≡☆ 三保の松原羽衣紀行 ☆≡
2002/12/31 - 2003/01/03

お正月はどこにも行かないの?のことばに急き立てられての初詣プラン。そうは云っても、お正月はどこへ行くにも割高ですので、近場でお正月にふさわしい地として羽衣伝説で知られる三保の松原に出掛けてみました。お約束ですが、記事中の列車ダイヤ・料金等は ′03.01 現在の情報ですので、お出掛けの際には最新情報を御確認下さいね。尚、記載のバス時刻は実時間で御案内していますので御了承下さいね。補:一部の画像は拡大表示が可能よ。見分け方はカ〜ンタン。

′03.04 には旧静岡市と清水市が合併して新しい静岡市が誕生しているの。合併に伴い、地名表記などの変更があるとは思いますが、ここでは当時のままとさせて頂いていますので御了承下さいね。

一日目:登呂遺跡と静岡浅間神社

1.JR東京駅 とうきょうえき 8:33発 15番線

お正月をふる里で過越される帰省客でホームは溢れかえっているかと思いましたが、意外に静かでした。
もっとも大晦日ですので、帰省する方は既に帰られてしまったのでしょうね。
特急券:¥3,120 (繁忙期) 乗車券:¥3,260

2.JR静岡駅 しずおかえき 10:01着 10:27発 4番線

パサールカード 先ずは、歴史の教科書などに出てくる登呂遺跡を見学してみようと、駅前のBTへ。他にも市内にある静岡浅間神社、駿府公園を巡る行程を考えていましたので、一日フリー乗車券があればと思い、案内所を見つけて訊ねてみたのですが、生憎発行していないとのことでした。その代わりに勧められたのが御覧のパサール・カード。取り敢えず¥1,000のカードを購入しましたが、額面の3割増の金額が使えるお得なカード。オマケにバスを乗り換える際には¥100割引のサービスも。運賃:¥180

利用時間はAM9:00-PM4:00の制限付きですが、乗車時が時間内であれば降車時に時間外になっても構わないので、充分な時間設定よね。三保の松原を始め、久能山や日本平などの見処を網羅して走る静鉄バスですので、利用価値の高いカードよ。勿論、バスだけで無く、静鉄乗車時にも使用出来るの。運行ダイヤや運賃などの情報は しずてつジャストライン を御参照下さいね。

バスに乗り込むと、運転手の方が停発車の度に「発車しま〜す、停車しま〜す」の車内アナウンス。ただテープの案内だけで無言で走るバスしか知らないξ^_^ξには新鮮な驚きでした。プラン作成時に静鉄バスのHPで全停留所の時刻表と運賃が検索出来ることを知り、感激していたのですが、改めてその営業姿勢には感心させられたの。お正月には特別ダイヤで運行する旨掲示されていましたので、詳細を確認するために静岡バスセンターに電話した際にも丁寧な応対をして下さいました。後日、行き先を間違えて乗車したり、車内に傘を忘れたりもしましたが、都度、脳天気な旅人にも優しい応対をして下さいました。

今では殆どのバス会社がWEB上でバス停毎の時刻や料金を調べることが出来るようになりましたが、当時としては画期的なことだったの。お陰で出たとこ勝負で路頭に迷うこともなく旅が出来たの。静鉄バスの先進性に感謝、感謝よ。

3.登呂遺跡 とろいせき 10:45着 11:39発

乗車したバスは登呂遺跡行きでしたので登呂遺跡の目の前が終点ですが、久能山下行きでは登呂遺跡入口バス停しか通りませんので、下車後には5分程歩くことになりますので御注意下さいね。実は久能山下行きの路線系統図の中に登呂遺跡入口バス停を見つけたξ^_^ξは、このバスでも行けるんじゃないの−と乗り込むところだったの。念のために運転手さんに確認して事なきを得ましたが。バスの終点で下車してみれば登呂遺跡は目の前でした。路を挟む反対側にはお土産物屋さんがありますが休業中で、大晦日にやって来る観光客も珍しいと云うか、いないのでしょうね。犬を連れた近在の方が数人散歩していましたが、観光客らしきはξ^_^ξ達だけでした。

登呂遺跡は昭和18年(1943)のプロペラ工場建設時に発見され、戦後、数度の発掘調査を経て遺跡公園として整備されたもので、竪穴式住居や校倉(あぜくら)造りの高床式倉庫などが復元されているの。骨組だけの竪穴式住居もありましたが、建築後17年を経て老朽化し、再復元する過程のもので、作業を中断して一般公開しているものと案内されていました。見学料:園内自由

住居 園内には 静岡市立登呂博物館 が開設されていますが、残念ながら年末年始は休館ですので、見学出来ずに終えています。この博物館は体験参加型博物館として運営され、当時の弥生人の生活を追体験出来るようになっているの。貫頭衣を纏い、田下駄を履いて田泥を歩いてみたり、木臼での脱穀やら、石斧を研いでみることも出来るみたいよ。この頁を御覧下さっている皆さんも、火起こしなどは子供の頃に一度は体験してみたことがあるのではないかしら。

4.静鉄・静岡駅 しずおかえき 11:55着

市役所 県庁 次の目的地・静岡浅間神社へはバスを乗り継いで向かう予定でしたが、歩いても左程の距離があるようには思えませんでしたので、駅前の街並みを見ながら歩いて駿府城址(駿府公園)に向かいました。その途中で見つけた官庁舎ですが、左は瀟洒な建物の静岡市役所、右は天守閣のように聳え建つ静岡県庁。

とりわけ静岡県庁の方は原資は血税のはずなのに、余りにも立派な建物に驚いてしまいました。御幸通りから見ると駿府城址の外堀の内側に建つので、まるで天守閣のように見える皮肉な構図ね。県庁脇を通り、東御門に抜けたのですが、側を通ると威圧的とも思える巨大な建物で、お上の御威光の現代版といったところかしら。静岡の方々は殊の外裕福でいらっしゃるみたいね。

5.駿府城址公園 すんぷじょうしこうえん 12:05着 13:08発

徳川家康が隠居所として定めて大改修を行った駿府城も後の大火で焼失してしまうの。当時の建物は残されてはいませんが、二層三階の巽櫓と東御門が復元されているの。市制百年を記念して復元された巽櫓ですが、見学料(¥200)を払えば内部を見学することも出来ますよ。傍らには十返舎一九の『東海道膝栗毛』に登場する弥次さん、喜多さんのひょうきんな銅像も建てられているの。

白鳥 梅

東御門では汲み上げた水をお濠に流していて、橋桁には鯉が群がっていました。鳥の餌なのか、鯉の餌なのかはξ^_^ξには分かりませんが、餌箱に最初は鳩が群がっていたのですが、白鳥がやってくると皆な一斉に石垣に上がってしまいました。優雅に見える白鳥ですが、それでも鳩には怖〜い存在のようね。鳩の視線を尻目に泰然と食事を楽しむ白鳥ですが、ここでは鳩だろうと白鳥だろうとお構いなしにおこぼれを頂戴する鯉が一番賢いのかも知れないわね。

東御門を潜り抜けると巽櫓見学の受付がありますが、その裏手には早くも梅の花が咲いていたの。広い園内には光を遮る建物も無く、陽射しを一身に浴びることが出来るからなのでしょうが、何とも早い春の訪れで、まさに新春ね。園内には、他にも桜やツツジの木が数多く植えられていますので、花の咲く頃には美しい景観を見せてくれることでしょうね。

徳川家康御手植えと云われる蜜柑の木がフェンスに囲まれて保存されていますが、さすがは家康公御手植えと称されるだけのことはあるわね。樹齢はかなり経て来ているはずなのに、樹勢は一向に衰えていない様子なの。一つくらい実がないかしらと探してみたのですが、残念ながら見つかりませんでした。蜜柑の産地としても有名な静岡ですが、当時の蜜柑はどんな味がしたのかしらね。

天守閣があったとされる本丸跡の一角には家康公の銅像が建てられているの。隠居所として利用された駿府城ですが、戦国の時代にあって日本統一の偉業を成し遂げた家康公の胸に去来するものは何だったのでしょうね。鷹を左手に従えて遠くを見据えるその先に見えるものは?

松 竹

この季節には珍しく、真紅の花が咲く木を見つけて近寄ってみたのが御覧の椿なの。何という種類なのかはξ^_^ξには分かりませんが、寂しい風情の花を咲かせる椿が多い中で、この花は華麗なピンク色をしていたの。中央はその椿に隣接して植栽されていた松ですが、梅に松があるのなら竹が無いかしらと探してみたの。諦めかけていたところ、ようやく竹を見つけて、めでたく松竹梅が揃ったと云うわけ。

この竹の背後に夏蜜柑の木があり、枝には美味しそうな実がなっていたの。家康公御手植えの蜜柑を試食することが出来ませんでしたので、代わりに一つ失敬して来ました。俗にネコババとも云うけど(笑)管理事務所の方、ごめんなさい。後でこっそり味見してみたのですが、その酸っぱさは感激ものよ。野性的な味で、殆どレモンの丸かじりをしているようで思わず、おお、すっぺえ〜(笑)一日に必要なビタミンCがこれ一個で充分補給出来そうよ。

公園をひと巡りしたところで清水御門から御幸通りに出ました。次の浅間神社へは近道を探したのですが、地裁や税務署の建物に阻まれて抜け道が見つけられませんでした。今思うと清水御門を出て右手に行けば良かったみたいね。御幸通りを歩くと道沿いに大きな鳥居が立ちますが、そこから続く商店街の参道を延々と歩くハメに。途中ではボンネットバスに出会いましたが、静鉄の駿府浪漫バスで、その名も家康公と竹千代くんに葵小町。市内の周遊バスで¥100で乗車出来るので、上手く活用すれば無駄な労力を使わずとも済むわね。運行経路や時刻表が前掲の しずてつジャストライン に掲載されていますので御参照下さいね。

6.静岡浅間神社 しずおかせんげんじんじゃ 13:28着 14:17発

静岡浅間神社は駿河国総社の神部神社と富士新宮の浅間神社、奈吾屋大明神の大歳御祖(おおとしみおや)神社の三社を総称した呼称なの。三社と云うものの、境内には他にも八千戈神社などが鎮座していて、神さまの一大集結地となっているの。その中心的存在がこの拝殿で、竹千代(家康の幼名)が元服式をあげたと云われているの。浅間神社は徳川家が厚く保護したことから「東海の日光」とも云われ、建物の殆どが国の重要文化財に指定されているの。拝観料:境内自由

