのはξ^_^ξだけ?実は、このジェットフォイルを日本で最初に定期航路に就航させたのがこの佐渡汽船なの。投入当時はボーイング社の製造でしたが、現在は川崎重工がライセンス生産をしているの。

ジェットフォイル

フロント・フェースの Boeing929 の文字に Kawasaki の名が冠されているのはそんな理由に依るの。旅客定員は250名を越え、3,800馬力のガス・タービン・エンジンに支えられて越佐海峡の大海原を時速80km余りで疾走するの。海上では佐渡の両津港側から疾駆してきたジェットフォイルに出会いましたが、難しい話しはさておき、力には美しさがあるわね。けれど、感動も束の間のことで、あれよあれよと云う間に後方に姿を消してしまいました。ジェットフォイルのことが気になる方は KAWASAKI JETFOIL を御参照下さいね。乗船券(全席指定):¥5,460

4.両津港フェリーターミナル りょうつこう 12:00着 12:30発

新潟交通佐渡

佐渡は島と云っても日本最大の島。ですが、島内には鉄道が無く、公共の交通手段となると専ら路線バスの利用にならざるを得ないの。そのバスもアクセスの利便性からこの両津港に到着する船便に合わせた運行になってはいるのですが、決して運行本数が多いわけではないので、ガイドブックなど観光案内ではレンタカーの利用を薦めているの。けれど情けないことにξ^_^ξの持つ免許証は身分証明書代わり。路線バスもレンタカーもダメと云うことで、残された選択肢が定観バスで、この日に限らず、佐渡の滞在期間中は全て 新潟交通佐渡 の定期観光バスの利用なの。

従って、旅行記と云うよりも、体験乗車レポートになってしまいますが、お許し下さいね。また、訪ねた時に運行していた観光コースも今は無くなり、現在は行程も見処なども変えて新たな名称で運行されていますので、併せて御了承下さいね。以後は当時運行していた「史蹟Dコース」の乗車体験記になるの。料金:¥3,870 〔 当時 〕

ここでちょっと佐渡の歴史についてお勉強しましょうね。これから訪ねる名所旧蹟の他にも多くの歴史遺産が佐渡には残されているのですが、その背景にはこの佐渡ヶ島が古くから流刑の地とされて来たことがあげられるの。平安期には国府も置かれ、国分寺が創建されるなど、早くから一国の扱いを得てはいたのですが、一方で貴人達の流刑の地にも指定されていたの。今でこそ交通手段の発達で難なく訪ねることが出来るようになりましたが、当時の感覚では都から遠く離れ、絶海の孤島に暮らすことは死罪に次ぐ重刑と見做されたの。

ですが、配流されて来たのは専ら上皇や知識階級にある人々だったことから都の文化がこの地に根づくことになったの。現在は両津を表玄関として栄える佐渡ですが、当時の中心は真野にあり、都を模した文化が国仲平野を中心に花開いたの。鎌倉時代になると地頭が小木に置かれるなど、専ら日本海側に重きがあったみたいね。その鎌倉室町期には後程紹介する順徳上皇や日蓮上人、世阿弥等が配流させられて来ますが、金山が発見された江戸時代になると、流刑の地から幕府直轄の天領となり、産出する金は幕府の財政を支え、人・物・金の動きも大きく変わり、それまでの文化も江戸から伝えられた文化と融合し、大きく姿を変えていったの。

5.根本寺 こんぽんじ 12:45着 13:10発

山門 最初に訪ねたのが新穂地区にある塚原山根本寺。当寺は佐渡に配流された日蓮聖人が生活したと云われる三昧堂跡に建てられたお寺で、日蓮宗十大霊蹟の一つに数えられているの。当時のこの辺りは死人の捨場で、配流された日蓮上人はその草堂で起居すると共に、他宗の僧侶と「塚原問答」を行う一方、我日本の眼目とならん−と誓願をたてて【開目抄】を著した霊蹟とされているの。現在は29棟にも及ぶ諸堂を有する 根本寺 ですが、その伽藍は佐渡金山の山師だった備前遊白が慶長12年(1607)に日蓮上人の遺徳を偲び、祖師堂を建てたことに始まるの。その後、同じく金山の山師・味方但馬の寄進を得て大伽藍となったの。拝観料:¥300

鐘楼 三昧堂の三昧はサンスクリット語の Samaya の音訳で、心に乱れが無い状態を表すの。なので、三昧堂は仏道修行する精神修養のための堂宇のことね。そうは云っても死人の捨て場に当初からそのような建物があったわけではなくて、藁葺屋根の草庵が朽ち行くままに捨て置かれていたのかも知れませんね。尚、右掲は鐘楼ですので誤解の無いようにお願いしますね。三昧堂を掲載したいところですが、撮り忘れてしまったの。m(_ _)m

ねえねえ、日蓮上人はどうしてこの佐渡に流罪にさせられたの? それはね、他宗を排撃する一方で、それに与する幕府側の人達にも批判を加えたからなの。法華経に帰依せぬ輩が政(まつりごと)とは笑止千万。万(よろず)の国難は全てその因に依るわ!と喝破していたの。為政者側からすれば、じゃかあしい〜坊主め!うぜ〜んだよ−と云うことね。

その日蓮上人にしても、本当は斬罪に処されるハズだったの。僧籍にある者を死罪とするのは当時でも御法度だったのですが、その禁を破ってまでも斬罪にしようとしたのですから、余程疎まれていたのね。それが月天子の加護を得て死罪を免れ、佐渡流罪になったと云うわけ。その月天子の加護とやらが気になった方は鎌倉歴史散策−腰越編の 龍ノ口刑場跡 の項を御笑覧下さいね。CMでした(笑)。

6.妙宣寺 みょうせんじ 13:20着 13:35発

山門

阿仏房妙宣寺と呼ばれるように、阿仏房こと、日得上人が弘安元年(1278)に自邸を元に開創したのがこの妙宣寺なの。日得上人は元々は遠藤為盛と名乗る北面の武士で、佐渡配流となった順徳上皇に供奉してこの佐渡にやって来たの。流人と云ってもそこは元上皇と云う高貴な方の側用人なのですから、為盛もそれなりの待遇で迎えられたのでしょうね、上皇の亡き後もこの地に踏み止まっていたの。そうして年月を経た文永8年(1271)に日蓮上人がこの佐渡に流されて来るの。当初は為盛もまた日蓮上人を不穏な坊主と嫌悪したみたいですが、「塚原問答」に接したことから帰依するようになったと云われているの。

庭園 そうして為盛は夫人と共に配流の日蓮上人の身辺に仕えると熱心な信者となり、剃髪出家した為盛は阿仏房日得の法号を得て、夫人もまた千日尼と呼ばれるようになったの。そんな二人が自邸を元に開基したのがこの妙宣寺。ですが、当初のそれは別な場所にあり、現在地に移されて来たのは後世のことなの。拝観料:境内自由

五重塔

境内には新潟県内で唯一の五重塔があり、優美な姿を見せてくれました。聞けば文政8年(1825)に建立に着手したものの、その後30年間と云う年月を経てようやく完成されたものとのこと。時間の制約から見学出来ずに終えていますが、境内には「正中の変」で捕らえられ、流罪にさせられた日野資朝の墓所もあるの。その資朝にしても本当は斬首されるはずでしたが、ある理由から罪一等を減じて佐渡流罪になったの。「正中の変」や日野資朝が配流されて来た理由が気になる方は、鎌倉歴史散策−源氏山公園編の 葛原岡神社 の項を御笑覧下さいね。同じくCMでした(笑)。

