≡☆ 美味し国ぞ安房の国−初詣編 ☆≡
1995/12/31 - 1996/01/02

ちょっと古いお話しなので恐縮ですが、千葉の安房小湊にある誕生寺に初詣に出掛けた時のメモリアル・ページです。今では閉園してしまった行川アイランドも訪ねてみたの。掲載に際しては内容も再訪時のものを含め、料金などは ′06.06 現在のものに置き換えましたので、新旧入り乱れた内容になっていますが、御諒承下さいね。補:一部の画像は拡大表示が可能よ。

一日目:鴨川シーワールド

1.JR東京駅 とうきょう 10:00発 京葉線地下ホーム1番線

お正月期間はどこに出掛けるにしてもお正月の特別料金で割高となるのは仕方の無いことですし、纏まったお休みを頂けるような余裕ある身の上でもありませんので止むを得ませんね。お正月休みを利用して、初詣が出来て美味しいお魚が食べられる海沿いの観光地と云うことで決めたのが南房総の鴨川なの。当時乗車した列車は「ビューわかしお7号」でしたが、現在は「わかしお5号」と名を変えて同じダイヤで運行されているみたいね。特急券:¥1,810 乗車券:¥2,210

2.JR安房鴨川駅 あわかもがわ 11:52着

ここでちょっと耳寄り情報を。一日に一本しか運行されてはいないのですが、新宿駅を始発とする「新宿わかしお号」があるの。朝の7:19発で安房鴨川着が9:37と、行楽にはスッゴク便利なダイヤ設定ね。これに南房総フリー切符を加えれば南房総の観光地巡りの足固めは万全よ。フリー切符の有効期間は3日間ですが、利用期間には制限がありませんのでいつでも利用可能なの。フリー区間の範囲や利用可能なバス路線など詳しい情報は JR東日本 を御参照下さいね。南房総フリー切符 ¥7,500 (都区内発)

3.鴨川シーワールド かもがわしーわーるど

鴨川シーワールド 暮れもトコトン押し迫り、巷では大晦日と呼ばれるきょう一日をどこで過ごそうかと考えたのですが、鴨川の地で大晦日も休まず営業する観光施設として真っ先に頭に浮かんだのがこの 鴨川シーワールド なの。シャチとトレーナーが巨大プールでコンビネーション・ジャンプを繰り広げるダイナミックなアトラクションはTVでも度々放送され、全国的にも知られる施設よね。その名が示すように、水族館の域を越えて海の生き物達に触れ合うテーマパークになっているの。入園料:¥2,800

園内はパノリウム・マリンショー・オーシャンスタジアムの三つのブロックから構成され、メインゲートから入園すると最初にあるのがエコ・アクアローム。アシカやイルカ達のアトラクションの方にどうしても目がいってしまうかも知れませんが、ここでは自然界での水の循環に着目して、山地に降り注いだ雨が河川を通してやがて海に注ぎ込むまでの環境を再現しながら、水辺の生き物達を飼育展示しているの。早い話が水族館なのですが、お魚のみならず、水生植物や岩場などの生息環境も含めた総合展示なの。最近は巨大水槽に多くの種類の魚達を回遊させた水族館が多くなりましたが、身近な河川から生き物達の姿が消えゆく今では、子供達に自然の営みを知って貰う、絶好の展示施設ね。

クマノミ

生まれて初めて水族館に連れて来て貰った小さな子供が、巨大水槽の中で泳ぎ廻るお魚の姿を見て「ママ、どうしてあのお魚には目があって泳ぐことができるの?」と訊いたとか。それまではお魚と云えばスーパーで売られている切身状態のものとばかり思っていたと云う、殆ど笑い話なのですが、ここではそのお魚のホントの姿と共に、どんなところに棲むのかも併せて知ることが出来るの。アクアロームの順路の最後にあるのがマスコット・コーナーですが、水槽内を悠然と泳いでいるのがマンボウなの。大きい魚体をしながらどことなく剽軽な表情を見せてくれますよね。

ここで皆さんにクエスチョン。水槽内には透明なビニール製のカーテンが下がりますが、理由があってのものなの。 さて、その理由とは?答えはお出掛けの際にマスコット・コーナーにお立ち寄り下さいね。

ラッコ 次にあるのがラッコ・プール。シーワールドでは動物達の食事風景もまた展示の一つになっているの。それがフーディング・タイムで、館内放送につられてラッコ・プールに向かったのですが既に黒山の人だかり。可愛らしい仕草で人気者のラッコですが、その姿を写そうと努力したのですが、少しもじっとしていてくれないの。目線をくれたと思ってシャッターを切ったつもりでももう遅いの。反射神経の鈍さを実感させられる瞬間ね。左掲は何とか見られる一枚かな?

ラッコ・プールを最後にパノリウムを後にしますが、引き続きあるのがマリンシアターなの。巨大水槽を中心にして観客席が取り囲みますが、その水槽内に泳ぐのが白い巨体のベルーガなの。訪ねた時はショーを終えた後のことで、遊具が釣り下げられた中を静かに泳いでいましたが、その巨体とは裏腹に優しい目許をしているの。「海のカナリア」と称されるように、可愛らしい鳴き声を発して障害物も巧みに避けて泳ぎ、ショーでは輪くぐりなどのパフォーマンスを披露してくれるの。

パノリウムを抜けて次にあるのが海獣達のプールがあるマリンショー・ブロック。アザラシ、アシカ、イルカ、トドなどのプールが独立した屋外施設で、一日数回パフォーマンス・ショーが繰り広げられるの。次のオーシャンスタジアムで行われるシャチのダイビング・パフォーマンスと併せ、園内では30分毎にどこかでパフォーマンスが行われていることになるの。

イルカショー パフォーマンスのタイム・スケジュールは季節や曜日で異なりますのでHPで最新情報を御確認の上でお出掛け下さいね。替わってこちらはサーフスタジアムで行われるイルカ達のコンビネーション・ジャンプ。左掲は水面上高く釣り下げられた輪を目掛けて飛び上がる瞬間の一コマですが、脅威の運動能力は水中を縦横無尽に泳ぎ廻り、空を飛ぶことだって出来ちゃうの。

次に紹介するのはアシカのパフォーマンス。ステージを中心にして、お茶目で愉快な芸を披露してくれるの。ゲスト出演してくれたのはセイウチ君ね。中でも最大のパフォーマンスがアシカ君の笑顔。シーワールドのアシカならではのものなのですが、後部座席からではその表情が分からないの。どうしても見てみたいの!と云う方は早めに御来場の上で最前列に陣取って下さいね。

アシカショー アシカショー アシカショー

トドのパフォーマンスショー こちらはトドのパフォーマンス。その巨体をのっしのっしと揺らしながら演じてくれるのですが、その重さ故にスローモーションをみているような気がするの。その姿は鏡に写る我が身を見ているようでツライものがありましたが、新体操のボール競技よろしく、巨体に似合わず小さなボールをバランス良く掲げて静止するポーズは真似出来そうにもありませんね。似ていたのは皮下脂肪の厚みだけだったみたい(笑)。