本来なら元旦に初詣をすべきところですが、大晦日の参拝でも神さまは笑って許して下さるでしょう。お賽銭を入れて今年も一年恙無く過越すことが出来たことを感謝。境内のあちらこちらで露店のお店の方がネギやキャベツを刻み、最後の仕込みをするなど賑やかでした。因みに、元旦の午前0時には寿太鼓が打ち鳴らされ、獅子舞や木遣りが奉納されるそうで、さぞや賑やかな新年の幕開けとなることでしょうね。

一角にある八千戈神社は漆黒の社殿に華麗な装飾が施され、宮城県仙台市にある瑞鳳殿に似た風情を見せているの。この八千戈神社の左脇にある急な石段を登ると再び神社が鎮座しますが、こちらも漆黒の社殿で、浅間神社の拝殿が朱色に彩られているのとは対照的ね。木々の間からは静岡市内が見渡せますが、近代的なビルが建ち並ぶ今とは違い、当時の街並みはどんな景観を見せていたのでしょうね。

7.赤鳥居BS あかとりい 14:18着&発

歩き疲れて再び駅まで歩くのも辛くてバスに乗車しようとしたのですが、最寄りのバス停がどこにあるのか分からず、地図を片手に歩き出そうと廻りを眺めていると、交番が神社入口の直ぐ傍らにありました。喜び勇んでお巡りさんに訊ねたのですが、ほんの100m足らずの場所にバス停はあり「そこを左手に曲がれば直ぐに見えるよ」と云えば済むところをわざわざ地図まで広げて下さって。能天気な旅人にトコトン優しい静岡のお巡りさんでした。運賃:¥180 所要時間:約5分

8.JR静岡駅 しずおかえき 14:23着

お腹も空いて遅い昼食をと、駅ビル内をぶらついて見つけたのが「味乃一心」と云ううどん屋さんでした。駿河と云えば桜エビが有名ですので、ここでは豪快に桜エビ天ぶっかけうどんを。コシのあるうどんにサクサクした桜エビ天が美味で、うどん好きのξ^_^ξも納得の味よ。聞けばTVでも紹介されたこともあるそうですので、静岡駅に立ち寄られた際には如何ですか?御値段の方も¥900とリーズナブル。駅ビル内には他にも多くの食事処がありますので、 アスティ静岡 を御覧の上でお目当てのお店を見つけて下さいね。

「味乃一心」は現在は「手しお屋」としてリニューアル・オープンしているみたいね。

お腹を満たしたところで今宵の宿へ。宿は羽衣の松で知られる三保の松原にとりましたので、先ずは静鉄に乗車しようと新静岡駅に向かいましたが、その名称から新幹線側の駅名かと思っていたのですが、静鉄側の駅名だったのですね。JR静岡駅からは離れた位置にありますので注意が必要ね。地理に不案内でしたので、方角に当たりをつけて歩き始めたのですが、何となく人の波に乗り歩いていたら新静岡駅に着いてしまいました。

9.静鉄・新静岡駅 しんしずおかえき 15:10着 15:12発

ところが着いてみたものの、大きなバスターミナルはあるのですが、列車の姿が見当たらず、どこが駅舎なのか分かりませんでした。傍らに案内を見つけて地下に潜るとデパ地下ならぬショッピングセンターになっていて、大晦日のこともあり、大勢の買い物客でごった返していました。駅への出口が分からず、取り敢えず地上に出て見ると今度は駅ビルの裏口に出てしまったの。再び踵を返して地下へ潜りましたが、我ながら何をやってんだか・・・。そうしてようやく見つけた改札口。廻りをキョロキョロして探していましたが、今思うと上を見て歩くべきでしたね。駅改札口への案内表示は天井から下げられていたの。分かってしまえば何のことは無いのですが、知らない人には分かりづらいですよね、新静岡駅は。エッ?お前だけだって?スミマセン。

ここでもパサールカードで改札。バスの乗車時は券面の裏側には何も印字されませんが、静鉄の自動改札機ではパスネットのように日付と乗車駅が印字されるの。どうでも良いことに改めて感心したξ^_^ξでした。入線して来た列車は僅かに二両と可愛らしい編成よ。運行ダイヤも6分間隔と軽快なフットワークで新静岡駅と新清水駅を結んでいるの。
乗車券:¥290 (新清水駅まで) 所要時間:20分

10.静鉄・新清水駅 しんしみずえき 15:32着

新静岡駅と違い、こちらの新清水駅は閑散としていました。駅前が大通りになるのですが、バス停の案内もありませんでした。仕方なく通りがかりの方にバス停の場所を訊ねてバスを待ちましたが、先程教えて下さった方が再びやって来て、どこへ行くの?と訊ねて来ましたので、「三保の松原へ」と答えると「じゃあ反対側だよ〜。ここにいたら清水駅に連れてかれてしまうよお〜」と。慌てて横断歩道を渡り、反対側に廻り込みましたが、親切なオジさんで良かったあ。三保松原方面に向かうバスはホテルサンルート清水の真前にあるバス停からの乗車ですので皆さんも間違えないようにしましょうね。でも、そんな方向音痴はお前くらいだって云われそうね。運賃:¥320 所要時間:約20分

11.三保松原入口BS みほまつばらいりぐち 16:05着&発

バス停から少し戻るようにして歩いたところに三保松原入口の信号があるの。大通りを背にして歩くと突き当たりが御穂神社の裏口になるの。ここで車道は左右に分かれますが、徒歩の場合はそのままコンクリート製の鳥居を潜り、神社の境内へ。

12.御穂神社 みほじんじゃ 16:16着

御穂神社はこじんまりとしたお社ですが、祭神は大国主命と三穂津姫命で、夫婦和合・縁結びの神として崇められているの。あの日本武尊(やまとたけるのみこと)も立ち寄ったことがあると云う古社ですが、天女の羽衣の一部と伝えられる布が残され、古の浪漫溢れるお社なの。初詣に備え、準備万端の境内で、神さま達もここしばらくは忙しくなりそうね。拝観料:境内自由

左掲は、かの左甚五郎作と伝えられる神馬ですが、元は静岡浅間神社に奉納されていたものだそうよ。安永2年(1773)の駿府大火の際に、浅間神社から逃げ出した2頭の神馬はこの御穂神社に逃げ込み、黒い方の一頭は浅間神社に戻ったものの、白い一頭がそのまま御穂神社に留まり、今日に至るのだとか。浅間神社には黒い神馬の厩と、空いたままの厩があるそうですが、気づかずに参詣を終えてしまいました。これからお出掛けの方は忘れずにね。

13.神の道 かみのみち

神の道 境内を抜けた表側の鳥居からは御覧のような松並木が続きます。朽ちかけた看板には「神の道」とありましたが、御穂神社の御神木が有名な「羽衣の松」で、昔は羽衣の松から御穂神社へ続くこの道はまさしく神の道だったの。今では沿道に民家も建ち並び、併走する車道では大型の観光バスが唸りをあげて通り過ぎて行くの。天女が舞い降りた頃の情景は知る由も無く‥‥‥

14.羽衣ホテル はごろもほてる

松並木が終わると駐車場があり、土産物屋が軒を連ねていましたが、陽も暮れかかっていましたので、きょうのところは素直に今宵の宿へと向かいました。館名の羽衣から期待したように控えめな造りに気を良くして門を潜ったところまでは良かったのですが、内ポケットに入れておいたはずのクーポン券が無い!!ことに気付いたの。慌ててあちらこちらのポケットを探したのですが見つからず、入口から数歩のところで立ち往生。ヤバイ!ここまで来て泊まれないないの〜と大慌てでした。

隣で連れは目を吊り上げてるし、館内からは係員の方が迎えに出てくるし。事情を話すと「取り敢えず中に御入りになりごゆっくりとお探し下さい」と云われて益々焦ってしまいました。一時は観念してクーポン券無しでの宿泊を頼み込もうと歩き始めたのですが、それでも必死に探したの。鞄のポケットに仕舞い込んだのを忘れていたんですね、チケットを無事に見つけた時の嬉しさ。

同ホテルへの宿泊は名勝「羽衣の松」に近いという地理的な要因もありますが、 三保の松原羽衣村 が決め手になったの。同サイトでは羽衣についての膨大な情報量を扱いながら、天女のみほちゃんが平易なことばで解説してくれるの。みほちゃんのキャラクターが少女趣味のξ^_^ξは大好き。TOP頁には天女の館・羽衣ホテル内羽衣村事務局とあり、同ホテルの女将さんが運営している様子が窺えました。このようなサイトを運営されているのですから、羽衣伝説にふさわしく、風情漂う宿なのでは?と期待したの。

建物は決して大きくはありませんが松林を背景に、華美な装飾も無く落ち着いた風情のお宿よ。部屋の床の間には玉手箱のようなものが置かれ、開けてみると巻物ならぬ和紙に書き留められた羽衣伝説。そして、座卓にはさりげなく描かれた天女のシルエット。期待に違わず、羽衣ホテルには古の浪漫が漂うの。わたしも宿泊してみようかしら?と思われた方は 羽衣ホテル を御参照下さいね。そうそう、みほちゃんの羽衣村研修も忘れずにね。

二日目:久能山東照宮

元旦にはやはり初詣ということで久能山東照宮へ出掛けてみましたが、聞くところによると午前0時〜6時迄の参拝客には福箸が貰えたみたいね。御穂神社でも午前0時からおしるこが振る舞われたそうですが、爆睡中とあってはその恩恵にあやかることもなく。

15.羽衣ホテル はごろもほてる 9:10発

おせち

先ずはおせちを前にお屠蘇で新年の御挨拶。引き続き、恒例のお年玉の交換会。いっぱい貰ってもその分あげなければならないし、3人の間でお金が廻るだけなので実質差額分だけが手許に残る計算ですが、損してるのか得してるのか良く分からないの。そこは気持ちの持ちようということで。お雑煮を食べ、腹拵えを済ませて表に出て見ると、元旦だというのにすっきりしない空模様。女将さんが「晴れていれば富士山がくっきりと見えるのですがきょうはちょっと残念ですねえ〜」と仰っていましたが、その内晴れ間も覗くでしょうと、先ずは昨日通った神の道を経て御穂神社への初詣へ向かいました。と云ってもバス停へ向かう通り道だったりするのですが。