7.真野御陵 まのごりょう 13:45着 14:00発

ユリ

御陵とありますが、御遺骨は現・京都市左京区にある大原陵に移され、正式には順徳上皇御火葬塚と呼ばれているの。順徳上皇は後鳥羽上皇の第三皇子にあたり、後鳥羽上皇と共に鎌倉幕府の倒幕に立ち上がるの。それが承久の変(1221)ですが、幕府側の功が奏して上皇側は敗れ、後鳥羽上皇は隠岐に、順徳上皇はこの佐渡に流されて来たの。そうして順徳上皇は21年間の長きにわたる配流生活の後、46歳で崩御されたの。荼毘にふされた上皇の御遺骨はその翌年には京都へと移されたのですが、火葬塚は延宝6年(1678)に修復の手を経て、現在は御陵と同格の扱いを以て宮内庁の管理下にあるの。拝観料:拝陵自由

赤玉石 御陵への参道入口脇では御覧のような緋い大きな石が展示されていました。と云っても実は売り物だったりしますが。この赤玉石は錦紅石、碧石と共に佐渡の三大銘石とされ、中でも両津赤玉地区から産出するものが良質とされているの。赤は焔に通じることから島内では古来から魔除け石として玄関や床の間に飾られたと云います。その価値を知らずに連れがその内の一つに腰掛けていますが、背後の大きなものではン百万円から1千万円位するみたいよ。

8.佐渡歴史伝説館 さどれきしでんせつかん 14:02着 14:40発

佐渡歴史伝説館 回遊式の日本庭園を模して造られた池の中央に建つ同館には佐渡の歴史や伝説の語り部達が集まっているの。と云ってもハイテクに身を固めた等身大ロボット達ですが、当時を思わせる装束を纏い、語り掛けてくる物語に耳を傾ければ遠い昔にタイムスリップ出来るの。1Fでは配流されて来た順徳上皇や日蓮上人を始め、世阿弥など歴史に翻弄された古人(いにしえびと)の物語を、2Fでは森鴎外の『山椒太夫』で知られる安寿と厨子王の物語や、木下順二の『夕鶴』の元となった夕鶴伝説など、佐渡の民話が紹介されているの。入館料:¥700

詳細は 佐渡歴史伝説館 を参照願いますが、第1景の『順徳天皇第一皇女慶子女王』に始まり、第12景の『おけさ伝説』迄、照明と音響に依る相乗効果は抜群で、気が付くと思わず物語の中に引き込まれているの。余談ですが、『おけさ伝説』は佐渡の伝統芸能として知られる『佐渡おけさ』の由来に因む物語ですが、この「おけさ」が実は猫の名前だったとは。物語の全貌は同館を訪ねられた際に聞こし召されませ。

9.佐渡博物館 さどはくぶつかん 14:50着 15:20発

次に訪ねたのがこの佐渡博物館。豊かな自然や民俗・芸能などの資料を幅広く収蔵・展示する一方、館名の英訳 The Art & Natural History Museum of SADO が語るように、佐渡が生んだ日本画壇の巨匠・土田麦僊(つちだばくせん)の素猫展示室も設けられているの。開館時に遺族の方から寄贈された、約500点にも及ぶ作品を収蔵するそうで、その全てが常設展示されているわけではありませんが、麦僊ファンの方には見逃せない博物館ね。入館料:¥700

朱鷺

館内に足を踏み入れると最初に出迎えてくれるのが朱鷺の2羽の剥製(複製)なの。ガラスケースの中で照明を受けて子育てするツガイの姿は神々しくもあるのですが、今となっては哀しくもあり。今更紹介するまでも無く、朱鷺は学名のニッポニア・ニッポンに象徴されるように日本の固有種で、風切羽と尾羽がピンクともオレンジともつかぬ色をしていることから朱鷺色と形容されるほど、美しい翼を持つ鳥とされて来たの。その朱鷺も平成7年(1995)には雄のミドリが死亡し、日本産最後の朱鷺でもある雌のキンも平成15年(2003)には死亡し、絶滅してしまったの。

朱鷺 今でも国境を越えて種の存続が諮られてはいますが、徒らに批判する積もりは勿論ありませんが、一度絶えてしまった種は再び甦るハズも無く、虚しい作業に思えてしまうのはξ^_^ξだけかしら。自然保護の重要性を充分認識しながら、一方で我が身の生存そのものが則ち自然破壊に繋がると云う連鎖に、保護の難しさを改めて感じてしまいますね。掲載写真は2羽の内の一羽をアップで撮影したものですが、今改めて見ると絶滅に追い遣った人間達への恨みつらみの視線に見えなくもないわね。

自然・考古・歴史展示室には佐渡島の太古から近世までの自然や歴史を物語る貴重な資料が展示され、豊かな文化遺産が残る背景を知ることが出来るの。残念ながら時間の関係で見学せずに終えていますが、同館では弥生時代の復元住居や佐渡の代表的な茅葺屋根の民家や、赤玉石などの銘石を集めたロックガーデンの屋外展示もされているの。見終えた後にはすっかり佐渡通になっているかも知れませんね。

10.両津フェリーターミナル りょうつ 16:10着 16:15発

島の中央に広がる国仲平野は奈良時代には国分寺が建てられるなど、佐渡でも古くから開かれた土地なの。中でも真野地区には配流された順徳上皇や日蓮上人所縁の史跡などが散在し、佐渡の飛鳥路とも形容されているの。乗車した史跡Dコースではその主だった名所を巡りましたが、限られた時間の中ではその魅力に充分触れることが出来ないの。歴史好きな方には初日にこの史跡コースに乗車してポイントを掴み、その日は一先ず佐和田地区にある八幡温泉辺りに宿泊し、翌日は改めて真野地区をゆっくりと散策されてみてはいかがかしら。そんな贅沢な旅がξ^_^ξもしてみたいな。

話しを元に戻しましょうね。この日予約していた宿泊先は次に紹介する佐渡パークホテル。両津温泉郷とあるのですが、フェリーターミナルからはかなりの距離があり、とても歩けそうにもなく、ここからはタクシーを利用しました。同館のある椎崎温泉までは当時の料金で¥970でした。

11.椎崎温泉・佐渡パークホテル しいざきおんせん

〔 お詫び 〕 掲載に先立ち、改めて佐渡パークホテルの情報を得ようとしたのですが、平成14年(2002)に倒産してしまったみたいなの。現在でも一部のサイトに宿泊情報が掲載されていますが、更新されずにいるだけみたいね。 こっそり教える佐渡観光・両津編 では名称さえ記載されていないの。再建に向けた活動が行われているのか、はたまた形を変えて営業しているのかはξ^_^ξには分かりませんが、以後の記述は訪時のものとして御理解下さいね。

加茂湖 加茂湖を見下ろす高台に位置する椎崎温泉。ホテルの客室からは勿論、その加茂湖が一望出来、背後に連なる山並みを見ていると今いるのが島だとはとても思えないほど。加茂湖にしても周囲が約17Kmに、水深は平均6mと、新潟県では一番大きな湖なの。画像では分かりにくいのですが、湖面に浮かぶのが牡蠣の養殖筏なの。海水と淡水が混じり合う鹹水湖の加茂湖では牡蠣の養殖が盛んで、水揚げされる牡蠣は佐渡を代表する味覚の一つになっているの。

露天風呂 ところで、この佐渡パークホテルへの宿泊を決めた理由はガイドブックに載せられていた「銀河」と名付けられた露天風呂の写真なの。残念ながら訪ねた時に満天の星空が見られた訳ではありませんが、パンフには「お湯に浸かって天の川を眺めながら明日の旅路に想いを馳せて下さい」とありました。椎崎温泉は、傷付いた朱鷺がその湯に浸かり、傷を癒したことから「朱鷺の傷湯」とも呼ばれていたの。と云うことで、羽ばたき疲れた我が身にも束の間の休息を。