シャチのショー そしてシーワールドの最大の呼び物がこのシャチのショーね。二組のシャチとトレーナーのコンビが繰り広げるダイナミックなパフォーマンスは感動ものよ。TVやガイドブックなどで見たことはあるのですが、実際に目の前で二頭の巨体がジャンプするさまはやはり圧巻ね。聞くところでは、彼等のパフォーマンスは演技をすると云うよりも、トレーナーと遊んでいる感覚なのだそうよ。

シャチのショー 自然の中では時として自分より大きな鯨を襲うこともあると云うシャチはまさしく海の王者。その獰猛な彼等も、ここではトレーナーと戯れていると云うわけ。鼻先にトレーナーの足裏を載せて水中をダイブしたり、水面からそのままジャンピングしたりするのを見ていると、トレーナーがシャチをリードしていると云うよりも、確かにシャチがトレーナーを手玉にして遊んでいるようにも見えますね。余談ですが、パフォーマンスの終了後には希望者にシャチからのキスのプレゼントもあるの。

シャチのショー 但し、無料と云うことでは無くて、園内にある案内所窓口で御予約下さいね。どんなキスをしてくれるのか大いに気になるところですが、その巨体にふさわしくディープ・キスよ(笑)。園内ではこのシャチのキスのプレゼントの他にも、海獣達と触れ合うイベントが随時開催されていますが、幾れも定員になり次第締めきられてしまいますので、入園時には御予約を忘れずにね。どんな動物達とどんなスキンシップが出来るのかはHPを御参照下さいね。

CoffeeBreak

シャチは英語では Killerwhale と呼ばれるように「海の殺し屋」ですが、実際にはその棲息環境で食生活が大きく変わるの。ペンギンやアザラシを捕食するシャチがいる一方で、専らニシンなどの魚類を餌とする個体群もいて、お魚を主食にするシャチが捕食のためにアザラシなどの哺乳類を襲うことは無いみたいね。詳しいことは分かりませんが、シーワールドで飼育されるシャチはお魚を主食にするDNAのシャチなのかも知れませんね。

広い園内に加えてアトラクションも多いことから、短い時間ではその全てを観て廻ることは出来そうにもありませんね。ここでは幾れも訪ねた当時の内容に基づき紹介してみましたが、施設や展示内容はその後も拡充が図られ、より一層楽しい施設になったみたいね。最近ではシーワールドの前に広がる海岸にゴマフアザラシの「鴨ちゃん」が現れたり、2006/04/04には園内のゴマフアザラシのペアに赤ちゃんが生まれているの。シーワールドは訪ねる度に新たな感動を以て出迎えてくれるみたいで、リピーターが多いのも頷けるわね。

4.鴨川グランドホテル かもがわぐらんどほてる

冬の一日は短くて、陽も蔭り始めたところでシーワールドを後にしましたが、歩いて10分足らずのところにあるのが、今宵の宿泊を予約していた 鴨川グランドホテル なの。と云うか、今回の旅は往復の交通手段と宿泊がセットになったお正月期間限定の宿泊プラン。思い立ったのが遅くて旅行会社の窓口を訪ねた時には殆どの宿泊施設が満室で、限られた宿泊施設しか空きが無かったの。

完売にならずに予約出来たのはやはり突出した(笑)宿泊料金の高さでしょうね。お正月料金ですから仕方の無いことなのかも知れませんが、平日に旅が出来る身の上ではありませんので、清水の舞台から飛び降りた気分で決めてしまいました。尚、当ホテルの名誉のために申し添えますが、ただ徒らに高い料金設定をしている訳ではなくて理由があってのものですから、誤解の無いようにお願いしますね。

快適な空間と時間を提供して頂くにはそれなりの代償が必要と云うことですが、行き届いたサービス内容に一度味をしめてしまうと仲々そこから抜け出せないの(笑)。鴨川には幾度か訪ね来て他の宿泊施設も利用したことがありますが、再投宿しているのは当館だけなの。お正月などの特定期間はさておき、オフ・シーズンにはそのサービスをリーズナブルな料金で受けることが出来ますのでHPを御参照の上でお出掛け下さいね。

二日目:行川アイランドと誕生寺初詣

東条海岸で水平線から上る初日の出に思いを新たにしたところで、天津小湊の誕生寺に初詣に出掛けてみたの。その前に現在は閉園となってしまった行川アイランドにも足を伸ばしてみましたので、併せて紹介してみますね。

5.鴨川グランドホテル かもがわぐらんどほてる

係の方からは「天気が良ければお部屋の中から居ながらにして初日の出を拝むことが出来ますよ。天気予報では明日は晴れるみたいですから期待して宜しいんじゃないですか」と云われ、ならば是が非でも早起きしなくては−と早めにおふとんの中へ。と云うか、横になり寛いでいたらいつの間にか寝ていたの(笑)。連れが云うには例の紅白歌合戦が始まるか始まらない内に寝ていたそうな。寝たら最後、熟睡状態に陥ると云う単細胞の身の上ですが、さすがに係の方のアドバイスが脳味噌に記憶を留めていたようで、朝日が昇る前に目が覚めたの。

初日の出 連れ2人のあられも無い姿を横目に、カーテンを少しだけ開けて明るくなるのを待ちましたが、太陽が昇り来る気配を感じるとじっとしていられなくなり、カメラを片手に砂浜に出てみることにしました。物音に気付いて起き出した2人を連れて砂浜に出てみましたが、皆さん、考えることは同じみたいね。けれど、ホテル前の砂浜は殆どプライベート・ビーチと云っても良いくらい。誰にも邪魔されずに御来光を拝むことが出来ました。

初日の出 普段は不信心なξ^_^ξでも、水平線の彼方から昇り来るお陽さまをみると思わず掌を合わてしまいますが、昇り来る太陽に向かい、頭を垂れる姿は日本人の宗教観の名残りでもあるの。余談ですが、嘗て鳥羽市石鏡では「垢離(こり)かき」神事が行われていたの。元旦になると村人達はお陽さまが昇らぬ内に浜辺に来ると、老若男女を問わず一糸纏わぬ姿となり、沖へと進むの。そうして腰まで浸かる辺りに来ると昇り来るお陽さまに掌を合わせ、しゃがみ込んでは海水で沐浴を繰り返したと云うの。

初日の出 全ての生き物に均しく恵みを齎す太陽の光はエネルギーの源であり、その魂は遙かなる海の彼方より波と共に打ち寄せると信じられていたの。村人達はその魂を受け止めて生きる力を得ようとしたの。残念ながらその神聖な儀式も好奇の目を以て見られるようになると頽れてしまったの。鳥羽市石鏡の「垢離かき」神事は特異なものだったのかも知れませんが、日本各地では類似した習俗が行われ、今でも神社への奉納行事などにその名残りを垣間見る機会もあるわね。

サーファー 初日の出に思いを新たにしたところでお部屋に戻りましたが、全面ガラスの窓辺からはお部屋中に陽が射し込み、暑い位なの。見るとは無しに海原を眺めていたのですが、気が付くと波打ち際に黒く点々としたものが浮かんでいるの。エッ?まさかアザラシと云うわけでもないでしょうし。不思議に思いながらよくよく見るとウエット・スーツに身を固めたサーファー達でした。元旦も休まず営業とは余程好きな人達ね。