16.御穂神社 みほじんじゃ 9:17着 9:18発

こじんまりとした境内にそこそこの初詣客。ここでは神前で頭を垂れていても後ろから押されることもなくしばし神さまを独り占め。昨年一年を恙無く過せたことに感謝するとともに、お金は無くとも今年一年を健やかに過せますようにと祈念。この御穂神社ですが、見かけに依らず10社ほどの境内摂社を抱えているの。これだけの数の神さまにお願いするのですからさぞかし霊験も灼かよね。拝観料:境内自由 お賽銭:志納

17.三保松原入口BS みほまつばらいりぐち 9:26着 9:27発

ここからは清水駅経由但沼車庫行のバスに乗車しました。途中での出来事でしたが、里帰りされたと覚しき方がちょっと近場へ買い物にでも出るつもりだったのでしょう、子犬を抱きかかえるようにしてバスに乗り込もうとされたのですが、運転手の方が空かさず、「犬を連れての乗車はダメですよ。乗るんでしたらハウスか何かに入れて乗車して下さい」とピシャリ。能天気な旅人に優しく接して下さった静鉄バスの方々でしたが、守るべきものは守らせるという真摯な対応に感心させられました。運賃:¥320 所要時間:20分

18.静鉄・新清水駅 しんしみず 9:47着 10:00発

実は09:54発の電車に乗車するハズが、券売機の前でグズグスしていたので乗りそびれてしまいました。とうのも、昨日買い求めたカードの残金が少なく、きょうの日本平めぐりと明日の市内散策の分として¥3,000のカードを3人分買い求めようとして券売機に紙幣を投入し、纏め買いの釦を探していたのですが見つからず、ああでもない、こうでもないと揉めていたの。そうこうしている内に駅員の方が来られたので訊ねてみたのですが、どうもことばが足りなかったみたい。云われるままに釦を押すと一枚のカードが出て来たのですが、今度はそのカードを入れろ−と云われ、あれえ〜何か勘違いしてるう〜。結局、カードが券売機に吸い込まれたままになり、仕方なく新清水駅までの切符を3枚購入。改めて一枚ずつカードを買い求めたのですが、結局、纏め買いは出来ないとのことでした。カードで改札出来るのですから、わざわざ切符を買い求める必要も無いのですが、意思の伝達というのは難しいわね。乗車券:¥290 所要時間:20分

19.静鉄・新静岡駅 しんしずおかえき 10:20着 10:31発

予定では日本平行きのバスに余裕で乗車できるハズでしたが、新清水駅でのロスが祟り、バス乗場に向かう途中で無情にもエンジン音を響かせながら走り去って行きました。あ〜ん、どうしよう、次のバスは確か一時間も後だし〜と茫然自失。何か方法はないかしら−と思い出したのが久能山下行きのバス。時刻表に10:36発のバスを見つけて乗車しましたが、元旦早々バスに乗り遅れてしまうなんて。今年は何かにつけて取り残されてしまいそうな予感。運賃:¥470 約40分所要

20.久能山下BT くのうざんした 11:16着

鳥居 バスの終点は東照宮の鳥居からは少し離れた位置にあるのですが、鳥居に向かう沿道にはこの季節、イチゴを売る土産物屋さんが数多く店開きして、競い合うように初詣客を呼び込んでいたの。いちご海岸通りとも呼ばれるこの道は、イチゴ狩りのシーズンには大変な渋滞になるそうで、早いハウスでは元旦からイチゴ狩りが楽しめるそうよ。ですが、きょうの目的は東照宮への初詣でしたので、美味しそうなイチゴを横目に鳥居を目指しました。

21.久能山下鳥居 くのうざんしたとりい 11:21着&発

参道 鳥居から東照宮の社殿へは御覧のような石段が続くの。全部で1,159段あるそうですが、石段と云うよりもデコボコ道よ。最初は石段の数を数えながら登ったのですが、ただの石ころ(笑)が転がるだけのところもあり、途中で挫折してしまったの。石段は多くの参拝客に踏みならされて、いつしかその姿を変えてしまったみたいね。ここでは間違っても踵の高いヒールなどを履いて来たりしてはいけないわ。踵が傷だらけになるのはまだしも、折れちゃったりして。

カマボコ型をしたビニールハウスが海岸線に沿うようにして遙か向こうまで続き、視線を転ずると雄大な駿河湾が眼前に広がるの。他の参拝者の方々もこの景観を前に小休止されていらっしゃいました。But 日本平からロープウエイで東照宮に参拝される方は残念ながらこの景観を眼にすることは出来ないの。労を厭わずに、久能山下から石段を登って来られた方だけが貰える御褒美−と云ったところね。

勘介井戸 石段を登りきると展望広場があり、旧宝物館の傍らには勘介井戸があるの。武田信玄の山城築城時に軍師の山本勘介が掘った井戸で、¥100を投入すると照明が灯り、中の様子が分かるように仕掛けられているのですが、実際に点灯するまではホントに点くの?壊れてるんじゃないの?と疑いたくなるほど錆が出ていたりするコインの投入口なの。貴重な文化財云々の但し書きがありますが、価値の分からないξ^_^ξには単なる穴蔵(笑)にしか見えませんでした。

重要文化財に指定される楼門には、後水尾天皇御宸筆の「東照大権現」の扁額が掲げられているの。ここでちょっと歴史のお勉強を。久能山は奈良時代は推古天皇治世の頃に久能忠仁なる人物が開山し、補陀落山久能寺を建立したの。一時は僧坊も300坊を越える大伽藍を有する大寺となったものの、山麓側失火により類焼。後に、武田信玄が駿河進攻の際に寺を強制移住(現在の鉄舟寺)させ、山城を築いたの。拝観料:¥350 博物館とのセット券:¥650

山本勘介は武田信玄の知恵袋。軍師にとり、飲料水の確保は最重要事項で、勘介井戸はその時に掘られたものなの。武田氏の滅亡に伴い、徳川家の直轄領になり、やがてその家康も、身罷りし後は柩を久能山に納めて神に祀り<中略>一周忌の後は日光山に堂宇を建て我が霊を招くべし 死して関東の鎮守とならん−と遺言し死去。家康の墓所として二代将軍・徳川秀忠に依り、総漆塗りの極彩色を施した華麗な権現造りの社殿が造営されたの。所謂生前予約葬ですが、時の権力者だけに遠大な葬儀内容ですよね。それにしても死して関東の鎮守とならんとは。権謀術数の限りを尽くして統一を成し得た家康と雖も後世には大いに不安を抱えていたのでしょうね。

さすがは元旦ですね。初詣をする老若男女が次から次へと押し寄せ、優美な伽藍を撮ろうとしたのですが諦めました。この唐門をくぐり抜けると拝殿なのですが、朝の通勤電車並みの混雑で。参拝もせずに人を掻き分けるようにしてそのまま神廟に向かいました。唐門手前右側には極彩色の装飾が施された鼓楼、左手には家康公お手植えと云われる樹齢370年余の実割梅がありました。そして、何気なく立てられた五重塔跡の石標。五重塔が建つ嘗ての東照宮はさぞ荘厳華麗な社殿でしたでしょうね。

天下を平定した家康も75歳で死去。みまかりし後は柩を久能山に納めて神に祀り−の遺言に依り、この地に葬られますが、左掲がその神廟なの。死して関東の鎮守とならん−と神廟は西を向いて建てられているの。神廟の裏手右側には家康愛馬の墓もあり、敵勢が西から攻めて来た時には再び愛馬に股がり陣頭指揮を執る積もりだったのかしら。大政奉還の際には久能山が鳴動したとの話しも聞きませんが、時代の移り行く様をどんな思いで見ていたのでしょうね。

傍らには「金のなる木」があり、参詣客の方は神廟そっちのけで参拝されていました。見れば幹が三方に枝分かれしていますが、久能山東照宮 によると、よろづ程のよ木・じひふか木・しゃうぢ木からなり 万事宜しく 慈悲深く 正直であることを旨とすべし さすれば富と名声を得ることが出来る−と伝えるの。縁起など知らない誰かさんは、幹に小銭を嵌み込むことが出来ればお金持ちになれると信じて力任せに小銭を。成功すると満顔の笑みを浮かべていましたが、その後も我が家の収支は一向に改善する兆しがないの。参拝を終えて拝観入口まで戻ったところで博物館の見学をしてみました。館内には刀剣甲冑などの武具や古文書に始まり、家康愛用の手廻品などが展示されているの。難解な筆致の古文書には(ーー;)ですが、スペイン製の枕時計や、現存するものでは日本最古の鉛筆なども展示されているの。家康直筆の書画も展示されていますが、一級の武将であると共に教養人でもあったようね。東照宮参拝パンフに引用されていた、人はただ身の程を知れ 草の葉の露も 重きは落つるものかな−のことばには、天下人の家康なればこその重みがあるわね。

22.ロープウェイ東照宮駅 とうしょうぐうえき 12:56着 13:00発

博物館の見学を終えて社務所近くのロープウェイ乗場から日本平へと向かいました。御覧のように遠目には綺麗な車体なのですが、窓はアクリル製ですので傷だらけなの。カメラ任せでは傷にピントが合ってしまい、マニュアルに切り替えなくてはならない位なの。鉄塔の先が東照宮駅、その先には駿河湾が広がるのですが、写真では分かりませんね。詳しい情報は 日本平ロープウェイ を御参照下さいね。乗車券:¥1,000(往復) 所要時間:約5分

日本平に近付いた頃に土が剥き出しの崖が見えて来るの。ガイドさんの説明に依ると、嘗てお土産物さんがあったのですが、集中豪雨で床下を抉るようにして崩れてしまったそうで、その跡が見えると云ってましたが、痕跡を探す内に廻りの木々に遮られてしまいました。どうでも良いことなのですが、見たくとも見えなかった悔しさ。皆さんは注意して見ていて下さいね。東照宮駅から乗車すると右側になります。日本平側からですと左側。当たり前ですね。でも日本平側から乗車した際には説明がなかったような気もするの。日本平側からの乗車ですと振り返る形でないと見えませんし、これから向かう東照宮側に広がる駿河湾の景観に心を奪われているでしょうから無理かも知れないわ。往復乗車券を買い求めてお帰りの際にでも御覧下さいね。