夕食 そしてお待ちかねの夕食よ。残念ながら加茂湖産の牡蠣は季節外れの理由から並びませんでしたが、新鮮な海の幸に、佐渡牛も味わうことが出来たの。その食事も終えてほろ酔い気分で館内の散策に向かいましたが、ラウンジで寛いでいると、暗闇に何か光るものが見えたの。目を凝らして見ているとそれも一つだけではなくて複数の光が辺りを動き回っているの。何か動物の目が館内からの照明に反応して光っているとは分かったのですが、まさか狸だとは思ってもみなかったの。

狸

聞けば狸は狸でも野性の狸だそうで、暗くなると宿泊客がくれる食べ物を目当てにこうして庭に現れるのだそうな。最初は鬼火(笑)かしら?と思えた狸ですが、食べ物に手繰り寄せられて明かりの中に現れた姿はモッコリしていてかわいいの。野性と云ってもこうして宿泊客から貰う食べ物のお蔭で若干 Calorie-Over みたいね。なので、野性と云うよりも餌付けされた狸に近いかも。それでも至近距離で野性の狸に出会えたのは感激ものでした。ところで、この佐渡では古くからムジナ信仰があるの。このムジナと云うのが狸のことで、土地の人はトンチボとも呼ぶの。

狸

そんなことから佐渡では狸に因む昔話が多く語り継がれ、普通は神社と云えば狐ですが、狸が祀られる祠やお社が多いの。嘗ては100を超す穴ぐらにムジナが棲みつき、東西に別れたムジナ番付もなされていたのだとか。中でも西の穴の横綱が相川に棲む二ツ岩の団三郎で、ムジナ達の棟梁とされていたの。御多分に洩れず、木の葉に化けて人間を騙すムジナもいたけど、その多くはどんな病も治す霊力の持ち主だったことから島の人々の信仰を集めたの。中でも最強のパワーの持ち主とされたのが二ツ岩の団三郎で、今でも二ツ岩神社に祀られ、人々に崇められているそうな。

前庭

尖閣湾にはその昔、旅人を騙したトンチボ達が喜んで踊ったと云うトンチボの踊場もあるの。早い話しが狸達のお立ち台と云うわけですが、何で佐渡では狸が多いのかと云うと、金採掘後の精錬作業で使う「ふいご」には狸の皮が最適とされ、生きたまま佐渡に連れて来られた狸が野生化して繁殖地を広げていったとする説があるの。佐渡の野山は狸にも優しかったのね。一方で、この佐渡でも多くの修験者が山中で修行していたこともあり、山神さま達の御神託を伝える際に狸をその使いと見做すようになり、いつしか山神=山伏=ムジナとして同一視されるようにもなったみたいね。

残念ながら佐渡パークホテルへの宿泊は出来なくなりましたが、同じく椎崎温泉にある ホテルニュー桂 が「狸のお宿」として野性の狸に接近遭遇出来るみたいね。ひょっとしたら二ツ岩の団三郎の末裔の狸に出会えるかも。

二日目:秘境・外海府めぐり

二日目のきょうは外海府海岸を巡ります。S字形をした佐渡島ですが、北東に延びる陸地の海岸線が海府海岸で、東側を内海府、西側を外海府海岸と呼ぶの。日本海の荒波の侵食を受けて奇岩景勝地が広がるのがこの外海府海岸。中でも北端に位置する大野亀にはこの時期でしか見ることの出来ないトビシマカンゾウの大群落の開花が見られるの。実はこの時の旅の目的の一つがこのトビシマカンゾウなの。碧い海を背景にして岬を埋め尽くす黄色のトビシマカンゾウの群落の景観写真にすっかり魅せられ、是非、この目で見たいと思っていたの。補:大野亀のトビシマカンゾウの群落の画像は拡大表示が可能よ。

12.両津フェリーターミナル りょうつふぇりーたーみなる 9:20発

新潟交通佐渡 訪時には同じく 新潟交通佐渡 の定期観光バスの秘境外海府めぐり「かんぞう号」に乗車しましたが、現在は大野亀と岩谷口の間がバスの通行が出来ないことから運行されていないの。定期観光バスのみならず、路線バスも同じ状況で、バスを利用した外海府海岸の一周は今となっては不可能となり、残る手立てはレンタカーか観光タクシーの利用しか無くなってしまいました。参考:秘境外海府めぐり・かんぞう号¥7,890

13.佐渡フィッシャーズホテル さどふぃっしゃーずほてる

二ツ亀

佐渡フィッシャーズホテルは佐渡の最北端に位置し、奇岩・二ツ亀を見下ろす高台に建つことから全客室ともオーシャンビュー付なの。残念ながらトイレ休憩に立ち寄っただけですが、ロビーに続くオープンテラスからは御覧のような景観が楽しめますよ。生憎の空模様で紺碧の空と海に、緑色の絨毯に覆われた二ツ亀と云うわけにはいきませんでしたが、晴れていたら素敵な眺めを以て出迎えてくれたことでしょうね。この二ツ亀には後程もう一度触れてみますね。余談ですが、ホテル内の売店ではコシヒカリ・アイスをゲット。ξ^_^ξお薦めの逸品よ。未だ売られているかしら?

14.願集落 ねがいしゅうらく 10:40着

ハマナス 願集落は大野亀と二ツ亀のほぼ中間点に位置する集落で、戸数は僅かに20軒余りと「小さな願い」そのもの。この願集落と二ツ亀を結ぶ海岸には二ツ亀自然探勝路と名付けられた遊歩道が巡るの。踏破するとなると小一時間程掛かるようですが、その途中にあるのが次に紹介する「賽の河原」なの。

15.賽の河原 さいのかわら

賽の河原

願集落からは15分程かしら。海岸沿いの整備された二ツ亀探勝路を歩くとゴロゴロとした石が転がる岩場に出ますが、海蝕洞窟の中にあるのが「賽の河原」なの。辺りには下北半島の恐山のミニチュア版と云った風情が漂いますが、小さな石地蔵が数多く奉納されているの。幼くしてその生命を終えた子供達の冥福を祈り、嘗ては小さな胸に抱かれていたであろう人形なども置かれ、哀しい景観ね。ところで、賽の河原と子供達がどこでどう結びつくの?と気になるあなたに。賽の河原とは三途の川の河原のことで、三途の川は現世とあの世の境界を流れる大河のことね。悲しいかな、幼くして親よりも先に亡くなってしまった子供達もまた、罪を犯しているの。それは親を悲しませると云う不孝の罪。

馬の背 本来ならその罪の重さから地獄送りとなるはずなのですが、その幼さから猶予を与えられるの。代わりに賽の河原で小石を積み上げて塔を造るように指示され、完成の暁にはその罪が許され、無事極楽へと向かうことが出来るとされているの。けれど、やっとの思いで塔が完成するかに見えた頃になると大鬼がやって来て壊してしまうの。賽の河原ではそれが永遠に繰り返され、それを見兼ねた地蔵菩薩が子供を救いあげてくれると云うわけ。佐渡北端の地にこうした場所があるのも何か理由があるのでしょうね。

施願観音 先程の願集落の名にしても能天気な旅人はロマンティックな名称ね−と思うだけでしたが、この場合の願は死後の冥福を祈ることに由来するのかも知れないわね。今でこそ、お地蔵さん=子供ですが、嘗てのお地蔵さんは地蔵菩薩で、生前に犯した罪から地獄に落されたとしても地蔵菩薩が現れて、その責め苦から助け出して下さると信じられていたの。その時のお姿が子供姿のお地蔵さんだったと云うわけ。それが前述の賽の河原信仰と結び付いていったのでしょうね、きっと。