おせち 早起きしたせいですっかりお腹が空いてしまいましたが、絶妙のタイミングで出されて来たのが御覧の朝食よ。勿論、元旦ですのでお屠蘇付き。小鉢が12個並びますが、これぜ〜んぶで一人分なの。ちょっとしたプチ懐石みたいで女性にはうれしい朝食兼おせち料理ね。写真には写りませんが、この内容にお雑煮が付いてくるの。そして何よりの御馳走が上げ膳、据え膳で食事が出来ることね。

6.JR安房鴨川駅 あわかもがわえき

朝食を終えて初詣に出掛けてみることにしました。ホテルから駅までは送迎バスを利用したのですが、上り列車は一時間近く待たないと次の電車が来ないの。それなら路線バスは?と云うと、こちらも同じような運行ダイヤ。お正月だからノンビリしようよ−と連れのことばにつられて、出たとこ勝負に徹したのがマズかったみたい。ですが、そこは貧乏人の浅ましいところで、ノンビリしようと云っている傍から「こんな所でいつまでボ〜ッとしてるつもりなの?」と冷たい叱責。ここから行川アイランドまではとても歩けるような距離でも無さそうだし、2駅だからタクシーを利用しても大した料金じゃないじゃないの−と安易な判断のもとに、目の前で客待ちするタクシーに乗車してしまいました。

けれどそれが大きな間違いでした。しばらくは快適に走り続けていたのですが、安房小湊に近付くにつれてペースダウンして来たの。安房小湊駅辺りからは旧道を迂回してはくれたのですが、それでも誕生寺に向かう交差点の手前辺りから動かなくなってしまったの。初詣に向かう車と終えた車が合流してくるために大渋滞していたの。この交差点に続くトンネルを抜けると行川アイランドは直ぐそこなのに−と、気ばかり焦っても仕方ないとは思いつつ、ここで下車して安房小湊駅まで戻り、列車に乗り換えるか、かと云って戻る時間を考えるとその間に渋滞を抜けることが出来るかも知れないし、このまま乗車していた方がいいかも−とハムレット並みの心境でした。

運転手さん、何とかならないのお〜と訊ねてみたところで、トンネルを一つ分だけなら山中の道無き道を走ればやり過ぎることが出来るけれどそこから先はまた本線に戻らなくてならないから大して変わらないと思います−とのつれない返事。地元の道を知り尽くした方ならではのことばにすっかり諦めムード。結局、一度乗り掛かった船とばかりにそのまま乗車してしまいました。ようやく辿り着いた時には安房鴨川駅を発てから既に一時間余り。料金も約¥5,000也

ホント、バカヤロ〜よね。と云っても怒りの矛先を向ける先が無いわね。初詣の渋滞を予想出来なかったξ^_^ξがバカヤロ〜でした。こんなことなら駅のホームでひたすら上り列車を待つひとになるべきでしたね。因みにJR外房線利用なら乗車時間が15分に、運賃は激安の¥230よ。大勢の方々が繰り出すお休みの日には正確無比な運行スケジュールで世界的に知られるJRを利用するに限るわね。

7.行川アイランド なめがわあいらんど

パンフレット 訪ねたのは2度目のことでしたがξ^_^ξには思い出の場所なの。以前、鵜原に海水浴に来た際に足を延ばしてみたのですが、その時には未だカメラなどには興味も無く、出掛ける度に知り合いから借りて来ていたの。勿論、デジカメなんか未だこの世に存在しない頃のことですが、貸してくれたのが一眼レフと云う代物で、不慣れなξ^_^ξのためにいつもフィルムを装填してから貸してくれていたの。なのでξ^_^ξはその時も当然フィルムが入っているものとばかり思っていたわけ。ところがカウンターが36枚を過ぎても一向にフィルム・エンドとならないの。フィルムが空回りしているのではと思い、意を決して裏蓋を開けてみたのですが、あるべきはずのフィルムが実は装填されてなかったの。そのカメラに向かい、先程まで笑顔を振り撒いてくれていた連れからは矢のような叱責。その日は「耐え難きを耐え、偲び難きを偲び」園内を後にしましたが、勝浦に宿泊することにしていましたので悔し紛れに翌日再び訪ね来たの。なので正確には3度目かしら(笑)。親切心からフィルムを装填してくれていた知人をその時は入れてなかったからと云って恨む訳にも行かず、カメラ操作に不慣れな我が身を責めるのみでしたが、この事件を契機にマイ・カメラの購入となり、その後は旅先での楽しみも増えて一大転機にもなりました。そんなことから行川アイランドはξ^_^ξにとっては記念すべきメモリアル施設なのですが、悲しいかな、平成13年(2001)の8/31を以て閉園してしまったの。

記述に先立ち、改めて情報を得ようとネット検索してみたところ素晴らしいサイトに出会いました。その名も 行川アイランドのファンサイト Party Island なの。紹介に際しては同サイトより多くのヒントを得ました。改めて御礼申し上げます。閉園してしまった今も管理人のFumiさんが行川アイランドに寄せる思いは真摯でいて優しいの。是非、お訪ねになってみて下さいね。

入口 左掲は園内に通じるトンネルですが、この手前左手に入園受付があるの。当時の入園料は¥1,240でしたが、消費税が未だ3%の頃ですので税抜きでは¥1,200ね。こう書くと何か太古の昔話みたいでξ^_^ξは化石に相当する年齢に思われてしまいそうね。敷地面積は約40万m²にも及ぶ広大なもので、駐車場も車700台を収容出来る程のスペースが用意されていたの。

最寄り駅にしても今では各駅停車のみが停車する無人駅となりましたが、当時は行川アイランドに来る観光客のために特急列車が停車する程だったの。その駅名にしてもずばり行川アイランド駅。最盛期には入場者数が120万人を数えたレジャー施設はJR側(旧国鉄)にしても破格の扱いだったわけね。

トンネルを抜けるとそこは雪国ならぬトロピカル・リゾートで、沿道に植栽されたヤシの木が南国ムードを盛り上げてくれていたの。周囲を5〜60m程の山々に取り囲まれた地の利から、風のある日でも園内は穏やかなの。アイランドの名が示すように南の島を模して造られた園内には色鮮やかな鳥達を集めたトロピカル・バードセンターや熱帯に棲む小型の猿を飼育するモンキーセンターなどを配置して、今で云うところの癒し系のレジャーランドだったの。園内マップが気になる方は左掲の入園チケットをクリックしてみて下さいね。

フラミンゴ・ダンス 中でも行川アイランドの名を広く知らしめたのがフラミンゴのダンスね。中央広場を抜けてゲートを潜ると最初に設けられていたのがそのフラミンゴ・ショーの会場なの。行川アイランドを語る時、フラミンゴ・ダンスに触れない訳にはいきませんよね。開演時間になると、フラミンゴ達が登場する前に、BGMと共にナビゲータ役のおねえさんから彼等の習性や飼育方法などについての説明があるのですが、ダンスはそんな彼等の習性を上手く利用して行われるものだったの。