23.ロープウェイ日本平駅 にほんだいらえき 13:05着

いざ到着してみると、東照宮へ向かう初詣客がロープウエイの乗車を待って長蛇の列だったの。帰路は再びロープウェイで東照宮に抜けて久能山下からバスに乗車する予定でしたが、そのバスが日に4本だけと云う代物で。折角、日本平に来たものの、このまま長蛇の列に続かないと間に合わなくなってしまうかしら?と焦りました。乗換の便を考えて清水行バスへの乗車を考えていたのですが、ダメならダメでその時は静岡行のバスに乗車して清水へ向かうよう変更すればいいし、清水行なら本数も多いので何とかなるわよね、きっと−と、極めて能天気な判断。決めてしまえば何のことはなし、お腹も空いたので日本平パークセンター内のレストラン葵で遅めの昼食を。

24.日本平山頂 にほんだいらさんちょう

食事を終えて建物を出てみれば相変わらず長蛇の列が延々と続き、駐車場には大型の観光バスが何台も停まっていたの。久能山参拝は日本平が表玄関になっているようですが、ξ^_^ξ達は石段に喘ぎながら正規の表参道を登って来た訳で、その分御利益も多いものと思いたいものですね。頂上には展望広場が設けられ、清水市内も一望の許に、駿河湾が眼前に広がるの。日本平の名称は日本武尊が東征の折りにこの地より四方を眺めたことに由来すると伝えるの。晴れた日には清水港や三保の松原を眼下に富士山の雄大な景観も楽しめますよ。

左掲は広場の一角に見つけた赤い靴母子像なの。♪赤いくつ〜は〜いてた〜女のこ〜♪と歌われた、あの赤い靴の女の子の像がどうしてこんな所にあるのかしら?横浜の山下公園にある像は知っていましたが、無知なξ^_^ξは♪異人さんにつれられてい〜ちゃったあ〜と歌の文句にあることから、横浜を舞台にした想像の物語と思っていたの。不思議に思い、少し調べてみましたが、記述には若干の違いがあるものの、概ね次のような展開になっているみたいね。

野口雨情が詩に詠む赤い靴の女の子は「岩崎きみ」と云う実在の少女なの。彼女は、ここ日本平の麓の清水市宮加三(旧不二見村)に生まれるのですが、母親・かよさんは未婚の母だったの。父親とされる佐野安吉はどうも胡散臭い人物だったようで、泥棒稼業をしていたとの記述もあり、入籍以前に刑務所送りとなっているの。かよさんの両親も既に他界し、身を寄せるところも無く、未婚の母という境遇に周囲の視線は厳しく、逃げ出すようにして北海道函館市に移り住むの。

幼いきみちゃんを連れて土産物店で働くかよさんでしたが、やがて札幌に駐在していたアメリカ人宣教師のヒュイット夫妻の目に留まり、養子の話しが持ち上がるの。この頃、かよさんの前には、後に夫となる鈴木志郎氏が現れ、従うようにして当時国策として奨励されていた農場開拓団の一員として入植を図るの。しかし、厳しい自然環境の中で食べるものさえ乏しい生活に、大いに不安を感じたかよさんは、鈴木氏との入籍という背景もあったのでしょうね、きみちゃんを養女に出す意志を固めるの。

その頃、実父・佐野安吉とも接触があり、きみちゃんは一度この安吉の手を経ているの。その際に安吉はきみちゃんを養子縁組したようですが、心入れ替えて実父として振る舞えば良いものを、再びヒュイット夫妻の許に養女に出してしまうの。夫妻の許で幸せに暮らすきみちゃんを望みながら、かよさんは鈴木氏と共に開拓団の一員となり、現在の北海道留寿都村に入植するの。

我が娘を養子に出してしまった己が身を責めるかのように、かよさんは厳しい自然環境の中でも必死に耐えたようですが、二人の懸命な働きにも関わらず、開墾は思うように進まず、故郷の弟・辰蔵を呼び寄せたのも束の間で、その弟も過労から病に伏せて帰らぬ人になってしまうの。更に追い打ちをかけるように住んでいた家も焼け、這這の体で札幌に戻るの。そうして、鈴木氏は当時新聞社に社会部記者として勤めていた野口雨情から開墾体験談の取材を受けることになるの。愛娘を手放してまでして臨んだ開拓が失敗したことを聞き及んだ野口雨情は、同情して鈴木氏に新聞社での仕事を紹介しているの。

その時の話しを元に。野口雨情が詩にしたためたのがこの「赤い靴」なの。けれど♪異人さんにつれられてい〜ちゃった〜と詠われるきみちゃんですが、本当はアメリカには行っていないの。宣教師夫妻に引き取られて暮らしていたのですが、その内、夫妻に本国から帰国命令が下るの。夫妻は帰国の準備を整えて横浜に向かうのですが、そこできみちゃんの突然の吐血。医師の下した診断結果は結核で、それもかなりの重症だったの。病魔に冒された幼いきみちゃんを長い船旅に連れ出す訳にも行かず、思案の末に宣教師夫妻は今の東京・麻布十番にあった教会運営の孤児院に預け、帰国の途に就いてしまうの。

今でこそ抗生物質があり、結核も不治の病ではなくなりましたが、当時の医療水準では治癒することも能わず、結核菌は幼い身体を着実に蝕んだようで、きみちゃんは僅かに9歳という短い生涯を閉じてしまうの。そのきみちゃんですが、今は東京・六本木にある鳥居坂教会の共同墓地に眠りますが、墓誌銘には母方の岩崎でも、養子先のヒュイットでもなく、実父の姓である「佐野きみ」となっているの。事情を知らぬ母親・かよさんは異国の地で幸せに暮らす娘を終生信じたまま他界してしまうの。

この像は昭和61年(1986)に、再会することもなく離れ離れになってしまった母子を生まれ故郷の清水で再会させてあげようという清水市民の方々を始め、全国から寄せられた篤志を元に建立されたものなの。母親のかよさんに向けるきみちゃんの熱い視線には思わず目頭が熱くなってしまうの。因みに、「赤い靴」の赤は当時は幸福を呼ぶ色とされていたの。

25.ロープウェイ日本平駅 にほんだいらえき

山頂から戻り、長蛇の列に続きましたが、乗客を誘導する係員の方に訊ねてみても「さあ、どうなんですかねえ。一時間待ちか、それ以上じゃないですかねえ」とつれない返事。ひょっとしたら間に合うかも知れないという淡い期待感も吹き飛んでしまいました。けれど麓の久能山下から路線バスに乗車する旨を告げると事務所からわざわざバスの時刻表をコピーして来てくれました。連れの2人と喋りながら待ちましたが、行列の先頭が見えたのがバスの発車時刻の40分程前。ロープウエイも引っ切りなしの往復運転をしていましたので、乗車待ちにあと15分、東照宮駅までの乗車時間が5分。それなら急ぎ足で麓まで降りればひょっとすると間に合うかも知れないからと連れの2人をけしかけて。けれどいざ乗車しようとして前に進むと目の前で「は〜い、定員になりましたので次の発車をお待ち下さ〜い」と係員の方に改札を締められてしまいました(笑)。

26.ロープウェイ東照宮駅 とうしょうぐうえき

すみません、焦っていましたので発車時刻も到着時間も控えませんでした。社務所の辺りで確認した時には時計の針は3時ちょうど位だったかしら。乗車予定のバスの発車時刻は15:16。乗車位置が鳥居からは離れているので麓の鳥居までは10分程度で降りなければと半ば駆け足状態。前を降りて行く人達は一体何事?と思われたみたい。周囲の景色を眺める余裕なんてあるはずも無く、ただ石段を踏み外さぬようにと足許だけを見つめて下山しました。鳥居に辿り着きバス停に向かう道すがら、お店の方の「お客さ〜ん、美味しいイチゴがあるから寄ってってよお〜」の掛け声。んもお〜、それどころじゃないんだから(笑)。

27.久能山下BT くのうざんした 15:16発

走り込むようにしてバス停に辿り着いたちょうどその時に一台のバスが走り出すのが目に留まり、思わず駆け出していました。行先が見えず、当然清水駅行のバスだと思っていたのですが、停車したバスの運転手さんに「これ、清水駅行ですよね。3人乗せて下さ〜い!」と云うと「これは違うよ、清水行はこの後に来るバスだよ」と云われて拍子抜け。静岡行のバスを清水行と勘違いしてしまい、スミマセンと平謝りしましたが、嫌な顔もせずに応対して下さった静岡行のバスの運転手さんでした。何でそんなに焦ってるの?と御読み頂いている方は思われるかもしれませんが、乗車しようとするバスは15:16発を逃してしまうと次は何と18:36まで無いの。乗車予定のバスがやって来たときにはもう嬉しくて。運賃:¥430 所要時間:約25分  注)清水行=市立病院経由・山原行

到着した清水駅行のバスに乗り込んだのは他には数組のグループだけでしたが、ホームステイをする方を初詣にエスコートしたと覚しき方が運転手の方に何やら訊ねていました。聞くとはなしに耳にしたのですが、ξ^_^ξ達とは逆に静岡駅行きのバスに乗車しようとして乗り遅れてしまったみたい。「発車しま〜す」の掛け声と共にバスは走り出したのですが、海岸辺りを走る際にはちょっとした観光案内も聞けて。カーブを曲がる際に先程の女性の方の手荷物が網棚から落ちてきたのですが、「おっと〜ごめんよ〜」とマイク越しの声。そんなにスピード出していた訳でもありませんが、落ちて来ないようにして下さいと云われることはあっても、詫びを入れられた経験はありませんでしたので再び感心してしまいました。

途中、信号待ちの際に先程の方が運転手の方に何かを聞かれていたのですが、「さっきから考えてるんだけど、もうちょっと先の○×△□で乗り換えるといいかも知れないねぇ。そのバス停が来たら呼んであげるから、もうちょっと待ってて」と。マイクがオンになっているので、車内には運転手さんの会話が筒抜けで。どうやらどこかで静岡行のバスに乗り換えるつもりのようなの。やがてそのバス停が近付き、お二人は下車していかれましたが、降車の際には「静岡駅に行くバスはこの停留所には留まらないから、左っかわに見える道を行ってみて。バス停が直ぐ見えるからそこで待っててね」とアドバイス。旅人にトコトン優しい静鉄バスの運転手さんでした。