寸景 寸景 寸景 寸景

16.願集落 ねがいしゅうらく 11:30発

二ツ亀 左掲は探勝路の終点・二ツ亀を望み見たものですが、二匹の亀が並んで甲羅干しをする姿に似ていることから名付けられた景勝地。時間があれば歩いてみたかったのですが、ここでも遠目に仰ぎ見て終えざるを得ませんでした。説明に依ると、この佐渡では島のことを亀と呼び、その姿形から神の降臨する神聖な場所とされ、信仰の対象にされてきたと云うの。干潮時には陸続きとなり、歩いて渡ることが出来、その前に広がる砂浜は「日本の海水浴場88選」の一つに指定されているの。

生憎の空模様で残念でしたが、この後に紹介する大野亀と共に外海府海岸を代表する景勝地。島全体が緑の絨毯に覆われる頃に再び訪ねてみたいものですね。勿論、自然探勝路の完全踏破も含めて。後髪を引かれる思いで駐車場に戻りましたが、願集落からの坂道を上るとあるのが大野亀のパーキングエリア。

17.大野亀 おおのがめ 11:32着 12:30発

佐渡のほぼ北端に位置する大野亀。二ツ亀の御案内でも触れましたが、佐渡では島のことを亀と呼ぶこともあるの。この大野亀にしてもその姿形が大きな亀のように見えることから名付けられたのですが、実は大野亀全体が何と一つの岩なの。標高160m余の超巨大岩で、日本三大巨岩の一つと云われているの。残念ながら未体験で終えていますが、その頂上には石塔が建てられ、龍神が祀られているそうな。訪ねた時にはトビシマカンゾウが咲き乱れ、緑の絨毯に覆われた大野亀が黄色に彩られて素敵な景観を以て出迎えてくれました。

大群落を巡る遊歩道は外海府海岸の磯に落ち込む断崖絶壁をかすめ通る場所もあり、急峻な斜面にはトビシマカンゾウに負けじとイワユリも咲き誇っているの。ところで、このトビシマカンゾウですが、ニッコウキスゲの一種で、その姿形からお分かりのようにユリ科の多年草なの。その名は発見地の山形県の飛島に因むもので、今ではこの大野亀の大群落が日本一の規模を誇るの。

呼び名が山形県に由来するものなら、大野亀の頂上に祀られる龍神もまた山形県鶴岡市の善寳寺に祀られる龍神の分身なの。カンゾウは地元の漁師の間では古くから開花時期がコチやタイの産卵期と重なることからコチツキ花やタイ花と呼ばれて縁起の良いものとされたそうな。漁師の方々に見守られてカンゾウと龍神が不思議な縁で結ばれる大野亀。大群落をなすのも分かるような気がするわね。さてと、大野亀の散策でお腹が空いた方には「おおのがめロッジ」でのランチ・タイムがお薦めよ。ウッドデッキのテラス席で、大野亀の景観を楽しみながらのひとときが過ごせるの。

18.海府大橋 かいふおおはし

大野亀を出発したバスは外海府海岸を南下しますが、程無くして大ザレ川の渓谷に架かる海府大橋が見えて来るの。と云っても、バスの車中からではガイドさんの案内が無ければ気付かずに渡り終えてしまうかも知れませんね。橋脚の高さは県内一と云われる海府大橋。バスは橋の上で一時停車してくれますので、その際には身を乗り出して谷間を眺め下ろしてみて下さいね。

滝 その海府大橋の下、渓谷を流れる大ザレ川が100m余の落差を以て海に落ち込むと云う「大ザレの滝」があるのですが、残念ながら橋の上からは見えないの。左掲は代わりに車窓から見えた名も無い滝の写真ですが、「大ザレの滝」をどうしても見た〜い!と云う方はアプローチが難しいので、船を借りる(笑)などして海上から御観覧下さいね。今でこそこの橋のお蔭で難なく大ザレ川の渓谷を渡ることが出来ますが、昔は笠取峠を越えて大きく迂回しなければならなかったの。大ザレの滝には龍神伝説が伝えられるように、辺りの谷間いにも「こしきおとし」と云う、恐〜いけれど悲しい昔話が伝えられているの。脚色( 俗にでっち上げとも )を含みますが、昔話風にアレンジして紹介してみますね。

むか〜し、昔のことじゃけんども、今みたいに車が通るような道があるわけでもなくて、皆〜んな獣道みたいな道を歩いて行き来しておった頃のことじゃ。村のもんが隣村の婚礼の席に呼ばれての帰り道のことじゃった。めでたい席のことじゃで、御馳走も酒もたらふく飲み食いさせてもろうた。じゃがのう、そのお蔭でこの笠取峠にさしかかる頃にはすっかり陽も暮れてしもうた。辺りは谷あいのことじゃで暗闇が広がるばかりで、時折海からの西風がひゅ〜っと音をたてて通り過ぎておったそうじゃ。それでもほろ酔い気分で村へと続く道を歩いておったはずじゃが、あれだけ馳走になったにも関わらず急にお腹が空いてきたんじゃと。普段喰うたこともないような御馳走に胃袋がびっくりしておるんじゃろうと思うておったのじゃが、その内堪えきれぬようになってのお、辺りに生えておった草や木の根をかじってみたのじゃが、一向に空腹が収まらんでのお、そうしてとうとう一歩も歩けなくなってしもうたそうじゃ。その場に蹲ると必死に助けを求めて叫んでみたのじゃが、気が付くとその叫び声は赤ん坊の、おぎゃ〜おぎゃ〜と云う泣き声に変わっておったと云うことじゃ。

わしの命もいよいよこれまでか−と思うた時のことじゃ。運良くその場を通りすがる者がおってのお。事情を知る男は村の者を背負うと後ろに握り飯を放ると一目散に走り出したのじゃ。そうしてここまで来ればもう安心じゃ−と背負うていた村の者を道端に下ろしてみると、不思議なことに何事も無かったかのように元通りの躯に戻っておったそうじゃ。その通りすがりの者が云うには、貧しい近在の村では赤児が生まれると口減らしのために藁で編んだこしき籠に入れて谷あいに落しておったそうじゃ。そんなことからこの「こしきおとし」ではひもじい思いをしながら死んでいった赤児たちが餓鬼となって渓谷を彷徨っておったのじゃ。そうして通りかかる者を見つけてはその身体にとりつき、死に至らしめておったそうじゃ。それからと云うもの、この「こしきおとし」を通る者は餓鬼にとりつかれたら握り飯を放って逃れるようになったそうじゃ。村の者を助けた男は佐渡の山中で仏道修行する山伏だったのかも知れんのお。とんと、むか〜しむかしのお話しじゃけんども。

19.石名清水寺 いしなせいすいじ 13:12着 13:15発

ホンの数分間立ち寄っただけですので、門前での記念写真で拝観終了(笑)してしまいました。なので画像の掲載が出来ませんが御容赦下さいね。佐渡で清水寺と云えば京都・清水寺を模して造られたと云う新穂大野の清水寺を指す場合が多いので、この石名にある清水寺を呼ぶ際には石名を冠して呼称されるの。因みに、京都のそれは「きよみずでら」ですが、佐渡ではどちらも「せいすいじ」と訓んで下さいね。拝観料:境内自由 お賽銭:志納

寺伝に依ると、慶長2年(1597)、この佐渡に渡り来た木喰上人の弾誓(たんぜい)上人(1552-1613)が背後の檀特山で修行中に霊異を感得し、山麓に堂宇を建立したことに始まるの。弾誓上人は元々は尾張の人で、何と9歳の時に出家して以来、尾張山中に草庵を結び念仏修行すること20年余に及び、京都近在を巡歴した後にこの佐渡へ来島して来たの。その姿形は長い頭髪を振り乱し、布紙の切子を身に纏うと云う、奇々怪々のいでたちだったみたいね。世俗を超越したかに見える上人のその姿に仏を見たのでしょうね、島では熱狂的な信仰を集めたと云うの。