今となっては目にすることが出来なくなってしまった行川アイランドのフラミンゴ・ダンス。御存知無い方も多くいらっしゃるかと思いますので纏めて紹介してみますね。動画の掲載が出来れば良いのですが、当時はそのような機材の持ち合わせも無く、静止画のみの掲載ですが御容赦下さいね。また画像も最初に訪ねた時のものを含めて使用していますので併せて御了承下さいね。

フラミンゴ・ダンス フラミンゴ・ダンス フラミンゴ・ダンス フラミンゴ・ダンス

フラミンゴ・ダンス フラミンゴ・ダンス フラミンゴ・ダンス フラミンゴ・ダンス

因みに、このベニイロフラミンゴですが、会場の水辺の草地の印象から元々の生息地はアフリカかしら?と勝手に想像してしまいましたが、本当は中央アメリカのカリブ海沿岸なの。アフリカに生息するのはこのベニイロフラミンゴではなくて、少し小型の種類のフラミンゴなの。同じ鳥類の朱鷺の風切り羽や尾羽にも似た色合いに全身を染め上げるベニイロフラミンゴですが、元々は彼等が食する藻類の色素に依存しているの。じゃあ、ベニイロフラミンゴを飼育するには、生息地からその藻類を取り寄せなくていけないから大変なんじゃないの?と思われるかも知れませんが、実際には餌に色素を添加して退色を抑えているの。

気が付いたらいつのまにかみんな白鳥みたいになってしまっていたら大変よね。その時は曲目を「白鳥の湖」に切り替えると云う手があるけど、それだとトロピカルな南国ムードにはならないわね。ごめんなさい、ちょっと茶化しすぎてしまいましたね。ここでそのベニイロフラミンゴのアップ画像を紹介してみますね。ショーを終えて拍手の余韻に浸る(笑)ところを捉えたものですが、色彩から来る印象とは裏腹に、目許の表情には恐いものがあるわね。か細い華奢な脚をして、歩く姿はユリの花とばかりに優雅なベニイロフラミンゴですが、綺麗な薔薇にはトゲがあるように、意外に獰猛なのかも知れないわね。それともリーダー格の一羽で周囲を警戒していたのかしら。

開園して間も無くして始められたフラミンゴ・ショーは閉園までの長きにわたり続けられたことからその間にこの行川アイランドで生まれたフラミンゴも多く、閉園した後は福島県の、とある施設に引き取られていったとも聞きました。その辺りのことが気になり、改めてネット検索してみたら面白い記事を見つけました。リンク切れになることを覚悟の上で勝手リンクしてみましたので興味を持たれた方は御覧になってみて下さいね。ウルトラサイゾー都築響一の珍日本紳士録[第16回]

この記事にヒントを得て探してみたところ、現在は 東北サファリパーク にいるみたいなの。行川アイランドで脚光を一身に浴びていた頃の華やかさは無いものの、新天地でもそれなりの厚遇はされているみたいね。TV番組の「ポチタマ」のノリで云わせて頂けるなら〜また逢えるといいね〜

フラミンゴのショー会場の隣で行われていたのが次に紹介する孔雀達のダイビング・ショーなの。元々飛べる鳥なのかどうかは分かりませんが、ここでは背後の木立ちの間から百羽程の孔雀が次から次へと飛び出して来るの。空を飛ぶと云うよりも30m程の高低差を滑空してくると云った方が正しいかしら。ですが、白孔雀なら飛び出して来たのが直ぐに分かるのですが、玉虫色の孔雀では背後の緑に同化してしまい、どこを飛行しているのか良く分からないの。見ていると方向を上手くコントロール出来ないみたいで、ややもすると観客席目掛けて飛んでいくヤツもいて(笑)。

孔雀飛行 立ち木にぶつかりそうになってそのまま枝にとまってみたり。本来なら飛び出したらそのまま真っすぐに滑空すれば芝生広場に舞い降りることが出来るはずなのでしょうが。着地にしても余り上手では無いの。右端はその着地する直前のショットですが、ホバーリングしてからドスンと云う感じで着地するの。見ていると体の重量に翼の揚力が追い付いていないような気がするし、やはり、訓練の賜物であって、元々は飛べない鳥なのではないかしら。と云うか、飛ぶ必要性が無くなってしまった鳥なのよね、きっと。

ところで、玉虫色の羽根を纏う孔雀は皆さんも良く御存知ですよね。白い孔雀は当然種類が違うものとξ^_^ξは思っていたのですが、この孔雀飛行に出演する孔雀達は白孔雀を含めて皆んなインドクジャクなの。白孔雀は変位種と云うことみたい。鳥らしからぬ、ぶざま(笑)な飛びっぷりの孔雀達ですが、地上に降り立ち、羽を広げると俄然本領を発揮してくれるの。飛行に依るダメージなのでしょうか、ささくれた羽先が痛々しくもありますが、せめてものプライドを主張しているようにも見えて。

孔雀 孔雀 実は孔雀達が尾羽を広げるには理由があるの。それは他ならぬ雌達への求愛行動なの。と云うことは美しい尾羽を広げて見せてくれるのは皆な雄と云うことね。ホモサピエンスのξ^_^ξ達は女性側がお化粧や綺麗な装いをして「ねえねえ、わたし綺麗?」とアピールしますが、彼等鳥達の世界では正反対なの。「おお、そこのネエちゃん、どうでぇ、俺って綺麗だろ?ちょっと付き合わねえか?」

鳥達のショーの最後を飾るのが次に紹介するホロホロ鳥の飛行ショー。ξ^_^ξはこの行川アイランドで始めてホロホロ鳥を知りましたが、孔雀と同じキジ科の鳥で、アフリカを原産とするみたい。因みに、英語では Guinea Fowl となり、Guinea はアフリカのギニアのことで Fowl は鶏のことですから「ギニアの鶏」の意ね。へえ〜日本の鶏は飛べないけどアフリカの鶏は飛べるんだ〜と思いきや、行川アイランドのホロホロ鳥達は特別に訓練されたものだったの。

ホロホロ鳥 ホロホロ鳥

ホロホロ鳥のショーも孔雀達と同じように背後の木々の茂みから百羽を越えるホロホロ鳥が飛び出してくるの。孔雀に比べれば小型の鳥ですが、飛翔能力は更に低いようで、15m足らずの高低差を滑降してくるの。頂いて来た園内ガイドの栞に依ると、訓練を積み重ねても半分は飛べないのだそうな。と云うことは、ショーに参加しているのは進化の過程に逆らい、飛翔能力を取り戻したエリート達だったわけね。

園内ではこの他にもアシカの餌付けショーやイベントが随時開催されていたの。加えて小動物や鳥達に触れ合える施設が園内各所に配置され、子供から大人まで楽しめるようになっていたの。最奥部には大きな海水プールがあり、何とホテルまであったの。行川アイランドが設立されたのは昭和39年(1964)と聞きましたが、当時の感覚からするととてつもない規模を持つ一大レジャーランドとして誕生したのでしょうね。ですが、その後の経済の発展に伴うレジャーの多様化や大型化に追従出来ず、巨大資本が運営する鴨川シーワールドやTDLにレジャー客が奪われてしまったの。