28.新清水駅BS しんしみず 15:41着 15:52発

きょうの宿泊先も羽衣ホテルでしたのでバスを乗り継ぎ、三保松原へ向かいました。乗車したバスの行先は三保ランドとなっていましたが、以前は三保文化ランドという名の施設があったの。残念ながら既に閉鎖されているのですが、栃木県日光市にある東武ワールドスクエアのようなミニチュア・テーマパークだったの。訪れる方は左程多くはなかったのでしょうね。現在でもバスの行先名称として利用されていますが、運行ダイヤの方は今でも約10分間隔と多発しているの。乗車券:¥320 所要時間:約20分

29.三保松原入口BS みほまつばらいりぐち 16:12着

30.御穂神社 みほじんじゃ

ホテルに向かう道すがら、再び御穂神社に参詣しました。社務所で参拝記念グッズが売られていましたが、中でも「羽衣のお守り」がお薦めよ。但し、こちらのお守りは女の子専用なの。境内に千切れた紙四手(かみしで)を見つけて御利益あるかしらと記念に持ち帰りましたが、良く見れば誰かに踏みつけられたようで、そこには足跡がうっすらと残り、神を恐れぬ所業。持ち帰って来てしまったξ^_^ξはもっと不謹慎だったかしら。

31.羽衣ホテル はごろもほてる

宿に到着した頃にはすっかり陽も暮れて早速一風呂浴びに。けれどこの宿の内湯はちょっと寒くて。熱がこもらないようにと天井が吹き抜けになっているの。夏場なら良いのですが、冬場は寒すぎて換気を止める方法は無いのかしらと見渡してみたのですが、それらしきものもなにの。身体を洗っていると他の宿泊客の方が入って来られたのですが、寒さのせいでしょうか、先に身体を流してから湯船に向かう方など誰も無く、皆さんいきなり湯船にドボン。折角身体を洗ったのに又汚いところにわざわざ入るようで。あまり神経質なことを云うつもりは無いのですが、せめてかぶり湯くらいはしてから入浴して欲しいな。

同ホテルのオリジナル「羽衣」を前にしてささやかな酒宴を。出されたお造りを見ると夏蜜柑を床にして盛られていたのですが、酸っぱい蜜柑が好きなξ^_^ξは中身を刳り貫いて食べてしまいました。仲居さんが器を下げに来た際に詫びたのですが、以下はその時の会話よ。

いいんですよお、お好きでしたら構いませんよ。そうですか、そんなにお好きなんですか。え〜と、お発ちになるのは明後日ですよね。でしたら明日忘れなかったら持って来てあげますよ。実は娘が蜜柑をいっぱい送って来たんですけどねえ、酸っぱくて誰も手を出さないもんだからどうしようかと思ってたんですよ。夏蜜柑の木も庭にあっていっぱいなるんですけどこっちも手入れなんかしないもんで酸っぱくて誰も見向きもしないんですよ。良かったら持って来ますのでお持ちになって下さい。

お客さん、お車でいらっしゃいました?あ、そうですか。車でしたら多少多くても荷物にならないんですけどねえ。えっ、一人一袋ずつ持ち帰るんですか、アハハ。じゃ持って来てみますね。云っておきますけど見た目はホント、良くありませんから。気に入らないようでしたらその辺にでも置いていって下さい。あっ、忘れたらその時はゴメンナサイね。なにしろそそっかしいもんで。

気さくな仲居さんの御好意に素直に甘えました。翌日重そうな袋を下げた仲居さんが現れた時には嬉しくて。旅から帰り、早速頂戴してみたのですが、スーパーで買ってくるものより数段味が濃くて、酸味の利いた野性的な味なの。試食していた連れも、酸っぱいけど味が濃くて美味しいね。今度行ったらお金出してもいいからもっといっぱい貰って来ようよ(笑)。

三日目:三保半島めぐり

三保の松原は、その昔、天女が舞い降りたという景勝地なの。三保に来たならやはり「羽衣の松」を観ずしては帰れませんよね。晴れわたった一日、三保半島めぐりをしてみました。補:一部の画像は拡大表示が可能よ。見分け方はカ〜ンタン。

32.羽衣ホテル 09:00発 はごろもほてる 9:00発

三保の松原と云えば有名な羽衣伝説。エッ、そんなの知らないって?
しょうがないわねえ(笑)。そんなあなたに三保の松原の羽衣伝説を昔話風にアレンジしてお届け。

むか〜し昔のお話しじゃあ。三保の村に伯梁(はくりょう)という漁師がおってのお、その日も釣竿を肩に浜辺を歩いておったそうじゃ。するとどこからともなく甘〜い香りが風にのって漂ようて来たそうじゃ。今まで嗅いだこともない芳香に手繰り寄せられるかのように松林にやって来た伯梁じゃったが、ふと見上げた松の木の枝には何やら布のようなものが春の陽射しを浴びてキラキラと輝いておったそうじゃ。気になった伯梁が更に近付いて見るとそれはそれは見事な衣じゃった。手に取ってみると絹よりも軽く柔らかな肌触りじゃった。そんな衣を見たことも触れたこともない伯梁はすっかり喜んでしまってのお。釣りのことなぞ忘れて早速村の皆に自慢してやろうと、衣を抱えて歩き出したその時じゃった。木陰からか細い声が聞こえて来たそうじゃ。

もし、そこのお方、その衣をお返し下さいませ。
その衣は私のものにございます。

驚いた伯梁が振り返るとそこには美しい女人が立っておったそうじゃ。

私は天界に住むものですがその衣が無いと天に帰ることがかないませぬ。
それなるは羽衣といい、そなたには無用のもの。どうかお返し下さいませ。

何と!この衣は羽衣と云われるか、ならば余計お返しする訳にはいきませぬ。
持ち帰り、我が家の家宝と致しましょう。

そう云って歩き出そうとする伯梁じゃったが

天を舞う内にこの辺りの美しい景色が目に入ってまいりました。
美しさに誘われてつい降りたってしまったのです。
ここが人間界であることも忘れてその衣を松の枝に掛けて沐浴しておりました。
その羽衣は何よりも大事なもの、それ無くして私は天に帰ることが出来ませぬ。
どうかその羽衣をお返し下さいませ。

そう云うと天女はその場に泣き崩れてしまったそうじゃ。肩を揺らしながら哀れみを請うて伯梁を見つめる天女じゃったが、それにはさすがの伯梁も可哀想になってのお。

ならばこの羽衣はそなたにお返しすることに致しましょう。
その前にひと目、天界で舞うという天人の舞を見せては下さらぬか。

羽衣をお返し下さるのでしたら喜んで舞って見せましょう。
けれどもその羽衣がないと舞うこともかないませぬ。
どうか、その羽衣を先に私にお返し下さいませ。

そう云われて羽衣を差し出そうとしたのじゃが、ふと、羽衣を返した途端に天に逃げられてしまうのでは?
そう考えた伯梁がそのことを天女に告げたのじゃが

嘘偽りを申すは人間界のこと。私は天界に住む者、何ゆえにそのような嘘偽りをそなたに申せましょうや。

そのことばにすっかり恥じ入った伯梁は抱えていた羽衣をそっと差し出したのじゃが、天女が羽衣に袖を通した途端、天女の身体はすう〜っと地を離れてのお、その内どこからともなく笛や笙の音が聞こえて来たそうじゃ。天女の纏う羽衣が風にのって翻り、キラキラと輝いておってのお、楽に合わせての優美な舞に伯梁は夢心地じゃった。そうしてしばらく舞っておったのじゃが、その内天女の姿が少しずつ富士の方へと遠ざかっていってのお、やがて春の霞みたなびく空の彼方へと消えていったそうじゃ。辺りには甘〜い残り香だけが漂っておったそうな。

下手な脚色でごめんなさいね。ここでは室町時代の能作者である世阿彌元清による謡曲・羽衣に倣い、伯梁を善人として物語を展開してみましたが、異説には羽衣を隠して天に帰れなくなった天女を娶り、子供をもうけた話しもあるの。しばらくは幸せに暮らす天女でしたが天界を忘れられず、やがて吾が子を人間界に残して天上界へ帰って行くの。けれど吾が子恋しさに時折人間界に降りて来るの。あなたがもし伯梁ならどうします?素直に羽衣を返しますか?それとも隠しちゃう?えっ、そういうお前はどうすんのって?決まってるでしょ、一緒に天上界に連れてって貰い、月宮殿で仲良く暮らすの(笑)。

漁師の「はくりょう」も、伯梁を初め、伯良、伯龍、伯了、白龍など、表記も多岐に亘るの。
独断と偏見に基き、ここでは伯梁とさせて頂きました。

33.伯梁像 はくりょうぞう

羽衣ホテルの目の前から「羽衣の松」に向かう坂道が続きますが、その入口に立つ伯梁像はゲイジュツを理解出来ないξ^_^ξにはいささか不釣り合いなイメージに映るの。傍らの案内板には「天女に会える、そんな気がする‥‥‥」とありますが、古の浪漫に浸りながら散策を始めたところで、いきなり現代に引き戻されてしまいました。作者の方には申し訳ありませんが、シテがまさに舞う能舞台の中央に、突然現れ出でた現代美術といったところかしら。

34.エレーヌの碑 えれーぬのひ

緩やかな坂道を登りきると土産物店が並びますが、その傍らにあるのが「エレーヌの碑」なの。彼女は1916年にフランスに生まれ、父親が現代舞踊の母と呼ばれるイサドラ・ダンカンの掛り付けの医者だった縁もあり、バレリーナとして育つの。やがて彼女は後に夫となるマルセル・ジュグラリス氏と出逢い、日本の伝統芸能の能を紹介されるの。能に心酔した彼女は謡曲羽衣をモチーフとしたバレエ上演に情熱を注ぎ、やがて大成功を収めるの。けれども彼女の身体は白血病に冒され、上演中に能装束を纏ったまま突然舞台に倒れてしまうの。その2年後に夫・ジュグラリス氏に憧れの地・三保の松原への訪問を託して彼女は35歳の若さで世を去ってしまうの。羽衣に傾倒した二人ですが、意外にも実際の羽衣の舞台を見た訳でもなく、物語の舞台であるこの地を訪ねたことも無かったの。意志を継いだ夫・ジュグラリス氏は彼女の遺髪と共にこの地を訪れますが、やがてその話しを聞いた地元の方々を初めとして記念碑建立がなされたの。碑には彼女の遺髪と爪が収められ、毎年10月に行われる羽衣まつりでは特設の能舞台で薪能が演じられるの。