木喰上人:この場合の木喰(もくじき)は固有名詞と云うことではなくて、お米や大豆などの穀物を食べずに、専ら山野に実る木の実や果物を常食とする仏道修行者のことなの。生活基盤の衣食住を極限まで切り詰めた過酷な修行は想像を絶するわね。

その弾誓上人の所縁の地に後に遺徳を慕い来島した、同じく木喰上人の行道上人が釈迦堂を建立したの。それが現在の石名清水寺の前身なの。堂内にはその行道上人が作造したとされる仏像や梵字板が残されているとのことですが、残念ながら未体験で終えているの。見学時には境内にある「石名清水寺の大公孫樹」もお忘れなく。樹齢推定300年余の大木で、平成11年(1999)には相川町の天然記念物にも指定されているの。お寺の名前はその公孫樹の根元からの湧水に因むものみたいね。

20.尖閣湾揚島遊園 せんかくわんあげしまゆうえん 13:50着 14:20発

尖閣湾 佐渡随一の景勝地と評される尖閣湾は、この揚島から達者までの約2Kmにわたる海岸線を指すの。湾と云っても一つから成るわけではなくて、小さな入り江が複雑に絡み合い、フィヨルド特有の美しい海岸美が見られるの。入園料:¥500

尖閣湾

頂いた栞に依ると、世界一と形容されるノルウェーのハルダンゲル峡湾の景観に勝るとも劣らない美しさから尖閣湾と名付けられたのだとか。因みに、尖閣湾とはハルダンゲル・フィヨルドの和訳なの。な〜んだ、そのまんまじゃん。昭和25年(1950)には国定公園に編入され、その名を一躍有名にしたのが昭和29年(1954)の映画『君の名は』なの。撮影に際してこの尖閣湾の揚島がロケ地として利用されたの。残念ながらξ^_^ξの生まれる前のお話しなのですが、真知子巻に憧れた方には特段の思いがあるのかも知れませんね。園内には湾を見下ろす地に原作者・菊田一夫氏の文学碑も建てられているの。

君の名はと 訊ねし人あり その人の名も知らず
きょう 砂山にただ一人来て 浜昼顔に訊いてみる

今なら「じれったいわね〜ホントに」と罵声が飛んで来そうですが、古き良き時代よね。この一節にヒロインと我が身を重ね合わせて恋に胸ときめかせた自分を懐かしく思い出される方も多くいらっしゃるのではないかしら。そんなあなたに、駄目押しのフレーズを紹介しておきますね。映画に先立ち、放送されていたラジオ番組でのナレーションなの。当時を知る由もありませんが、ことばには永遠の生命(いのち)があるわね。

忘却とは 忘れ去ることなり 忘れ得ずして 忘却を誓う 心の悲しさよ

揚島遊園 揚島水族館:ここでは珍しい烏賊の泳ぐ姿が見られるの。最近では専ら目にするのは烏賊ソ〜メン状態の彼等ですが、改めて水槽内を泳ぎ回る姿を見ていると不思議な生き物に見えて来ますね。2Fは資料館とありましたので水族館の延長線上のものかと思ったのですがそうではなくて、民具の展示や先程紹介した映画『君の名は』のロケ風景の模様などがパネル展示されているの。ミニ水族館を後に右手に大岬灯台を眺めながら歩くと、別名「まちこ橋」と呼ばれる遊仙橋が見えて来るの。

揚島遊園 橋を渡った先の小島が揚島で、展望園地になっているの。辺りの岩場ではイワユリ(スカシユリ)が競い合うように花を咲かせていました。この揚島遊園では海中透視船も運航されているの。時間の関係から陸地側からの展望で終えていますので紹介出来ませんが、 尖閣湾揚島遊園 を御参照の上で御乗船下さいね。季節運航ですが、湾内を15分程で巡るの。運航間隔も15分間隔と多発していますし、料金も¥1,000(入園料込)とリーズナブルよ。

揚島 ユリ ユリ ユリ

海中透視船ではありませんが、後程紹介する「大佐渡スカイライン」コースでは遊覧船に乗船しました。
尖閣湾の海上からの眺めが気になる方はそちらも併せて御笑覧下さいね。

21.佐渡金山 さどきんざん 14:45着 15:25発

自然と歴史に彩られて多くの見処を抱える佐渡ですが、佐渡随一と称される尖閣湾の自然の造形美に触れたところで、次に訪ねたのがこの 佐渡金山 なの。造作物と云っていいのかどうかは分かりませんが、人の手に依るものとしては同じく佐渡随一の規模を誇るの。否、金山としては日本一ね。佐渡に訪ね来てその金山を見ずしては帰ることが出来ませんよね。佐渡金山は慶長6年(1601)に発見されて以来、徳川幕府の財政を支える最重要施設だったの。大政奉還を受けた後も明治政府に引き継がれ、明治29年(1896)にようやく民間に払い下げられているの。入山料:¥600

佐渡金山 残念ながらその佐渡金山も平成元年(1989)には資源が枯渇してしまい、採掘が中止されていますが、閉山される迄に採掘された金は何と78tに、銀に至っては2,330tと云うのですから、想像を絶する重量よね。因みに ′06.03 現在の金の小売価格は¥2,200/g前後ですので、金額にすると、さて幾らになるでしょう?手許の電卓では桁が足らないわ(笑)。オマケに採掘当時の価値を考慮すると、それこそ天文学的な金額でしょうね。ここではその採掘後の坑内を利用して、江戸時代の採掘模様をロボットで再現しているの。

狸穴 今でこそ機械化された採掘が可能ですが、当時は照明にしてもロウソクや篝火で、動力は殆どが人手に依るもの。過酷な労働環境から病いに蝕まれて短い間に命を失う人が多かったの。中でもξ^_^ξが一番気になったのが宗太夫坑にある、あちこちに掘られた狸穴。鉱脈を辿りながら掘り進めた結果出来たもので、狸が潜むような穴蔵に身を横たえて岩を削り出したの。暗い洞穴で鑿をふるうと云う精神的な圧迫感に耐えながらの過酷な作業は柔なξ^_^ξには信じ難い激務ね。一時間もしない内に発狂してしまいそうね。

佐渡金山

説明に依るとその鉱脈は東西が3km、南北に600mの広範囲に広がり、その深さは800mに及ぶと云うの。坑道の総延長は約400kmで、直線距離に換算すると東京迄の距離。まさに人間の強欲がなし得た地底都市の趣きね。その地底都市を襲う最大の難儀が地下水の湧出で、随所に配置されたのが人間ポンプ。その動力とされたのが無宿人達なの。定住場所を持たないと云う理由だけで捕らえられ、その平均余命は三年とも云われる程過酷な労働を強いられた彼等ですが、ロボット人形の表情からは恨みつらみがほとばしっているように感じられてしまうのはξ^_^ξだけかしら。

佐渡金山 体験坑道は当時の採掘模様を知ることが出来る貴重な展示室。岩盤から削り出された鉱石は製錬行程を経て小判となるわけですが、資料館では1/10の縮尺模型を使用して精錬過程を説明しているの。その展示にしても500体を越えると云うミニチュア人形が細かい動きまでを再現していて秀逸なの。作業する人の嘆息や監督官の発する罵声が今にも聞こえて来そうよ。そして、見学コースの最後にあるのが佐渡金山ならでのは商品レンジを誇るお土産やさんなの。金地金は元より、復元小判やアクセサリーが目白押し。