最後に行川アイランドで出会った、フラミンゴに次ぐξ^_^ξのお気に入りのイワトビペンギンを紹介しておきますね。
イワトビペンギンは強面の顔に似合わず、夫婦仲がとってもいいの。

8.行川アイランド駅 なめがわあいらんどえき 13:42発

行川アイランドの跡地も第三者に譲渡されて再開発の内容が見え始めたようですが、それに依るとレジャー施設としてリニューアル・オープンする可能性は皆無のようね。名実共に行川アイランドの名称は過去のものとなるわけですが、駅名の方はどうなってしまうのかしら?それともこの駅もまた廃止の運命かしら?当駅からはL特急「わかしお11号」に乗車しましたが、現在でも一部の特急列車が勝浦⇔安房鴨川間に限り、普通列車として運行されているの。なので特急券無しで特急列車に乗車出来てしまうのですが、今ではこの行川アイランド駅に停車する特急列車自体が無くなってしまいましたね。運賃:¥160

9.JR安房小湊駅 あわこみなとえき 13:48着

本来なら安房小湊駅からは安房鴨川⇔行川アイランド間を結ぶ 鴨川日東バス に乗車するところなのですが、渋滞を理由に誕生寺まで歩くことにしました。ガイドブックには徒歩15分とありますが、余程健脚の方でなければ無理よね。尤も途中からは砂浜に降りて波打ち際を歩いたりしちゃいましたから余計に時間が掛かったかも知れませんが。さて、車の方はと云えば砂浜を歩いている時には気にもしませんでしたが、誕生寺入口の交差点では相変わらずの大渋滞で、誕生寺に向かう車が長蛇の列をなしていて仲々動かないの。

交差点から更に歩いて知ったのですが、渋滞するハズよね、皆さん、駐車場が空くのをひたすら待っていたの。初詣などの特別な日を除けば普段はそんなに渋滞することもないのでしょうね。因みにバスでしたら3分程で誕生寺入口バス停に到着しますが、誕生寺へはそこから更に5〜6分程歩くことになりますので御注意下さいね。加えて運行本数も一時間に1本程度ですから時刻表をお確かめの上でお出掛け下さいね。尤も歩けない距離でもありませんのでξ^_^ξ達のように歩いてしまうと云う手もあるわね。

10.誕生寺 たんじょうじ

仁王門

現在は小湊山誕生寺を正式な山号寺号としますが、創建当時は高光山日蓮誕生寺と称していたの。寺号が示すように、ここ小湊は日蓮上人の生誕の地であり、建治2年(1276)に弟子の寂日房日家上人と日保上人が日蓮上人の遺徳を偲び、当時の上総興津城主・佐久間庫輔の外護を受けてその生家跡に堂宇を建立したことに始まるの。その後、明応7年(1498)と元禄16年(1703)の二度にわたる津波を受けて堂宇を損壊流失してしまうのですが、生前の水戸光圀より外護を得ていたこと等もあり、宝永年中(1704〜1711)に第26世住持の日孝上人が寺域を現在地に移し、堂宇を再建して小湊山誕生寺と改称したの。拝観料:境内自由

残念ながら、その堂宇も宝暦8年(1758)に仁王門を残して焼失しまい、その後は里見氏や正木氏の後盾を得て堂宇を再建したのですが、現在のものは更に後世に再建されたもので、御覧の仁王門が諸堂の中では最古の建造物になるの。

明応7年(1498)には二度の大地震が起きているのですが、9/20(旧暦では8/25)の明応東海地震は御前崎を震源とするM8クラスの巨大地震で、浜名湖が太平洋と繋がったのはこの時のことなの。地震に依る津波は紀伊半島から房総半島にかけての広範囲を襲い、日本史上最多と云われる4万人以上もの犠牲者を出したの。余談ですが、鎌倉の大仏殿もこの時の津波で損壊流失してしまい、以後は再建されずに、大仏さまは露座のままになってしまったの。

加えて元禄16年(1703)に発生した元禄地震は房総沖を震源とする巨大地震でM8.1と推定されているの。とりわけ房総半島南端では震度7に相当する揺れがあり、海岸線は5m余も隆起したと云われ、野島崎が現在のように地続きになったのはこの時のことで、津波に依る死者は房総半島だけでも6,000名を超えると云う甚大な被害を齎したと云うの。因みに、斎藤月岑は【武江年表】の中でこの時の地震の様子を次のように記しているの。

宵より雷強く 夜八時地鳴る事雷の如し 大地震 戸障子たふれ 家は小船の大浪に動くが如く 地二、三寸より所によりて五、六尺程割れ 砂をもみ上げ あるひは水を吹き出したる所もあり 〔中略〕 八時過ぎ 津浪ありて房總人馬多く死す 〔中略〕 相州小田原は分けて夥しく 死亡の者凡そ二千三百人 小田原より品川迄一萬五千人 房州十萬人 江戸三萬七千餘人也し由 ものに誌せり

真偽の程は定かではありませんが、仮に「房州十万人」が正しいものとすると、大正12年(1923)の関東大震災時の死亡者数を上回る被害となるの。因みに、地震調査研究推進本部 の「日本の地震活動」の頁では、この元禄地震と関東大震災は同じ相模トラフ沿いに発生した巨大地震と位置付けされるなど、詳しい解説がされていますので御参照下さいね。

祖師堂 ところで後盾となった里見氏はその名も広く知られますが、気になるのが正木氏の名ね。宝物館には正木頼忠が奉納したと云う写経8巻が展示されていますが、頼忠は徳川家康の側室・お万の方の実父でもあるの。ですが、お万にしても最初から順風満帆で側室に迎えられた訳ではないの。と云うのも、頼忠と家康は敵対する間柄で、交戦した挙げ句に頼忠は敗退してしまうの。その後、歴史の歯車が意外な方向に廻り始めるのですが、話しの序でにちょっと寄り道してみますね。宝物館:¥400

里見家の家臣でもあり、勝浦城主でもあった頼忠ですが、家康に攻め落とされると主君の里見家を頼り、安房へと逃げ延びるの。一方で、戦闘の混乱の中で頼忠と逸れた母子は知己を頼り、伊豆に逃れ、後にその母が河津城主・蔭山氏広と再婚したことから娘のお万は氏広の養女となるの。そうして養父の元で育てられるのですが、歴史とは皮肉なもので、実父・頼忠の敵方だった家康に見初められて、表舞台に引き出されてしまうの。

前後の経緯がξ^_^ξには不詳ですが、お万は家康の側室として迎えられ、後に各々紀州、水戸徳川家の祖となる頼宣、頼房が生まれるの。そうして時の最高権力者の最も身近な存在となるのですが、養父・蔭山氏広が日蓮宗に帰依していたことからお万の方もまた日蓮宗の熱心な信者だったの。ところが、家康が帰依していたのは浄土宗だったことから後に大事件を引き起こすことになるのですが、それはさておき、お万の方の兄・為春も後に家康に仕えるようになり、頼宣が生まれると紀州徳川家の家老としてこれを支えているの。