35.羽衣の松 はごろものまつ

天女が舞い降りて羽衣を掛けたという「羽衣の松」の樹齢は何と650年。高さ12m、幹周り3m余という大木ですが、さすがに樹勢も衰えてきているようで、支柱が組まれていました。今ある老松も二代目で、傍らには三代目となる幼木が養生されていました。天女が舞い降りた当時の景観は知る由もありませんが、この幼木が生長した時にはどんな景観になっているのでしょうね。傍らには小さな羽車神社が鎮座していますのでお参り下さいね。天女と伯梁の出逢いにあやかってあなたも素敵な出逢いが出来るかも。そうそう、前の頁にも書きましたがこの「羽衣の松」は御穂神社の御神体でもあり、その御穂神社は縁結びの神さまとしても霊験灼か。併せて御参拝下さいね。

36.三保の松原 みほのまつばら

三保半島の先端・真崎までの海岸沿いに総延長7Kmにわたる松林が続き、その中をめぐる遊歩道や、松林に沿って走るサイクリング道路が整備されているの。左掲はその松林から垣間見た駿河湾の景観よ。最初は松林の中を歩いていたのですが、潮騒に誘われて波打ち際を歩きました。

富士山を遠くに望みながら歩くと御覧のような景観が広がりますが、砂浜には四駆が走り回った轍跡。オマケに波打ち際のあちらこちらに積み上げられたテトラポット。近付いて見れば護岸工事のために運び込まれた土砂で砂浜は消えているの。護岸工事の一方で、砂浜を土砂で埋めてしまうという暴挙。どうも御上のやることは理解出来ませんね。美しさにつられて天女が舞い降りたという景観は、遠い昔話だけの世界になってしまったみたい。

左端は三保灯台ですが、「羽衣の松」から歩くとちょうどこの辺りが中間点になるの。路も折れ曲がりますので、富士山を望む方角も変わるの。側には三保飛行場の滑走路がありますが、さすがにお正月、どの機も駐機場で翼を休めていました。右手に富士を仰ぎ見ながら潮風を浴びての散策は気持ちの良いものね。飛行場の先からは遊歩道が真崎灯台まで続いていたの。右はその途中で松の木越しに富士山を眺めたところよ。

そして三保半島先端に建つ真崎灯台。大きな灯台を想像していたのですが、御覧のように小さな灯台よ。傍らには気象庁の津波観測施設がありましたが、故意に傷つけると罰せられることがあります−との警告表示があり、頑丈な金網に護られて鉄の塊がありました。設置される場所が波打際ではなく歩道寄りにあり、その使命を果たす時はかなりの水位の変化がある時でしょうね。長閑な景観を見せる三保ですが、東海沖地震の影響をもろに受ける土地であることを思い起こさせるの。そう云えば、富士山も死火山ではなくて休火山でしたね。

灯台で折り返すと堰堤が続く砂浜がありますが、景観も変わり、対岸には工場群。松林の中に東海大学社会教育センターの建物を見つけて堰堤を降りました。実はお手洗いを探していて、「羽衣の松」から歩くこと2時間強。途中、それらしき施設も見当たらずに我慢していたの。と云うことで、センターに横道から入り、真先に向かった先がお手洗い(笑)。この頁を御読みになり、わたしも歩いてみようかしら?と思われた方は、「羽衣の松」入口にある駐車場で、最初にトイレ休憩してからお歩き下さいね。前掲の羽衣村のサイトでは鎌ケ崎にトイレ完備と記載がありましたが見つけられませんでした。また、汗を掻くような暑い季節でしたら、途中には自販機の類も見掛けませんでしたので、ペットボトルの御用意をお奨めしますね。お約束ですが、飲み終えた容器はその辺に捨てたりしないようにして下さいね。

37.東海大学社会教育センター とうかいだいがくしゃかいきょういくせんたー 11:36着

正面玄関に大きな門松が据えられているのが見えたので、お正月にはやはり門松の間を通り入場すべきよね−と、改めて正面玄関から再入場。先ずは御覧の東海大学丸が迎えてくれますが、残念ながら船上には登れないの。脇には巨大なスクリューが展示されていますが、記念写真を撮る際にアングルを変えるとミッキーマウスの耳に見えたりしますので、小さなお子様連れの方はお試し下さいね。でも、ちょっと大きすぎるかしら?この 東海大学社会教育センター ですが、以前は三保文化ランドと人体科学博物館を含めた4施設がありましたが、今では自然史博物館と海洋科学博物館の2施設になってしまったの。

大きな工作機械ロボットが数基雨曝しの状態で屋外展示されていますが、幾れも海底作業の工作機械。その前にはなぜか人魚姫像が建てられていますが、有名なアンデルセン童話の人魚姫を模したもので、1971年にコペンハーゲン市長より贈られたものだそうよ。どのような縁でここに建てられているのかはξ^_^ξには分かりませんが、水泡となり、海に帰っていった人魚姫はどんな思いでこの工作機械を見つめているのかしら。

38.自然史博物館 しぜんしはくぶつかん 11:54着 12:35発

恐竜骨格 自然史博物館は岩石標本を元に地球の生い立ちを説明したものや、恐竜の誕生から絶滅までを化石標本を使い展示しているの。中でも常設展示される恐竜の骨格標本は日本最大級の規模を誇り、いつでも恐竜の雄姿に出会えるの。中には恐竜の子育ての再現展示などもあり、恐ろしい形相をした恐竜もやはり吾が子には優しかったみたいね。ここではそんな恐竜の意外な側面を窺い知ることも出来ますよ。入館料:¥1,000 海洋科学博物館との共通券:¥1,800

39.昼食 於:サンビーチ さんびーち 12:36着 13:39発

自然史博物館の見学を終えたところでお腹も空いて昼食タイム。センター入口の道路を挟み、反対側にあるサンビーチで昼食をとりましたが、軽食から地ものを使った刺身定食まで和洋を問わず何でもござれなの。グループで行動していると何を食べるかで仲々意思の統一が図れない場合も多いのですが、ここではそんな心配は御無用なの。入店したらあとは銘々勝手に好きな物を頼んで下さいね。メニューを見て余計悩んでしまうかしら。お刺身定食:¥1,700 コーヒー:¥350

食べ終えてふと窓から外を見ると、何やら駐車場に小さな蒸気機関車が煙をあげていました。レールも敷かれて、廻りでは子供達が数人輪になり乗車を待っていましたが、どうも肝心の機関車が不調のよう。大人2人が機関車を相手に格闘していましたが、暇に任せてことの成り行きを眺めていました。見始めた以上結末が気になり、悪戦苦闘が続いたお蔭でコーヒーを2杯も飲んでしまいました(笑)。結局、蒸気機関車は直らず、代わりにディーゼル機関車の登場と相成りましたが、無事に成り行きを見届けてから席を立ちました。

40.海洋科学博物館 かいようかがくはくぶつかん 13:40着 15:30発

海洋科学博物館には350種、その数20,000匹という魚たちが泳ぐの。最大の目玉は縦横10m深さ6mという海洋水槽ですが、各地で巨大水槽が誕生した今では左程の驚きはありませんが、それでも40種2,000匹が泳いでいるの。普通は横から仰ぎ見るだけの大水槽が多いのですが、ここでは水槽の真下にも通路があり、底から仰ぎ見ることが出来るの。泳ぎ廻る魚を真下から眺める、ちょっと不思議な世界。ヒラメかカレイにでもなった積もりで御覧下さいね。入館料:¥1,500 自然史博物館との共通券:¥1,800

館内の一角にはリュウグウノツカイの標本が展示されていました。全長5.2mの雌と4.9mの雄で1989年に定置網に掛かったところを捕らえられたもので、大きさは最大級。標本ではすっかり退色していますが、元々は薄紫掛かった銀白色、背鰭と腹鰭は鮮やかな緋色をしているとのこと。天女の羽衣伝説に始まり、真崎海岸の沖合いには龍神が住むという云い伝えもある駿河湾。リュウグウノツカイが緋色の背鰭を揺らして泳ぐその様は、羽衣を纏い、優雅に舞う天女のようなのでしょうね。来館時には是非、御覧になってみて下さいね。

メカニマル

博物館では魚達が泳ぐ巨大水槽の他にも、体験型学習施設として色々な展示物を通して海の不思議を知ることが出来るようにと、多くの展示物が実際に動かしてみたり、触れてみたりすることが出来るの。左掲は海に住む生物の動きを模して作られたメカニマルの一つですが、機械水族館のコーナーには他にも多数が展示されているの。メカ好きのお父さんには面白いコーナーかも知れませんね。お子さんに「どうして前に進むの?」と訊かれ、黙り込んでしまったお母さんもいらっしゃいましたが、子供達を連れて入館するにはちょっと勇気が必要かも知れないわ。

訪ねたのは2003年で未年。干支に因む新春特別展示が企画され、海洋科学博物館では羊顔したシープヘッドという魚や、羊の文字を背負う蟹の展示、自然史博物館では恐竜との記念撮影会の他、羊の角に似たアンモナイト化石の特別展が開催されていました。オマケに5日迄の入場者に限り、先着100名(毎日)にマンモス象が描かれたカレンダーのプレゼント。ξ^_^ξもしっかり頂戴して来ましたが、お正月は何かとお得みたい。そうそう、お得と云えばインターネット特典。同センターのHPには新春特別展示開催期間中の入場割引券(3割引)がありました。来年はどんな特別展が開催されるのか分かりませんが、楽しいイベントとなることでしょうね。新春を祝うにふさわしい三保を訪ねて、当館でちょっとだけお勉強してみては?