佐渡金山 それもそのハズ、佐渡金山を運営する(株)ゴールデン佐渡は三菱マテリアル(株)の完全子会社なの。金の価値よりもお金の価値が勝るξ^_^ξは黄金色の輝きに触れただけで素通りしてしまいました。お土産にするには金はちょっと高すぎ〜と云うあなたには無名異焼がお薦めよ。金山の坑道から採掘された泥を焼いたことに始まると云う無名異焼。無名異は鉱脈から流れ出る酸化鉄のことで、朱色はその素材に由来すると云うわけ。

22.両津バスターミナル りょうつ 17:10着

両津港は佐渡の云わば表玄関になるの。ジェットフォイルやカーフェリーが接岸する南埠頭ターミナルを中心に島全域にバスが発着しているの。その両津港を抱えていた両津市も、平成の大合併では御多分に洩れず、近隣9ヶ町村と合併し、現在は佐渡市となっているの。佐渡島全体が一つの市となったわけで単純明解ね。その両津港の背後に広がる大きな湖が加茂湖で、その畔に建つ老舗旅館が次に紹介する湖畔の宿・吉田家さん。タクシー:¥780 〔 当時 〕

23.湖畔の宿・吉田家 泊 こはんのやど・よしだや

加茂湖

左掲はお部屋から望み見た加茂湖の景観ですが、視界を遮るものが何もありませんので、大佐渡山脈の山並みを背景にして、静かな湖面が広がるの。鹹水湖の加茂湖では牡蠣の養殖が盛んで、湖上にはその養殖筏が浮かびますが、訪ねたのが初夏のことでしたので残念ながら味わうことが出来ずに終えているの。11月から3月にかけてお出掛けの方ならもれなく味わうことが出来ますよ。詳しい宿泊情報は 湖畔の宿・吉田家 さんを御参照下さいね。お料理の内容などは宿泊プランにより変わりますが、嘗ては割烹旅館として名を馳せたと云うだけあって、その名に恥じない内容よ。

夕餉

中でも小粋な一品が吉田家自家製の烏賊の塩辛で、ガイドブックにも数多く取り上げられる逸品なの。平成8年(1996)には佐渡では一番新しい温泉、その名も加茂湖温泉が掘り当てられ、屋上にある展望露天風呂からは360度のパノラマが楽しめるようになったみたいね。老舗旅館の宿泊だなんて、そんな贅沢は許されないわ。明日からはまたお仕事だからきょうはお家に帰るの−と云うあなたにはバスターミナルから車で10分程のところにある かもこ観光センター の2Fにある食事処がお薦め。キャッチ・コピーも〜店内すっぽり海の幸、ここに寄らずに帰れない〜

勿論、御飯のお米はコシヒカリ。1Fは鮮魚と海産物の専門店街になっていますが、御食事の後に立ち寄るようにして下さいね。お腹が空いた状態では見るもの全てが美味しそうに見えて、思わぬ衝動買いをしてしまいそうよ。

三日目:大佐渡スカイライン

旅も最終日のきょうは同じく 新潟交通佐渡 の定期観光バス「大佐渡スカイラインBコース」に乗車してみました。

24.両津バスターミナル りょうつ 9:20発

大佐渡スカイライン 大佐渡スカイラインは佐渡の最高峰とされる金北山(1,173m)と妙見山(1,042m)の頂上を掠めるようにして走る観光道路で、両津と佐和田地区を結ぶ中間地点にある金井町から相川までの約30Kmの山岳道路。標高900mの大佐渡山脈の尾根伝いを走ることから、海の雄大さと山の起伏が織り成すダイナミックな造形美が車窓の左右に広がるの。中でも白雲台にある大佐渡高原・白雲荘の展望台からは眼下に真野湾と両津湾を従えた雄大なパノラマが広がるの。料金:¥6,440 〔 当時 〕

25.白雲台展望台 はくうんだいてんぼうだい 10:00着 10:15発

折角訪ね来たのですから高地から佐渡ヶ島全体を見渡して見たかったの。煙と何とかは高いところが大好きと云うことね。島の北側を縦横に走るのが大佐渡山脈で、その最高峰とされているのが標高1,173mの金北山。一方、島の南側を縦走するのが小佐渡山脈。そしてその大小の佐渡山脈に挟まれてあるのが国仲平野で、両端に位置するのが真野湾と両津湾と云うわけ。残念ながら紺碧の空の下−と云うわけにはいきませんでしたが、それでも雄大な佐渡の景観を望むことが出来ました。

パノラマ パノラマ パノラマ

26.道遊の割戸 どうゆうのわれと

道遊の割戸

雄大な景観を目にした後は佐渡金山へと向かいます。昨日乗車した秘境外海府めぐり「かんぞう号」でも金山を見学しましたが、この大佐渡スカイラインコースでは露天掘の採掘跡である「道遊の割戸」を車窓に望み見ながら下りてくることが出来るの。慶長6年(1601)に発見された佐渡金山ですが、山師の渡辺儀兵衛ら3人が最初に見つけたのがこの鉱脈なの。鏨と槌だけで削り掘られたと云う露天掘りの採掘跡で、岩山が二つに切り分けられてしまったの。遠くから眺めた限りではその大きさが分からないのですが、近付くにつれてその大きさに改めて驚かされると思いますよ。

とても人手のみで削られたものとは思えませんが、黄金色の輝きが多くの人達を引き付けたのでしょうね。岩肌には小さな狸穴が数多く残されていますが、その狸穴を含めて現在は国の指定史跡になっているの。それにしてもこの場所を最初に見つけた渡辺儀兵衛ら3人はどうして金の鉱脈があることを知ったのかしら?それこそ山勘かしら。

27.佐渡金山 さどきんざん 10:52着 11:30発

昨日に引き続き、二回目となる佐渡金山の見学でしたが、一度では見切れなかったところも見て廻ることが出来ました。御案内は前述の佐渡金山の項を御笑覧下さいね。と、それだけでは余りにもつまらないわね。誌面を賑わすために(笑)前述の「道遊の割戸」に伝わる恐〜いお話しを紹介してみますね。

佐渡金山 道遊の割戸で金銀の鉱脈を掘り出す露天掘りが始まると、対岸の越後からは多くの人達が佐渡に渡り来たの。一時は渡島禁止令まで発布されるほどだったの。辛い野良仕事をするよりは実入りが多かったと云うわけ。そんな中に弥吉と云う職人がいたの。故郷の越後には老いた母と、狭い田畑を耕しながら弥吉の帰りを待つ妻がいたの。お金を貯めて楽な暮らしが出来るようにと弥吉はくる日もくる日も鑿を振るっていたの。そんなある日、金山にも冬の到来を告げる小雪がちらつき始めた頃のことなの。日頃の疲れもあって弥吉は風邪をひいてしまったの。

佐渡金山 今みたいに有給休暇があるわけではないし、弥吉は熱のある身体をおして岩盤を掘り進めていたの。けれども時間と共に鑿を打つ手にも力が入らぬようになり、仕方なく弥吉は監督役人の目を逃れて岩蔭で休んでいたの。ところが腕を動かしていた時には左程気にならなかった寒さに、熱のある身体が急に震えだしてしまったの。辺りに人の気配を感じた弥吉でしたが運悪く大きなくしゃみが出てしまったの。しまった!と慌てて口を塞いだ弥吉でしたが時既に遅しで、よりによって一番恐い役人に見つかってしまったの。

佐渡金山 「監視の目を逃れてコヤツ、何をしておる!お上の目を謀りおって!!」と鬼の甚兵衛とあだ名される役人が弥吉の襟を掴むと岩蔭から引きずり出したの。その形相におののいた弥吉は「お役人さま、どうか御勘弁を!風邪をひいて熱があるもんでどうにもこうにも身体が動かねえんで・・・」と跪くと平身低頭したの。ところが甚兵衛は「職人風情がこのオレさまに口答えするとは不届き千万!」と云うや否や、腰の刀を抜くと低頭する弥吉の両腕目掛けて振り下ろしたの。