一方、安房に隠棲していた頼忠もまた家康から家臣となるよう求められたのですが、老齢であることを理由に固辞しているの。宝物館に展示される頼忠の写経は安土桃山期の天正20年(1592)に寄進されたものですが、彼もまた以前から熱心な日蓮宗の信者で、お万の方の実父として時の最高権力者・徳川家康にも通じることから、領主の里見家からも一目置かれる存在だったみたいね。寺伝では、江戸時代の最盛期には10万石の寺格を与えられていたとも云い、お万の方の孫に当たる水戸光國所縁の書状が残されるなど、破格の扱いを受けていたことが分かりますよね。元を辿れば正木頼忠あり−と云うところかしら。

11.鯛の浦遊覧船 たいのうゆうらんせん

鯛の浦遊覧船

初詣を終えたところで鯛の浦を巡る遊覧船に乗船してみましたが、その名が示すようにこの鯛の浦では無数の鯛が定住しているの。海なんだから当たりメエ〜じゃんか、何、分かんネエこと云ってんだよ〜と思ってはいけないわ。ξ^_^ξも知らなかったのですが、本来のマダイは沿岸性の回遊魚で、比較的深いところに棲息するお魚なの。内湾などの浅いところに来るのは専ら春先の産卵期のことで、鯛の浦のように水深も高々20m程度しかないような内湾に定住するのは極めて珍しいのだそうな。現在は特別天然記念物にも指定される鯛の浦のタイ。遊覧船に乗船すればその貴重な生態を垣間見ることが出来るの。鯛の浦遊覧船:¥950 所要時間:約30分

鯛の浦遊覧船 鯛の浦遊覧船 出航した遊覧船は大小二つの弁天島が並ぶ妙の浦(≠鯛の浦)を目指しますが、今でこそ地形も変わり果ててしまったようですが、嘗ての妙の浦には迫り来る断崖を背にして小さな漁村があり、日蓮上人はそこで貧しい漁師のこどもとして生まれたとも云われ、その日蓮上人と鯛の浦のタイには次のような逸話が伝えられているの。

父の菩提を弔うために一時帰郷していた日蓮上人が海上に向かい『南無妙法蓮華経』と題目を唱えたところ、波間にその題目が浮かび、それを目指して無数のタイが群れ集まると悉く食べ尽くしてしまったと云うの。その奇瑞に接した村人達は、その後、鯛の浦に棲むタイを上人の分身として崇め、禁漁とするとともに餌付けして大切に守り育てて来たと云うの。

弁天島を眺め見たところで遊覧船は再び内湾に戻りますが、海上で二度三度旋回したところで停船しますので波間を目を凝らして睨み付けて(笑)下さいね。船上から船頭さんが撒き餌をするとどこからともなく魚達が現れて海面下を勢いよく泳ぎ廻るのが見えて来ます。ξ^_^ξの勝手な想像ではサクラ色した大型のマダイが水面から大きな口をパクパクさせながら餌に群れ集まる姿を予想していたのですが、池のコイではありませんからさすがにそれは無理のようね。

残念ながら透明度もそれほど高いわけではないので魚影が走るのはわかるのですが、魚の種類までは識別出来そうにもないの。緋い色をしたマダイの出現を期待したのですが、乗船時には出会うことは出来ませんでした。そのマダイの緋い色にしても、餌となるエビやカニの色素に依存するのだとか。鯛の浦のマダイは定住することから餌となるエビやカニが食べ尽くされ、配合飼料の餌付けのせいで色素不足になってしまったのかしら?(笑)余談ですが、神奈川県水産技術センター のメルマガ VOL.063 2004-10-8 に面白い記事が掲載されているの。お魚の王者としてお祝い事には欠かせない縁起物のマダイですが、その食生活となるとかなりの悪食みたいで、必ずしもエビで釣る必要は無さそうよ。

12.鯛の浦遊歩道 たいのうらゆうほどう

妙の浦 遊覧船から眺め見た小弁天島へは干潮時に歩いて渡ることが出来ますよ。磯伝いに遊歩道が整備され、大小二つの弁天島に挟まれた陸地側には昭和48年(1973)に昭和天皇と皇后陛下が行幸された際の記念碑と共に東屋(あづまや)が建てられているの。エッ?東屋では余りにも失礼じゃないの?と思われるかも知れませんが、ここでの東屋は四阿のことで、池や湖沼などの畔に設けられる亭(ちん)を指すの。勿論、四方を開放した造りは景観を愛でるためのものね。

13.JR安房小湊駅 あわこみなと 16:21発

ここでは誕生寺を中心に紹介してみましたが、足を伸ばせば開宗以前に日蓮上人が修行した古刹の清澄寺や、アジサイで知られる麻綿原高原などの見処もあるの。天然記念物にも指定される鯛の浦のタイは禁漁ですので口にすることは出来ませんが、獲れたてのお魚を提供してくれる宿泊施設が多くある小湊ですので、潮の香に包まれて湯船に身を沈めるのも素敵ですよね。宿泊情報などは 鴨川市観光協会 を御参照下さいね。勿論、宿泊する余裕は無いけど見るべきものは見たし、車中のひととなる前に美味しいものを食べてから帰りたいわ−と云う方にもお薦めよ。乗車券:¥160

14.JR安房鴨川駅 あわかもがわ 16:30着

昨夜に引き続き鴨川グランドホテルへ宿泊しましたが、リゾート地の鴨川には他にも多くの宿泊施設があるの。鴨川漁港を抱えることから海の幸の新鮮さは折り紙つきね。どんな宿泊施設があるの?と云う方は 鴨川旅館組合 を御参照下さいね。温泉じゃなきゃ絶対にイヤ〜と云う我儘なあなたには 鴨川温泉 がお薦めよ。中でも鴨川温泉加盟店23施設の内、10件程の施設では立ち寄り湯を実施しているの。料金も¥500〜¥1,260とリーズナブルよ。きょうはお家に帰るの−と云う方にもお薦めね。

15.鴨川グランドホテル かもがわぐらんどほてる

海風通信 今回の旅とは直接の関係はないのですが、ξ^_^ξの好きな小説家の一人に村山由佳さんがいらっしゃいます。'03には【星々の舟】で直木賞を受賞されていますが、初期の作品で、小説すばる新人賞を受賞した【エンジェルス・エッグ 天使の卵】は遠い昔のことと忘れ掛けていた、甘く切ない青春時代のただ中に連れ戻してくれるの。その村山由佳さんがこの鴨川の海にすっかり魅せられて移り住むところから始まるのが【Seabreeze from kamogawa 海風通信】。サブタイトルにカモガワ開拓日記とあるように、鴨川での晴耕雨読の生活をユーモアを交えて書き留めているの。

翼 94年に発刊された【キスまでの距離】に始まる「おいしいコーヒーのいれ方」シリーズはライフ・ワークとなる作品群で、胸キュンものですが、今後も続編が刊行されると云うのですから楽しみよね。その豊かな感性には脱帽ものですが、やはり自然を相手にアメニモマケズカゼニモマケズに親しみ、穏やかな時間の流れの中でその恵みに素直に感謝する気持ちが必要と云うことね。でも、それ以上に努力と才能が必要みたい。まさに【翼 cry for the moon 】で、易きことのみにはしる我が身に喝〜ッ!ちょっと個人的な趣味にはしり過ぎてしまいましたね。村山由佳さんの著作が気になった方は下記のサイトを御参照下さいね。掲載の表紙画像も YUKA BLUE からお借りしています。