41.三保ランドBT みほらんど 15:35着 15:42発

三保グランドホテル福田屋の隣が三保ランド・バスターミナルになっていました。と云っても大きな駐車場になっているだけで停車しているバスも無く、転回操作場といったところね。目の前には嘗ては開園していたという三保文化ランドの跡地が広がるの。緑地公園としてリニューアル・オープンの予定と聞きましたが、広大な敷地にはどんな公園が造られるのかしら。運賃:¥160 所要時間:5分

42.三保松原入口BS みほまつばらいりぐち 15:47着

旅も残すところあと一日。最終日は清水市内の散策をするつもりでしたので羽衣ホテルにもう一泊。バス停からは再び御穂神社を通り向かいましたが、正月の三箇日を毎日参詣しましたので、御利益の程もさぞ。

43.羽衣ホテル はごろもほてる

宿に辿り着き寛いでいると仲居さんがお茶を持って来て下さいましたが、お茶請けに出された和菓子が美味で、連れが売店で買えるかしら?と訊ねてみたのですが、女将さん自らの手になるもので非売品でした。作るのが好きみたいですよ〜と仲居さんも仰っていましたが、3日間とも異なるお茶請けでしたのでそのレパートリーも多岐にわたりますね。前掲の羽衣村のサイトでは文才を発揮され、シンポジウム開催の折りには講演の類もこなされる方らしく、忙しい旅館運営の中での和菓子造りと、殊の外多才な方のようですね。女将さん自らの手になる逸品を聞こし召されたい方は是非、当館を御利用下さいませ(笑)。

4日目:清水市内の寺院めぐり

最終日は今にも雨粒が落ちてきそうな怪しい空模様でしたが、清水市内の寺院めぐりをしてみました。清水と云えば清水エスパルスと共に、真っ先に「清水の次郎長」を思い起こされる方もいらっしゃるかと思うの。勿論、その次郎長一家が眠る、梅蔭寺にも詣でてみました。補:一部の画像は拡大表示が可能よ。見分け方はカ〜ンタン。

44.羽衣ホテル はごろもほてる 9:00発

お土産には宿オリジナルのお酒の「羽衣」を。チェック・アウトを済ませ、女将さんと仲居さんに見送られて宿を後にしました。バス停に向かう途中にある御穂神社の境内は三箇日ですっかり馴染んでしまいましたが、この神社を訪れると不思議と天女に出逢えそうな気がして来るのはξ^_^ξだけかしら。去り難い気持ちを押さえ、羽衣伝説に別れを告げて境内を後にしました。

45.三保の松原入口BS みほのまつばらいりぐち 9:27発

先ずはJR清水駅に向かいました。本当は最初に龍華寺を参詣する積もりでいたのですが、途中、どこで乗り換えるのか分からず、殆どのバスがJR清水駅を起点として運行されていましたので、取り敢えずはJR清水駅まで行ってしまおうと。加えて手荷物を抱えての散策は辛いので、コインロッカーに預けようと、そのコインロッカーを探したのですが、生憎、静鉄の新清水駅には見当たらなかったことからJR側に行けばあるかしら?と期待したのも理由の一つでした。But 実際にあったかどうかは未確認で終えています。ゴメンナサイ。運賃:¥360 所要時間:約25分

46.JR清水駅 しみずえき 9:50着

バスから降りて辺りを見回すと、JR静岡駅のような大きさを想像していたξ^_^ξは小さな駅舎の佇まいに、コインロッカーなんて無いんじゃないのと一抹の不安を覚えたの。ふと、視線の先に見慣れたローソンのマーク。以前、旅先から手荷物を送ったことを思い出し、コインロッカーを探すのを止めて宅配便に切り替えたの。ただ、残念ながらこのお店では梱包用のダンボールが置いて無くて、お店の方が店の奥から空き箱を見つけて来て下さったのですが、後日、自宅に届いた荷物を見た時には唖然としてしまったの。殆ど原型を留めないほどの変形ぶりなの。運んでいる途中で中身が出て来たりしたらどうする積もりだったのかしら(笑)。

手荷物を託して店を出てみるとポツリポツリと雨粒が。すると連れのひとりが、あれえ〜、傘、どうしちゃったのかしら−と。気付かずに荷物と一緒に送っちゃったんじゃないの?訊くと、ううん、バスの中で雨が降って来そうだったから鞄から出したんだもん。バスの中に置いて来ちゃったみたい。そう云われても、乗車して来たバスはとうにどこかへ走り去ってしまったし。この程度の雨なら傘が無くても平気よ、未だ2本残るから大丈夫−と旅を続行することにしたの。

But ガイドブックに記載されていたバスの7番乗場が見当たらないの。と云うか、降車専用のバス停はあるものの、乗車する乗り場自体が見当たらないの。通りから乗るんじゃないの?と連れが云うのを信じてロータリーを後にして通りに向かいました。歩道沿いの建物に、ふと、バス案内所の看板を見つけて、示されるままに進むとバスが数台停まったターミナルが。何だあ、こんな所にあったの。

係員の方に先程乗車したバスに傘を忘れてしまい、忘れ物として届いていないか訊ねてみたのですが、生憎そのような遺失物は無いとのこと。見つかった際には連絡をするので、用紙に必要事項を書くよう云われたのですが、他の乗客に拾われたかも知れず、半ば期待して、半ば諦めて連絡を待つことにしました。

47.清水駅BT しみずえき 10:23発 7番乗場

ここからは梅蔭寺経由忠霊塔前行きのバスに乗車して龍華寺へと向かいました。梅蔭寺経由ですので、次郎長の墓に詣でる方もこのバスの利用となるの。ξ^_^ξ達も参詣予定でしたが、バスで最初に龍華寺まで向かい、梅蔭寺へは歩いて戻る予定でした。でも、ホントはすんなり乗車出来た訳でも無くて、待つ間に走り込んで来たバスをてっきりそれだと思い、乗車してしまったの。ところが、バスターミナルを出ると静鉄の新清水駅方面に向かうハズなのに、いきなり交差点を右折。乗車経験があった訳ではありませんが、さすがに方向が違うと感じて慌てて運転手さんの元へ。訊けば案の定間違えて乗車していたの。普通でしたら「お客さん、何やってんの!」と怒鳴られても仕方ないのですが、「ちゃんと行き先を確認しなくちゃダメだよ」とやんわりと窘められ、オマケに余りバスターミナルから離れては可哀想だからとばかりに、バス停でも無いところに臨時停車して下さいました。でも、これって業務規定違反になるのかしら?助けて頂いたξ^_^ξが云うのはおかしいかも知れませんが、大目に見て頂きたいものね。法をつくり、心通わず−では余りにも寂しい世相になってしまうもの。運賃:¥260 所要時間:約15分

48.龍華寺BS りゅうげじばすてい 10:39着

バス停を降りる乗客は他には誰もなく正月早々、それも時折雨粒がぱらつく空模様の下での観光客など希有の存在のようですね。龍華寺はバス停からは目と鼻の先よ。T字路の交差点があり、信号にも龍華寺の表示がありますのでこれなら道に迷うこともありませんね。

49.龍華寺 りゅうげじ 10:40着 11:28発

観富山龍華寺は日本平に続く有度山の麓にある日蓮宗の古刹。左掲はその山門ですが、東海屈指の景観を有する庭園で有名なお寺なの。駿河国清水港附近龍華寺と申すは 三保の松原より富士山への眺望本邦無二と存じ候・・〔 中略 〕・・もし小生死後に相成り候へば 右龍華寺に埋葬相願い度く候と遺言した高山樗牛が見晴らしの良い墓地に眠るの。拝観料:¥300

境内にある大蘇鉄ですが、天然記念物指定で、樹齢推定1,100年余と日本最古にして最大の蘇鉄なの。左掲は雄株ですが、傍らには雌株もあり、こちらは推定樹齢800年余り。更にその側には推定樹齢300年の大サボテン。元々は温暖な気候を好むはずの両者でしょうに、御仏の御加護あってのものでしょうか、龍華寺の境内では植物も大成するみたいですね。ここで皆さんにクエスチョン。この龍華寺は寛文10年(1633)の開基。あれ〜未だ400年も経ってないじゃないの。だとすると、樹齢の計算が合わないじゃないの。どうして?答えは龍華寺に参拝された折りに(笑)。

観富園と命名された庭園は、頂いた栞に依ると、須弥山式という日本最古の造園法に基づく庭園で、山は有度山、池は駿河湾、本堂の屋根を富士山に見立てたもの。この地からの実際の展望をそのまま縮図化した庭園となっているの。画面上方に高山樗牛の眠るお墓がありますが、傍らにサルスベリの大木があり、花を咲かせる頃にはこの庭園にも彩りが添えられることでしょうね。

古刹と聞いて訪ねた龍華寺でしたが、本堂は最近建て替えられたようで、上がり框の白木に傷も無くピッカピッカの一年生。身を乗り出して中を覗いていたのですが、通り掛かりのお寺の方に「良かったらあがって御覧下さい」と勧められました。剃髪された若い方でしたので御住職の御子息かも知れませんね。拝観受付を済ませて歩き始めた時にも出会い頭に「きょうはお寒い中参詣して下さいまして有り難うございます」と挨拶を受けました。勧められるままに靴を脱いで本堂に上がらせて頂き、「天井には現住職が好きで書いた画が嵌め込まれています」と説明を受けたのですが、玄人はだしの画が天井一面に嵌め込まれていました。題材も鳳凰・孔雀に始まり、馬や鹿、蓮華の華やら浄土に集う仏さま達と多岐に亘ります。襖には極楽浄土を思わせる錦絵の大作が描かれ、オマケにお寺とは思えぬ(笑)色彩感覚。

中でもξ^_^ξのお気に入りが左の天井画よ。まさしく天を舞う天女。舞を披露した際には地上へ宝を振り撒いたとする史書もあるようですが、この画でも華を散らせながら舞っているの。花びらの一枚一枚までもが丁寧に描かれていて、その色彩感覚には女性的な優しさを感じてしまいますが如何かしら?皆さんもお出掛けの際には是非御覧になって下さいね。詳しいことは 龍華寺 を御参照下さいね。素敵な写真が目白押しですよ。

50.鉄舟寺 てっしゅうじ 11:32着 12:02発

久能山東照宮のところで触れた久能寺の移転先がこの鉄舟寺なの。武田氏の滅亡で、世は徳川の時代となりますが、その徳川家の援助を得た久能寺も明治維新を迎えて後盾を失い廃寺となるの。維新後に静岡県の官職に就いた山岡鉄舟は名刹の荒廃を嘆き、咸臨丸事件以後親交を得た次郎長に揮毫した書を委託するなどして広く寄進を募ります。けれど鉄舟自身は再興した寺社の完成を見ることも無くこの世を去ってしまうの。拝観料:¥300 所要時間:約30分