佐渡金山

その時の恐怖と両腕の痛みが長く続いたことから弥吉はとうとう気がふれてしまったの。傷が癒えてからも譫言のように、鬼の甚兵衛に両手をとられた、鬼の甚兵衛に両手をとられた・・・と呟いていたの。両手を失い、気がふれた弥吉には鑿をふるうことも出来なくなり、それでも削り出された土をモッコに入れて運び出す職を得たの。そうしてかろうじて食い扶持を得た弥吉でしたが、うわごとのようなつぶやきは一向に無くならず、鬼の甚兵衛の耳に入ったらと心配する仲間が注意をするものの、気のふれた弥吉には理解が出来なかったの。

佐渡金山

そんなある日のこと。鬼の甚兵衛に両手をとられた、鬼の甚兵衛に両手をとられた・・・とつぶやきながら、いつものようにモッコに土を入れて運び出そうとする弥吉の背後にいつの間にか当の甚兵衛がぬっくと立ちはだかっていたの。弥吉のつぶやきに甚兵衛の顔は見る見る内に強張り、「やい、弥吉!それほどまで云うならその首もとってくれるわ!」と刀を抜くと弥吉の振り向きざまに首を斬り落してしまったの。ところが転がり落ちた弥吉の馘は甚兵衛を睨み付けたまま、かっと目を見開き、鬼の甚兵衛に両手をとられた、鬼の甚兵衛に両手をとられた・・・とつぶやいていたの。

水替人足 その形相にすっかり恐ろしくなった甚兵衛がその場を逃げ去ろうとすると、いきなりどこからか二本の手首が飛んで来て、その首に取りついたの。驚いた甚兵衛は必死で振り払おうとしたのですが、振りほどこうとすればするほど強く締めつけられ、やがて弥吉の躯から流れ出た血の海の中に崩れ落ちるようにして倒れると死んでしまったの。傍らには相変わらず甚兵衛を睨みつける弥吉の首があり、その口許からは今度は、鬼の甚兵衛の馘をとった、鬼の甚兵衛の馘をとった・・・とつぶやくのが聞こえてきたの。

佐渡金山

ちょっとオドロオドロし過ぎちゃいましたね。でもこんな昔話が語り伝えられると云うことは金山はそう云うことがいつ起きても不思議では無い状況にあったと云うことよね。時代も変わり斬り捨て御免は遠い過去のことになりましたが、鬼の甚兵衛みたいに虎の威を借りて徒らに威張り散らす人は今でもいるわね。記述に際しては(株)タカチホ発行の「佐渡のこわい話」を参照させて頂きましたが、他にも多くの恐〜い昔話が収められていますので、佐渡にお出掛けの際には是非お買い求め下さいね。語り継がれてきた物語からは佐渡の古人達の生きた証が垣間見えて来るの。

28.達者港 たっしゃみなと 11:43着発 12:25着発

尖閣湾 きのうの秘境外海府めぐりでは尖閣湾の景観も揚島から眺め見て終えていました。その揚島でも海底透視船が運航されてはいたのですが、定観のコースでは乗船は含まれていないの。それがきょうのこのコースでは遊覧船に乗船して尖閣湾の景観を海上から楽しむことが出来るの。乗船したのは「はまなす」と名付けられた瀟洒な遊覧船で、船体にはまなすの花があしらわれているの。でも、見掛けに寄らず、100名迄乗船可能な力持ちよ。詳しくは 尖閣湾観光 を御参照下さいね。

尖閣湾 尖閣湾 尖閣湾 烏賊釣船

残念ながら曇天の空模様で、目の覚めるような景観を皆さんに紹介することが出来ませんが、お許し下さいね。海上では一艘の烏賊釣り船にも出会うことが出来ましたが、一年を通して佐渡では烏賊漁が盛んで、中でも初夏の6月頃は真イカが一番美味しくなる季節なの。遊覧船の乗船後にはレストハウスでの烏賊ソーメン定食はいかが?

尖閣湾 ところで、前掲の 尖閣湾観光 の頁でも達者の地名の由来について記載されていますが、安寿と厨子王伝説に由来するとする説があるの。森鴎外の小説【山椒太夫】で広く知られるようになった物語ですが、子供の頃に読み聞かされた昔話に涙した方も多いのではないかしら。佐渡には安寿姫と厨子王に因むとされる史跡が数多く残されていますが、達者から少し北側に位置する鹿ノ浦には安寿姫を葬ったと云う安寿塚も残されているの。

安寿姫と厨子王伝説?山椒太夫?何なの、それ〜?と云うあなたに少しだけ紹介してみますね。物語の舞台は京都から九州の筑紫まで及ぶことからその地域毎にストーリーの展開にも違いがあるの。なので、それはちょっと変よ〜と感想を持たれる方もいらっしゃるかも知れませんが、ここでは佐渡バージョンを脚色してお届けしてみますね。

むか〜し、昔の、平安時代の頃のお話しじゃ。当時の奥州には多くの郡と呼ばれる国があってのお。それを束ねていたのが岩城判官正氏と云う偉いお方じゃった。人も羨む、太守の地位にまで上られたお方じゃ。そうなるとそれを妬む者も多くおってのお、その地位を利用して私腹を肥やす不届きなヤツ−と讒言する者がおったのじゃ。都に上り、無実を訴えてみたのじゃが誰一人耳を貸す者がおらんでのお、終には捕らえられて筑紫の国へと流罪にさせられてしもうたのじゃ。

太守には安寿姫と厨子王丸と云う二人のこどもがおってのお、仲の良い姉弟じゃった。父親が流罪にさせられたことを知ると二人は父親を慕って母親とともに筑紫へと向かったのじゃが、越後の直江津まで来たときに人買いに騙されて、安寿姫と厨子王は丹後の国へ、母は佐渡へと売られてしまったのじゃ。佐渡の鹿野浦には佐渡二郎と云うあこぎな長者が住んでおってのお、母親は人買いの手を経てこの佐渡に連れて来られたのじゃ。母親は食べるものも碌に与えられずに朝から晩まで働かされ、年月を経るうちに、やがて目も見えんようになってしもうた。じゃがのお、あこぎな長者はそんな母親に今度は畑の鳥追いをさせたのじゃ。

安寿恋しや ほーやれほー 厨子王会いたや ほーやれほー

母親は離れ離れにさせられたこどものことを思い、つらさに堪えておったんじゃが、盲目をよいことに村の悪童どもが−ほうれ、安寿姫が来たぞ。ほ〜れ、厨子王じゃ−とからかいおった。じゃがのお、目の見えぬ今となっては手に持つ鳥追い棒を振り回すのが関の山じゃった。

一方の安寿姫と厨子王じゃが、丹後の国の山椒大夫に売られておったのじゃが、父親の死後に冤罪であることが分かってのお、赦されて厨子王は父親の後を継ぐ太守に任命されたのじゃ。そうして赦された二人が真っ先に向かったのがこの佐渡ヶ島じゃ。じゃがのお、舟で渡り来た二人は島の大きさに驚いてしもうた。二人は早く母親に会いたい一心で手分けして島内を探すことにしたのじゃ。そうして最初に母親をこの鹿ノ浦に見つけたんが安寿姫じゃった。母上さま〜!母上さま〜!安寿にござりまする〜と叫びながら駆け寄ると袂にすがりついたのじゃが、日頃から村の悪童どもに安寿じゃ厨子王じゃと騙されておった母親はそれが本当の娘とも知らず、手にした鳥追い棒で立て続けに殴りつけてしまったのじゃ。哀しいものよのお、安寿姫が幾ら叫んでみても聞き入られんかった。供の者が気付いて止めに来た時には既に遅しで、打ち所が悪かったのじゃろうのお、安寿姫は母親の袂をその手に掴んだまま息絶えておったそうじゃ。