COFFEE BREAK 村山由佳のCOFFEE BREAK YUKA BLUE Official WebSite YUKA BLUE

三日目:太海フラワーセンターと仁右衛門島

旅も最終日のきょうは地元・鴨川に佇む古刹の鏡忍寺に初詣をした後で、太海フラワーセンターと仁右衛門島を訪ねてみました。

16.JR安房鴨川駅 あわかもがわ

この時には送迎バスで駅まで送って頂きましたが、鴨川グランドホテルではお正月期間限定ですが初詣の希望者にはその送迎バスを利用して鏡忍寺への送迎もしてくれるの。ですが、この日は旅の最終日とあり、手荷物を抱えての初詣と云うのも辛く、身軽になることを考えて一先ず駅に向かい、コインロッカーに手荷物を預けることにしたの。元々身軽な手荷物しか無いから平気よ−と云う方は時間的にも有利な送迎バスで案内して貰いしょうね。と云うのも、駅から鏡忍寺へのアプローチがちょっと不便なの。

バスを利用しようとすると何と一日に7本程度しか無いの。鴨川日東バス の頁に時刻表が掲載されていますので参考にしてみて下さいね。訪ねた時にはバス時刻と噛み合わず、やっぱ、徒歩でしょう−と考えてみたものの、所要時間20分と聞いて素直に断念。お正月早々そんなに歩いたら一年中歩くことになりそうで、ここでは客待ちするタクシーの運転手さんにお年玉。尤も所要時間僅かに5分足らずの乗車でしたから、運転手さんにしてみればお賽銭レベルでしかなかったかも知れませんが。

参考までにバスを利用する場合には安房鴨川駅を9:50に発車する「浦の脇」行に御乗車下さいね。運賃は破格の¥140で、所要時間も僅かに6分程。9:56には鏡忍寺入口バス停に到着です。但し、鏡忍寺へはバス停からはちょっと歩くことになりますので気をつけて下さいね。と云っても1〜2分の話しですが。ここでの掲載情報は 06.05 現在のものですので、お出掛け前には前掲の 鴨川日東バス の頁でバス時刻を御確認の上で御利用下さいね。

17.鏡忍寺 きょうにんじ

山門 鏡忍寺は日蓮上人の「小松原の法難」の地に創建された古刹で、現在は小松原山鏡忍寺を正式な山号寺号とする日蓮宗寺院。ですが、開創当初の山号は妙隆山で、寺号と共に、そこには日蓮上人の危険を身を以て挺した帰依者の工藤吉隆と門弟・鏡忍房の名が刻み込まれているの。なので、鏡忍寺を御案内するには「小松原の法難」について触れない訳にはいきませんので、ちょっとお付き合い下さいね。拝観料:境内自由

文永元年(1264)伊豆流罪から赦された日蓮上人は母の危篤を知らされ、久し振りに里帰りをしたの。その母の余命を奇跡的に延ばす一方で布教にも努めているのですが、他の宗派を念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊と排斥する日蓮上人のことですから、当然、敵も多いの。中でも念仏宗檀信徒との関係はハブとマングース状態で、当時、この辺りの東条郷の地頭を務めていたのが熱心な念仏信者でもある東条景信だったことから大事件が起きるの。オレさまの土地で念仏無間などとほざきやがって、あのイカサマ坊主め、イテコマしたろうじゃねえか−と云うわけ。因みに、東条郷は現在の鴨川市花房の辺りから誕生寺のある小湊迄を占めていたの。景信も元々は平氏の分流なのですが、その東条郷を守護していたことから東条姓を名乗っていたみたいね。

無間地獄(むげんじごく)
恵心僧都こと源信上人は、寛和元年(985)に著した【往生要集】の中で念仏を薦めているのですが、生前に犯した罪の軽重に応じて八つの地獄があると説いているの。中でも無間地獄に落ちた重罪人はどんな方法を以てしても救えないと云う、究極の地獄なのですが、源信上人は、例えその無間地獄に堕ちた者と雖も念仏を唱えることで救われると説いたの。一方、日蓮上人は念仏に依存することは、イコール無間地獄に堕ちることだと云っているのですから、念仏檀信徒等からすれば至上の侮蔑誹謗よね。

祖師堂 この鏡忍寺のある広場地区からは北西に位置する花房の地に嘗て蓮華寺と云うお寺があり、日蓮上人はそこを拠点に布教していたみたいね。そんなある日のこと、天津城主・工藤吉隆(よしたか)の招きを受けて弟子や信者等と共に天津へと出掛けたの。吉隆は弘長元年(1261)に伊豆に流された日蓮上人の元に日参して安否を気遣うほどの帰依者でしたから、日蓮上人にしても心安い間柄だったのでしょうね。

一方、この時を好機とばかりに景信は配下の手勢を集めると小松原に差し掛かったところで日蓮上人の一行を急襲したの。射る矢は降る雨の如し、打つ太刀は稲妻の如き中で防戦に努めたものの、弟子の鏡忍坊はその刃に倒れ、危急の知らせに駆け付けた工藤吉隆も討ち死にしてしまったの。ですが、日蓮上人は眉間に大きな傷を負いながらも九死に一生を得たの。それが世に云う「小松原の法難」で、その徳に感謝した日蓮上人は、吉隆には妙隆院日玉上人の法号を、門弟の鏡忍房にも日暁上人の法号を与えたの。その後、吉隆の子息も日蓮上人の弟子となり、出家して日隆の法号を得ているの。事件から後の弘安4年(1281)には、日蓮上人の発願を得て、日隆上人は父・吉隆と鏡忍房の二人の菩提を弔うために、この鏡忍寺を創建したの。開創当初の山号・妙隆山は吉隆の法号に由来するものだった訳ね。

祖師堂

ネット検索していた際に興味深い記事を見つけました。リンク切れとなることを覚悟で紹介してみますが、本門法華堂 に関慈謙氏の【南条兵衛七郎殿御書】講話内容が収録されているの。それに依ると東条景信が日蓮上人の命を狙うには単なる宗教上の対立だけでは無くて、土地の領有問題から派生した様々な人間模様が背景にあったみたいね。その繋がりの中に日蓮上人もいた訳で、殉教の徒となり、時代を駆け抜けた一方で、両親や支援者の利害には特段の配慮をしていたみたいなの。大聖人の称号を以て語られることの多い日蓮上人ですが、世俗の中で葛藤する姿も垣間見え、聖人と雖もξ^_^ξ達と同じようにシガラミを抱えていた訳ね。

神降の槙 境内には鴨川市の天然記念物に指定される樹齢1,100年余の「降神の槙」がありますが、東条景信等の郎党に襲われた際には、この樹上に鬼子母神が現れて、日蓮上人を救けたとも云われているの。鬼子母神と云うと、安産祈願などの御利益を謳うことが多いことから意外な組み合わせに思われるかも知れませんが、元々は人間の子供を掠ってはその血肉を貪る夜叉神一族の娘で、お釈迦さまが起こした誘拐事件から心を入れ替えて仏教を護る守護神となったの。お釈迦さまと雖も目には目を以て矯正させたワケ。