今では清水と云えば清水エスパルスですが、清水次郎長を連想される方も多いのではないかしら。任侠の世界に生きた次郎長と山岡鉄舟が何で親交を?咸臨丸事件てなあに?と云うことで調べてみたところ、概ね次のようなことみたい。一部脚色を交えていますが御了承下さいね。

時は幕末維新、榎本武揚率いる旧幕府軍の軍艦・咸臨丸は官軍側の攻撃を受けて這々の体で品川沖を脱出するのですが、暴風雨に合い、西に流されて漂着するようにしてこの清水港に辿り着くの。そうして修理のため入港したところを官軍側に攻撃され、旧幕臣以下乗組員の殆どが戦死してしまうの。海に投げ出された遺体は巴川の港橋附近に数多く漂流するのですが、官軍の威光を恐れて誰一人それを弔う者も無く、堪り兼ねた次郎長が子分を引き連れてその回収に務め、巴川畔の向島の地に手厚く葬ったの。

次郎長は官軍の威光を注進する者には「仏に官軍も賊軍もありゃしねえ!」と一蹴。後日、官軍側に詰問を受けた際にも「仏を弔ってやるのが悪いとおっしゃるんで?ならばこの次郎長、どんな罰でも喜んでお受け致しやす」とも云ったそうで、己の生死を賭けて任侠に生きた次郎長ならではですよね。これを伝え聞いたのが江戸城無血開城の功労者・山岡鉄舟なの。当時は駿河藩主・徳川家達に仕えていたのですが、次郎長の心意気に感服した鉄舟は墓に墓誌銘を揮毫するの。

これを機にして二人の親交が始まるの。鉄舟の勧めもあり、次郎長もやがて開墾事業を初めとした社会事業に参加するようになるの。自分よりも17歳も年下の鉄舟でしたが「俺の大親分は鉄舟先生だ」と云うほど心酔していたみたい。任侠道を極めた次郎長も鉄舟と出会い、その後の人生を大きく変えたの。

人の世に処る賊となり敵となる悪む所 唯だ其の生前の事のみ
若し其れ一たび死せば復た罪するに足らんや

境内から眺める富士の美しさに定評があるとガイドブックに記載されていたので期待してはいたのですが、生憎の曇り空。流麗な富士を仰ぎ見ることは出来ませんでした。宝物館脇には鉄舟の墓がありますが、墓は明治維新の無名殉死者供養のために鉄舟自身が建立したという全生庵(東京・台東区)にもあるそうですが、どちらが本当なの?分骨でもしたのかしら?真偽の程を御存知の方がいらっしゃいましたら御教示下さいね。

鉄舟寺の拝観を終えて、次に次郎長の墓がある梅蔭寺に向かいました。地図を片手に歩いていたのですが、行けども行けども梅蔭寺が見当たらず、曲がる道を間違えてしまったみたい。お正月休みでしたし、曇天で肌寒く、道行く人も無く。途中で女子高生が信号待ちするのを見掛けて訊ねてみたのですが、知らないと云われてしまいました。次郎長も女子高生には遠い過去の人のようで、ξ^_^ξは再び流浪の旅人になってしまいました。

しばらく歩いていると後ろから自転車に乗った方が。見れば時代劇を見て育ったと覚しき年代の方(笑)。大いに期待して訊ねてみました。開口一番「ここからは結構ありますよ、曲がらなければいけなかった道を通り過ぎちゃったからねえ」。ショボくれて待つξ^_^ξ達を前にしばし沈黙の後、「この道を真っすぐ歩いて行くと角が畑の交差点があるからその道を右に曲がって、そうするとスーパーとガソリンスタンドが見えてくるのでその道を右に曲がると梅蔭寺の看板が見えてくるから。ちょっと遠回りになるけど通り過ぎちゃってるから、近道を教えてもいいんだけどまた分かんなくなっちゃってもねえ。何だったら途中まで一緒に行きましょうか?近くまで行くから」と勿体無いおことばで。幾ら何でもそこまで甘える訳にもいかず、最敬礼をして見送りました。それからは畑、スーパー、GS、畑、スーパー、GSと頭の中で呪文を唱えながら歩いたの。

交差点の角地に畑を見つけた時にはもう梅蔭寺に辿り着いたような気分。視線を上げて道奥を見やると自転車に乗った方がこちらに向かって走り来るようで、遠目で良くは分からなかったのですが、先程道を教えて下さった方のようにも見え、近付いて見れば案の定。「心配だったけど大丈夫みたいですね。この先にスーパーとその隣にガソリンスタンドがあるからそれを右ですよ」。心優しい方で、心配でわざわざ見に来て下さったのですね。連れ共々改めて最敬礼。トコトン旅人に優しい清水の方でした。改めて御礼申し上げます。

という訳で、正規のルートを辿れば鉄舟寺からは徒歩でも20分余の距離なのですが、倍の40分も掛かってしまいました。心優しい地元の方に出会えたからこそ40分で済みましたが、そうでなければどうなっていたことやら。途中、連れが開いていた衣料品店を見つけて手袋を買いに飛び込みましたが、凍えていたかも知れませんね。今思うと、鉄舟寺と龍華寺はそれほど離れてはいませんので、鉄舟寺拝観を終えたら龍華寺に戻り、龍華寺バス停からバスに乗車すれば良かったみたいね。そう云ってみたところで After the carnival だけど。

51.梅蔭寺 ばいいんじ 12:42着 13:06発

梅蔭寺は足利時代に創建された古刹ですが、次郎長を初め、子分の大政・小政、お蝶の墓があることで知られているの。破天荒な人生を送った次郎長も、後年は開墾事業を初めとした社会事業に精力を傾け、74歳の天寿を全うしているの。次郎長の墓の傍らにはお蝶三代の墓もありますが、二代目、三代目にもお蝶を名乗らせるなど、初代のお蝶は次郎長には最愛の連れ合いだったのでしょうね。境内にはお蝶三代を祀るお蝶弁天、次郎長愛用の身廻品などを展示する遺物館もあるの。岩の上で座す次郎長ですが、今にも「そこのお若けえの!」と声を掛けてきそうな、凜とした表情ですね。拝観料:¥300

52.次郎長生家 じろちょうせいか 13:12着 13:15発

梅蔭寺から巴川に向かうと商店街に埋もれそうな次郎長の生家が現れるの。そこだけタイムスリップしたかのような風情。次郎長の家系を継ぐ方が土産物店を営む傍らで資料等の公開をされているのですが、生憎とお休みで見学させて頂くことが出来ませんでした。

53.港橋BS みなとばし 13:22着 13:27発

巴川畔を歩いて港橋バス停に出ましたが、港橋と云えば咸臨丸の乗組員の遺体が漂流していた現場ですよね。もっと海に近い位置と想像していたのですが、大分奥まった位置にあり、当時に較べて大きく様相を変えたのでしょうね。壮士墓は次郎長生家からは巴川の対岸にあるの。よちよち歩きの女の子がお母さんに手を引かれながら橋を渡っていましたが、そこには凄惨な光景を垣間見ることも無く、穏やかな時間が流れていました。乗車券:¥100 所要時間:6分

54.JR清水駅 しみず 13:34着 13:50発

前述しましたが、朝乗車したバスに傘を忘れて清水駅バスターミナルの窓口へ届けを出していたのですが、出て来たら連絡を下さると云うことでしたが連絡もありませんでした。けれど時間の余裕もありましたので、念の為に出向いてみることにしました。うれしいことに置き忘れた傘は届けられていて無事手許に戻りました。御手数を御掛け致しました。運賃:¥100 所要時間:約3分

55.静鉄・新清水駅 しんしみず 13:53着 13:56発

バスを下車して静岡鉄道に乗り換えましたが、新清水駅も新静岡駅もJR側に乗り換えるには距離があるの。静岡側はまだしも、清水側は歩いて歩けない距離ではないのですが、各々JR側に接続してくれたら益々便利なのですが。用地買収等コストの問題があるのでしょうが、快適なフットワークで運行されているだけに、ちょっと残念ですね。乗車券:¥290 所要時間:20分

56.静鉄・新静岡駅 しんしずおかえき 14:16着

新静岡駅の改札を抜けると皆さんそのまま真っすぐ歩き始めるのでついて行くと、何とJR静岡駅に通じる地下道がありました。それなら最初から教えてくれれば良かったのに〜。

57.JR静岡駅 しずおかえき 14:26着 16:38発

お土産

予定より大分早めに静岡駅に着きましたが、お昼御飯も食べずに歩き回っていましたので アスティ静岡 の中にある駿河寮・吉善で遅い昼食を。和食の創作料理もあり、ちょっと洒落たお店でした。かと云って肩が凝るような堅苦しさも無く、お酒も色々な銘柄が取り揃えてありますのでお昼というよりもアフター・ファイブに(笑)立ち寄りたいお店ね。遅い昼食を済ませた後は、暇に任せて駅構内をぶらついてみましたが、左掲はその時み見つけたストロベリー・チョコなの。静岡で苺と云えば石垣イチゴよね。久能山に初詣したものの、イチゴ狩りもせずに終えてしまいました。小さな手提げ袋の可愛らしい包装に惹かれて買い求めてみましたが、フリーズドライのイチゴをホワイトチョコで包み込み、甘さと酸味がマッチした逸品よ。地域限定商品−とありますので、静岡にお立ち寄りの際には是非お求め下さいね。ξ^_^ξのお薦め品よ。

58.東京駅 とうきょうえき 18:06着


羽衣伝説に誘われて出掛けてみた旅ですが、脳天気な旅人にも優しい静岡の方々に出逢いました。徳川家康や清水次郎長など、時代を駆け抜けた偉人達を輩出した静岡は住む方々の懐も深いようですね。静岡県と云えば真先に観光地の伊豆を思い浮かべてしまいますが、華々しい宣伝もないせいでしょうか、それほど観光地化されている訳でも無く、古の浪漫がひっそりと息づいているの。皆さんも「羽衣の松」の砂浜で駿河湾を眺めながらのんびりと過越してみませんか?うららかな春の一日、潮騒を子守歌に微睡んでいると潮風にのって甘い香りが漂ってくるかも知れません。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥

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どこにもいけないわ