供の者からことの全てを聞かされた母親は気も狂わんばかりに号泣したそうじゃ。そうして安寿姫の亡骸を川の上流に葬ると、母親の見えない目からは再び涙が溢れだし、細い水の流れとなって川に注ぎ込んだそうじゃ。それからと云うもの、そん川には毒が流れるようになってのお、あこぎな長者の土地はどんな種を播いても育たんような荒れ地になってしもうた。やがてその子孫も死に絶えたと云うことじゃ。

さてはて、安寿姫の亡骸を葬ると、供の者に連れられて無事厨子王と再開した母親じゃったが、湧き出ていた清水でその目を洗って貰ったところ、不思議なことに目が見えるようになったそうじゃ。それからと云うもの、この地で離れ離れになっておった親子が達者でいたことを喜び合うたことから誰云うとなく、この辺りのことを達者と呼ぶようになったそうじゃ。そうして母親の目を洗うたと云う湧き水の傍には、いつの頃からか目洗地蔵が祀られるようになってのお、今でも目を患う島のもんから崇められておると云うことじゃ。

29.越の松原 こしのまつばら 12:50着 13:45発

真野湾の中心地・佐和田海岸に面して建つリゾートホテルの シルバービレッジ佐渡 で昼食タイム。残念ながら未体験で終えていますが、同館では佐渡の伝統芸能「文弥人形芝居」の上演が行われているの。上演時間などはHPを御参照下さいね。

追伸:シルバービレッジ佐渡ですが、併設の佐渡文弥人形館共々平成22年(2010)8/Eを以て閉館しているの。施設は隣接する「浦島」さんが取得済みで、改装後にリニューアル・オープンとのことですが、人形館の方は・・・みたいね。

じゃあ、人形芝居を見ないで何をしていたの?実は越の松原が遠い昔には白砂青松が続く風光明媚な景勝地だったと聞いて海岸を歩いてみたの。記念写真ばかりですので画像の掲載が出来ませんが、クロマツの松林があることはあるのですが、今ではコンクリートの護岸堤が続いているの。潮の流れを受けて海岸砂丘が形成され、その砂塵が強風に煽られて舞うのを防ぐために松が植樹されたことに始まると云う越の松原ですが、嘗ての風光明媚な景勝地は今いずこ?になってしまったみたいね。

越の松原を最後にバスは終着の両津フェリーターミナルへと向かいましたが、その途中で、ある事件がおきてしまったの。お腹がいっぱいになれば上の瞼と下の瞼が仲良くなるのは自然のことよね。車中ではこっくりをされている方もいらっしゃいましたが、それでも車窓から流れる景色を見ながらガイドさんの案内に耳を傾けている方が多かったかしら。そんな時に突然後部座席から、うるせえんだよ〜!へたくそなガイドなんてやめろ!ちょっと黙ってろ!と罵声が飛んできたの。

突然の怒鳴り声に眠りこけていた方も皆して後を振り返ったの。確かにお世辞にも上手とは云えない話し振りでしたが、かと云って罵声を浴びせる程のことでもないと思うの。その案内振りからしても、添乗して未だ日も浅いことが容易に分かったはずよ。怒鳴り声を挙げた男性にしてみてもガイドさんからすれば父親のような年齢の方で、慣れない説明も、自分の娘がマイクを持ってガイドしていると思えば許してあげられるはずよ。

車内に冷た〜い空気が流れると、ガイドさんの目からも涙が流れ、それでも気丈に「お休みの方もいらっしゃるようですので、御案内を止めて音楽をかけさせて頂きますが、御用が御座いましたらお声を掛けて下さいね」と案内するとステップに下りてしまったの。前を向いたまま、ハンカチで幾度となく涙を拭う後姿に切ない思いをしましたが、ξ^_^ξには罵声を浴びせた男性に苦言を呈するだけの勇気も無くて。この後両津地区に宿泊する方の利便のために停まったバス停で件の男性も下車されていきました。その後、声が出せなくなってしまったガイドさんの代わりに、運転手さんからのフォローがありましたが、その中でガイドさんの添乗はこの日が三回目だったことを知らされたの。

至らぬことが多く、皆さまには不愉快な思いをさせてしまったことは私の方からも深くお侘び致しますが、ガイドも慣れぬこととは云え、精いっぱい努めさせて頂いた積もりでおります。どうか、これに懲りずに、又、佐渡の土を踏んで頂きたいと思います。その頃迄にはガイドも経験を積んで皆さまの旅の楽しい思い出づくりのお手伝いが出来るようになっているものと思います。本日は私共、新潟交通佐渡の観光バスに御乗車下さいましてありがとうございました。

運転手さんのさりげないフォローでしたがこれが「大人」よね。勿論、車内からは満場の拍手。フェリーターミナルに到着してバスを下車して見送ってくれたガイドさんに「あんな人ばっかりじゃないから頑張ってね。一人旅みたいだったからきっと奥さんとも上手くいってないのよ。だから虫の居所が悪かったんじゃないの。くよくよしないで頑張ってね、応援してるから」と、凡そオバサン的な発想の連れのことばですが、それに応えて返してくれたガイドさんの笑顔が忘れられないの。

30.両津フェリーターミナル りょうつ 14:40着 15:30発

ジェットフォイル ところで、お話しには続きがあるの。少し手前のバス停で下車していった件の男性ですが、宿泊先に向かったと思いきや、このフェリーターミナルに現れたの。思わず怒鳴ってしまったけれど、自分でも気不味くなって宿泊を装い、途中下車したみたいね。それなら素直に云い過ぎたことを侘びれば互いの心も多少は癒されたかも知れないのに残念ね。とは云え、ガイドさんを乗せたバスはとうに走り去ってしまった後でしたが。

31.新潟港 にいがたこう 16:30着 16:40発

本当は新潟駅までは 新潟交通 バスに乗車する積もりでいたのですが、のんびりと記念写真を撮っていたせいでバス停に辿り着いた時には既に発車してしまったばかり。次のバスの発車時間までは20分以上も待たねばならず、仕方なくここでもタクシーを利用しました。料金 タクシー:¥920 〔 当時 〕

32.JR新潟駅 にいがたえき 17:47発 13番線

新潟からは上越新幹線のMaxあさひ332号に乗車しましたが、この場合の Max は Multi Amenity Express の略だそうで、それまでのξ^_^ξは当然の如く Maximam の Max だとばかり思っていたの。深い積もりで浅いのが知識と云うことね。Amenity とは「快適」を指すことばですので、すべてのお客さまに喜んで頂ける快適空間を−と云うところかしら。

33.JR東京駅 とうきょうえき 19:56着


島と云うことばの印象から佐渡ヶ島を想像して訪ねるとそのイメージは悉く裏切られるの。勿論、いい意味でのお話しよ。歴史の舞台にも流刑の地として古くから登場する佐渡ヶ島ですが、暗い印象どころか、往時の都の香りを今に伝える歴史遺産など、無知なξ^_^ξには意外性の連続でした。佐渡金山にしても鉱山は元より、周辺にも人々の生きた証が数多く残されているの。機会を見つけて訪ね歩いてみたいものですね。そして何よりも感動したのは大野亀に咲くトビシマカンゾウの大群落。初夏の間の短い期間に一斉開花するさまはまさに大自然の営みね。季節を捉えて皆さんも是非お出掛けになってみて下さいね。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥

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