お釈迦さまの誘拐事件が気になる方は、鎌倉歴史散策の 腰越編 を御笑覧下さいね。
CMでした。

18.JR安房鴨川駅 あわかもがわえき

安房鴨川からは内房線の各駅停車で太海に向かう積もりでいたのですが、安房鴨川⇔館山間を結ぶ内房線のダイヤは1時間に1本の割合で、お世辞にも便利とは云えないの。なので訪ねた時にはタクシーを利用しました。鏡忍寺からは田圃の中を歩くこと30分余り。俗に道に迷ったとも云うけど。日頃の運動不足から疲れ果ててしまい、次の列車をホームで待つのも、バスを待って駅前で佇むのもイヤになってしまったの。タクシー利用:¥1,460前後 約15分所要

因みに、内房線を利用した場合には次の太海駅へは乗車時間5分で¥180の運賃となりますが、太海駅から仁右衛門島への渡船乗場へは更に20分程歩くことになりますので御注意下さいね。出来れば 鴨川日東バス の頁でバス時刻を調べて乗車した方が良さそうね。運行本数も1時間に2本も(笑)あるし、運賃も¥270とリーズナブル。南房総フリー切符を御利用なら追加料金も必要無いし、バス停からは太海フラワーセンターは目の前よ。

19.仁右衛門島 にえもんじま

仁右衛門島 フラワーセンターを横目に先ずは渡船乗場へ向かいましたが、曲がりくねった道を回り込むと見えて来るのが仁右衛門島で、浜波太漁港からは手漕ぎの小船に揺られて渡るの。200m程の沖合いに浮かぶ島への唯一の交通手段がこの渡船で、台風などの荒天時には欠航となり、仁右衛門島はそれこそ孤島になってしまうの。仁右衛門島は個人の方が所有するもので、島主は代々平野仁右衛門の名を襲名して現在は38代目となるの。入島料:¥1,350(往復の渡船料含)

島内には石橋山の合戦に敗れた源頼朝が逃れ来た際に島主に匿われて身を潜めたと云う【頼朝の隠れ穴】があるのですが、その恩に感謝した頼朝は後に島と周囲の漁業権を島主に与えたとも云われているの。【吾妻鏡】の治承4年(1180)9/3の条には

今日平北郡より廣常が居所に赴き給ふ 漸く昏黒に臨むの間 路次の民屋に止宿し給ふの處 當國の住人長狹六郎常伴 其の志平家に在るに依り 今夜此の御旅館を襲はんと擬す 而るに三浦次郎義澄 國郡の案内者たり 竊かに彼の用意を聞きて 之を遮り襲ふ 暫く相戰ふと雖も 常伴遂に敗北す

と記されますが、この時の長狭常伴の襲撃から逃れるために仁右衛門島の洞窟に身を潜めたと云われているの。島内には他にも日蓮上人が朝日を拝したと伝えられる神楽岩や、亀の姿をした亀岩などがあり、それらを巡る遊歩道が整備されています。周囲は4km程の小島なのですが、それでも30,000m²もの面積があると云うのですから羨ましい限りよね。エッ?固定資産税の方が気になる?その他の詳しい御案内は 仁右衛門島 を御参照下さいね。

20.太海フラワーセンター ふとみふらわーせんたー

沖合いを流れる黒潮の影響から冬でも温暖な気候を利用して熱帯植物や花木類を温室内で育成・展示しているの。また、併設されている釣り堀センターでは磯釣り気分を味わうことが出来るの。残念ながら未体験ですが釣り上げた魚を買い取るコースは竿と餌代で¥300、魚をリリースするコースは¥500になっています。因みに買い取るコースだと真鯛なんかが釣れちゃうと¥3,000〜¥5,000の出費が必要みたいよ。ここでは一先ず¥500でウマヅラと戯れた方が良さそうね。入園料:¥600 犬猫ランド共通券:¥1,200

フラワーセンター

掲載に際し、改めて情報を得ようとネット検索していたら気になる頁を見つけてしまいました。鴨川市の市会議員をされている 須田厚さん のサイトですが、諸々の政策提言の中にこの太海フラワーセンターのものがあるの。ξ^_^ξはてっきり民間の独立法人の運営かと思い込んでいたのですが、実は鴨川市営だったのね。結論から云うと、須田氏は廃業閉園の方針で検討すべきである−としているの。ここでは飽くまでも提言の段階ですので直ちに実行と云う訳ではありませんが、数値をあげて「民間企業なら倒産状況にある」と云う論理には説得力があるわね。

フラワーセンター 雰囲気的には前述の行川アイランドと同じ運命を辿ることになりそうね。
今の内にその姿を瞼に焼き付けておいた方が良いかもネ。
HP を見ても何だか元気が無いし〜。
コラコラ、勝手に潰すな!(笑)

フラワーセンター フラワーセンター フラワーセンター フラワーセンター

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21.JR太海駅 ふとみえき

フラワーセンターからは歩いて太海駅に向かいましたが、前述しましたように内房線の各駅停車は1時間に1本程度の運行なの。訪ねた時には事前の下調べをしていた訳では無いのですが、少なくても2〜3本はあるんじゃないの−と安易な気持ちでいましたが、ものの見事に裏切られてしまいました。鴨川から先の上り列車との接続の兼ね合いもあり、ここでは止むを得ずタクシーを利用しています。そのタクシーも駅前で一台だけ客待ちしていたと云う代物よ。

22.JR安房鴨川駅 あわかもがわえき 16:33発

当時は特急列車として183系と255系が併存して運用され、255系の車両を使用した「わかしお」の場合には「ビュー」と冠して区別していたの。183系と云えば国鉄時代に投入された車両ですが、′05.12 を以て定期運用からは外されてしまい、改めて「ビュー」とする必要も無くなったと云うわけ。加えて ′04.10 からは新型車両のE257系も投入されて、世代交代は着実に進められているのね。99.99%否100%有り得ない話しでしょうが、仮に行川アイランドがリニューアル・オープンされて、行川アイランド駅に再び特急列車が停まるようになった暁にはこの183系を停めて欲しいな−と思うのは、過ぎた昔を懐かしむ感傷でしかないのかも知れませんね。

23.JR東京駅 とうきょうえき 18:32着


首都圏からは身近な行楽地として親しまれる南房総の中でも、今回は鴨川を中心にして紹介してみましたが、シーワールドが人気を集める一方で行川アイランドが閉園するなど、レジャーの多様化の中で生き残りを掛けた模索も続けられているの。特段の景勝地こそありませんが、豊かな自然にも恵まれ、この地に生きた人々の証が今でも息づいているの。その一つ一つを丁寧に訪ね歩くのも旅の楽しみでもあるわね。勿論、目の前の大海原から揚がる新鮮な海の幸も魅力よね。お出掛け時にこの頁が少しでもお役にたてたらうれしいな。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥

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